見出し画像

あなたとわたしの「歩く速さ」は違うから


Molto Moderato(モルト・モデラート)という音楽の指示は「適度な流れるような速さ」という意味らしい。

早めのテンポで解釈されることが多いが、シベリウス作曲の場合に、作曲家の本意としてはむしろ逆で「ものすごく落ち着いて」と解釈する…という解説を見かけた。

たしかに、適度な流れるような速さって何なのか。
だって、「アンダンテ」も歩く速さとのことだが、あなたと私の歩く速さは違う。

国によってパーソナルスペースも違うという記事もどこかで見かけた。日本人は腕を広げたくらいが境界で、欧米はもっと広い。逆にインドや中国はもっと短い距離らしい。

ただ、音楽の指示として「適度な流れるような速さ」という汎用的な表現は時代に囚われずに生き続けるから、いい言葉だと思う。

星新一の小説も、時代によっては古くなってしまうような言葉表現が混じらないように、時代に囚われない言葉を選んでショートショートは構成されているらしい。

星新一のショートショートにはルールがあった。分量は原稿用紙十数枚から二十枚程度で、固有名詞は使わない、性や残虐な殺人、時代が変われば変わる数値や風俗は描かないなどの制約だ。作品を読めば気がつくが、いつどこの誰の話なのかわからない無色透明で不思議な読後感がある作品ばかり。それでも古びる表現が出てくるのはやむを得ない。「ダイヤルを回す」を「電話をかける」に、「〇〇万円」を「大金」に直すなど、時代の変化に耐えられないと思われる表現に手を入れ続けた。存命と思われたのはその成果でもある。

https://www.univcoop.or.jp/fresh/book/izumi/news/news_detail_374.html

違う角度だが、ジブリの映画もそうだ。いつ鑑賞しても新しい発見があったり、感動がある。あの中にも同じ類でその時々の自分に刺さる汎用的な表現がある。時代を超えて愛されるものは、その何かがあるのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!