あなたとわたしの「歩く速さ」は違うから
Molto Moderato(モルト・モデラート)という音楽の指示は「適度な流れるような速さ」という意味らしい。
早めのテンポで解釈されることが多いが、シベリウス作曲の場合に、作曲家の本意としてはむしろ逆で「ものすごく落ち着いて」と解釈する…という解説を見かけた。
たしかに、適度な流れるような速さって何なのか。
だって、「アンダンテ」も歩く速さとのことだが、あなたと私の歩く速さは違う。
国によってパーソナルスペースも違うという記事もどこかで見かけた。日本人は腕を広げたくらいが境界で、欧米はもっと広い。逆にインドや中国はもっと短い距離らしい。
ただ、音楽の指示として「適度な流れるような速さ」という汎用的な表現は時代に囚われずに生き続けるから、いい言葉だと思う。
星新一の小説も、時代によっては古くなってしまうような言葉表現が混じらないように、時代に囚われない言葉を選んでショートショートは構成されているらしい。
違う角度だが、ジブリの映画もそうだ。いつ鑑賞しても新しい発見があったり、感動がある。あの中にも同じ類でその時々の自分に刺さる汎用的な表現がある。時代を超えて愛されるものは、その何かがあるのかもしれない。