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名古屋喫茶店探訪史上最渋の店に入ってしまった…はずが。

あるクライアントから、1~2ヵ月に一度のペースで名古屋での取材が入る。短く済めば1時間を切ることもある取材だが、わざわざ交通費まで負担してくれる。特にコロナ以降、遠方の取材はリモートで済ませることも珍しくはなくなっかたら、気分転換の意味でもありがたい。泊まりがけになることはないが、現実を見れば、泊まって油を売っているような時間など自分にあるわけがない。

とはいえ、せっかくの名古屋だ。少しは爪痕を残して帰りたい。名古屋といえば…そうだ、喫茶店文化だろう。自分が愛してやまない昭和レトロな雰囲気にあふれた喫茶店が街のあちこちに今もある。いつからか、1取材1喫茶店訪問のノルマを自らに課すようになった。取材先の住所が送られてくると、その住所をもとに近隣の喫茶店を探す。たいてい目的地の半径1km以内に必ず昭和の粋をまとった喫茶店が見つかるからすごい。

しかし、先日の取材地の近くには、喫茶店以上に自分を燃え上がらせるものがあった。ナゴヤ球場。かつての中日ドラゴンズの一軍本拠地。もはやその字面が昭和の風情じゃないか。プランはすぐに決まった。少し早めに現地へ向かって球場周辺を散策しよう。

Google Mapにも載っていない幻の喫茶店

最寄りのJR尾頭橋駅から意気揚々と歩いて球場へ。数分歩くとスコアボードが見えてきた。スタンドの大部分は解体されてしまったが、今も二軍の本拠地として機能していて、この日はホークス戦が行われる予定だった。

ふと、テレビで見ていたナイターの記憶が蘇る。カープファンだったから、思い浮かぶのは北別府や大野や川口がドラゴンズのバッターを次々に打ち取るシーンだ。悩みなき、本当にいい時代だった。

と、取材前にすっかりノスタルジックな気分に浸った後、ふと空腹を感じ、我に返った。そういえば、喫茶店を探していない。ナゴヤ球場のインパクトに押され、本懐をすっかり忘れていたのだ。時計を見た。13時の取材まであと50分。近くにいい店があれば、まだ昼食を兼ねて飛び込めるかもしれない。

レフト側の外野フェンスの外側で、慌ててGoogle Mapを開いた。しかし、めぼしい喫茶店がなかなか見つからない。ないわけでない。自分が理想とする名古屋の喫茶店がない。腹は減ったがもはやあきらめざるを得ないか。そう思った時、外野フェンスのすぐ脇に、パトランプが元気に回る看板を発見した。coffeeに軽食の文字。紛れもない昭和テイストの外観。この時代にGoogle Mapにも載っていない。こちらは何せ腹ペコだ。暑い日だから喉も乾いている。幻のようなオアシスのようなその「アイ」という店の扉を、気づいた時にはもう開けていた。

無境界型店舗の鑑のような雑然ぶり

店の中に入ると、おじいさんが一人立っていた。

「いいですか?」

聞いても何も答えてくれない。もう一度「いいですか?」と聞く。やはり彼は何も答えない。そして、おもむろに客席に座った。この手の店では店主が普通に客席に座っていることも珍しくはないが、彼はどうやら本物の客のようだ。

彼の陰に隠れて見えなかったが、その奥に70代と思しき女性がいた。足首が痛むのか、湿布を貼ろうとしている。ちらりと目があったが、やっぱり「いらっしゃいませ」も何もない。この人もお客さんか。そう思い、とりあえず席に座って店の人が出てくるのを少し待つことにした。

この手のお店は生活が店舗を侵食しているケースが多い。長年商売をするうちに公私の境がなくなったこの手の店を、僕は勝手に「無境界型店舗」と呼んでいる。ここはまさに、その鑑のような雑然ぶりだった。買い置きのティッシュや何やらが客の目もはばからずに置かれている。今も客席として機能しているのは、おそらく入り口の左右にあるテーブル席2つだけ。テーブルには当たり前のようにテーブルゲーム機があてがわれている。

女性は、手にした湿布を一人で貼ることができず、さっきのおじいさんに助けを求めた。おじいさんは女性のもとに向かい、何か冗談を言いながら湿布を貼る。女性はお礼を言うとゆっくりと立ち上がった。そして、そこで初めて、僕に向かって少し面倒そうに口を開いた。

「いらっしゃい」

ああ、おかあさんはお店の方でしたか。

「灰皿は?」「いらないです」「いい子だね」

これは名古屋喫茶店探訪史上最渋の店に入ってしまったなと思いつつ、さすがの自分もここまでくると、昭和がどうのというよりも店の衛生面が気になってくる。おかあさんも、もしかして湿布をいじったその手のままでお水を持ってくるのではあるまいなと思ったが、そこはきちんと両手を洗ってくれた。ひと安心。しかし、何かを頼もうにもテーブルにメニューがない。壁にもメニューらしきものは見当たらない。ようやくお水を運んできたおかあさんに聞いてみた。

「メニューありますか?」
「ないよ」

え? ないんですか??

「じゃあ、食べるものあります?」
「ないよ」

えええ? だって外に軽食って…。

「食べ物なんてもうずいぶんやってねえよな。」

とおじいさんがからかうように口を挟んだ。自分としたことがしくじった。空腹と喉の渇きに惑わされて、そこまで読み切れなかった。

この時点で取材まで40分。出るなら今だ。どうする。いやしかし、ここで潔く取材までの時間を過ごしてこそ名古屋喫茶店探訪の本懐を全うするというものである。覚悟を決めた。

「じゃあ、飲み物だったら何ができますかね…?」

と聞き終わるか終わらないかのうちに、おかあさんがどこからか、埃をかぶったようなメニューを引っ張り出してきた。2つ折りで、左ページに飲み物、右ページにはサンドイッチやらスパゲティやら、往年のスター軽食たちの名前が並んでいる。行きの新幹線ですでにブラックのコーヒーを飲んでしまっていたのでカフェオレ…と言いたいところだったが逡巡した。この感じだと古い牛乳の可能性も考えられる。ここはアイスコーヒー一択だろう。

「ガムシロとミルクは?」
「いらないです」
「灰皿は?」
「いらないです」
「いい子だね」

となぜか僕を褒めながらアイスコーヒーを運んできたおかあさんの手に、何かが握られている。「はいこれも」と言って持ってきたのは、おばあちゃんのぽたぽた焼き。昼飯にありつけなかった僕を哀れんだのだろうか。アイスコーヒーは、よくある既製品のアイスコーヒーの味がした。よかった。飲める。渇いた体に染み渡るそのコーヒーでぽたぽた焼きを流し込むその日の僕の昼食が始まった。

ようやく一息ついて椅子にもたれかかった時、おかあさんがまさかのネクスト食料を投下してきた。ゆで卵だ。さすがモーニングの街。出てくるものが一味違う。

いや待てよ。今、冷蔵庫からでもなくこれを持ってきたけれど、これ何日か前のとかじゃないですよね…? と聞けるはずもない。かといって残すわけにもいかない。こちらが何か食べたくてここにやってきているのはおかあさんにはバレている。いくしかないだろう。おもむろに殻をむき、塩を無意識に多めにかけ、意を決してほおばった。

……大丈夫だ。固ゆでだけれど、よくある普通のおいしいゆで卵の味だった。店に入ってから何度目かの安心の息を吐いた。そうこうしているうちに新たに1人、常連と思しきタクシーの運転手が入ってきて、おじいさんと何かを熱心に話し始めている。

「忘れちゃった」時の流れを考える

もはや客席ではなくなったかつての客席に座るおかあさんに、「ここはもう何年ぐらいになるんですか?」と聞いてみた。おかあさんは「忘れちゃった」という。でも、ナゴヤ球場がドラゴンズの一軍の本拠地で、たくさんの人がこの周辺を訪れた時代から続けていることは間違いないだろう。

「昔はねえ、常連さんが店の前に車を停めてここでコーヒー飲んでるでしょ。そうすると、時々ホームランのボールがここまで飛んできて、お客さんの車をへこませたり、ガラスを割っちゃったりするわけ。でも誰一人怒らなかったね。そのボールを球場に持って行って、ガラスが割れた代わりに打った選手のサインくれって言ってね、書いてもらって喜んで帰ってくる。そんなもんだったよあの頃は。」

きっとこの店も、かつては球場を訪れたドラゴンズファンや、もしかしたら時々はドラゴンズの選手も訪れて、賑やかな店だったのかもしれない。でも、一軍がいなくなった。この地で商売をやるうえで、これは食い扶持を失うようなものだろう。

そう思って、あらためて店を見回した。色褪せたポスターや、いつから貼っているのかわからない新聞の切り抜きなどに紛れて、ドラゴンズの誰かのサインが今も飾られている。何年店をやってきたのか、おかあさんは「忘れちゃった」と言った。もしかしたら、一軍がいなくなった時点で、この店の時間は止まったのかもしれない。でも、古びたサインやポスターに、一軍がいなくなってもここで店を守ってきたおかあさんの誇りを見る気がした。意地と言うべきか。どこでもいけばいいさ。あたしゃここで続けるからって。

一軍が去ると共に賑わう店としての現役を終え、顔が知れた近所の常連さんたちにコーヒーだけを出す店として余生を過ごしているのだとしたら、そんな店に入ってきた一見が不躾に「食べ物ありませんか?」などと聞くなんて、あまりに無粋だったなと反省した。おかあさんも、足がそんなに痛くなるまで働いたんだもんね。

結局、コーヒー1杯とぽたぽた焼きとゆで卵の約40分が、この日の僕の昼食となった。帰り際、おかあさんが僕に「何にもなくてごめんね」と言った。いえいえどうもと返して店を出た。名古屋喫茶店探訪史上最渋だったはずの店は、帰る頃には最も心動かされる店になっていた。

取材場所に向かいながら、しみじみと思った。コーヒー、既製品だけどおいしかった。ゆで卵、最高だった。

戻って伝えればよかったな。

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髙橋晃浩
たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役