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俺たちのすずや市民球場とあの頃のラーメンの思い出
母が膝を悪くして以来、身のまわりの手伝いで実家にいることが多くなった。ゴミ出しに庭仕事、掃除と、やることはいろいろある。歳を取って億劫になったのか目が行き届かなくなったのか、最近は家の中にゴミや埃が目立つ。今こそ自分がやるべきとは思うものの、母は母で手を出され過ぎることにいささか抵抗があるようで、その匙加減がなかなか難しい。あまり世話を焼き過ぎてもいけないだろうと勝手に忖度しながら、まずは与えられたタスクを淡々とこなしてみる。
今の母が100%息子に頼らざるを得ないのが買い物だ。歩いて数分のコンビニにも、電動自転車で10分ほどのスーパーにも、まだまだ自分で行けるほどには回復していない。日々の食料や来客用のお茶菓子を代わりに買いに行く。おかげで、子供時代以来何十年も歩いていなかった近所の路地を歩くことが増えた。この道はこんなに細かったっけ。このあたりは全部田んぼだったのに。ここの家は建て替えたんだな。ここに住んでたアイツは高校時代にバイクで死んだんだっけ…。そんなことを思いながら、少し離れたスーパーまで足を運ぶ。
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その日も、母にいろいろと買い物を頼まれて家を出た。歩き始めて2~3分。今はアパートが建つ、とある角地の景色の変化に、懐かしさと寂しさがこみ上げた。
その場所は昔は空き地で、僕らの遊び場だった。いつから空き地だったのかはわからない。けれど、そこはきれいに整地されていて、雑草もそれほど伸びてはいなかった。
小学3年生だったか4年生だったか、僕は近所の友達とよくそこに集まって、手打ち野球をやった。バットの代わりに手をグーにしてゴムボールを打つあれだ。
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空き地はいわば、「俺たちの本拠地」だった。ボールひとつと何人かの友達がいれば、すぐに試合が成り立った。
空き地は2面が道路に面していて、もう2面はブロック塀で隣の土地と仕切られていた。2面のブロック塀が交わる角をバックネット代わりにすればキャッチャーはいらない。ノーバンで道路に出ればホームランだ。レフト側の道路の先には鉄骨置き場があり、ライト側の道路の先には、あれは市営住宅だったのだろうか、同じ形をした平屋の一戸建てが並んでいた。そこまで届けば超特大の一発である。
2つの道路が交差した先、つまりバックスクリーン方向には、その辺りで一軒だけの食堂があった。誰が言い出したのか、いつからか僕らはその空き地を、食堂の名前をもじって「すずや市民球場」と呼ぶようになった。すずや球場でもすずやスタジアムでもなく、すずや市民球場。この響きが僕は今も大好きだ。
“いつかはすずやまで飛ばすべ!”
僕らはいつもそう思いながら、強く握ったこぶしを力の限り振り回していたのだ。
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すずや食堂といえばもうひとつ思い出すことがある。父は偏食家ではなかったけれど、生前ついぞ僕の前で食べなかったものがある。食堂のラーメンだ。カップラーメンは好きだが、生麺が苦手だった。戦中戦後に「すいとん」ばかり食べさせられたからだと聞いたことがあるが、本当はもっと違う、何かトラウマ的な理由があったのかもしれない。
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家長(かちょう)がそうなものだから、「ちょっとラーメンでも」ということのない家だったけれど、ごくたまに出前のラーメンを食べる機会があった。それはおそらく、父がいない週末の昼ごはん。若い頃の父は単身赴任が多かったから、その間に母や祖母が「たまには手ぇ抜くべ」と出前を頼んだのではないか。すずや食堂からもきっと出前を取っていたはずだ。
岡持ちに入って届くラーメンには、輪ゴム止めされたラップがかけられていた。これを外すのが子供には非常に難しい。うまくやらないと輪ゴムが熱い汁を弾く。そんな思い出も含め、出前のラーメンをすする記憶はそのまま、我が家のささやかな贅沢の記憶だ。
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ところで、あの時のラーメンはどんな味だったんだろう。味も盛り付けも、きっと飾りっ気のない、シンプルなラーメン。馬場俊英さんの「ラーメンの歌」のようなラーメンのはずだ。
そうだ、久しぶりに食べてみよう。すずや食堂が、かつての場所から数百メートル離れた場所に移転したことは知っている。母に頼まれた買い物を手早く済ませた僕は、昼ごはんを求めてすずや食堂に駆け込んだ。
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運ばれてきたラーメンは、食欲をそそる濃い褐色のスープの海。衒いのない、スタンダードなしょうゆ味。家系だの二郎系だの、いろんなラーメンがあるけれど、結局最後はここに帰ってきたくなるような味。そう、こういう味で僕らは育ったのだ。シンプルなラーメンを頼むはずが欲に負けてチャーシュー麺を頼んでしまったけれど、自家製に違いないそのチャーシューはすこぶるうまかった。
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満腹感とノスタルジーに包まれながら、実家への道のりを歩いて帰る。すずや市民球場跡はその道筋にある。
後ろからふと、子供の話し声が聞こえた。振り向いた先には、自転車に乗った少年が2人。屈託ない笑顔でこちらのほうに向かってくる。
「車に気をつけて」
思わず声をかけた。「はい」と答えながら彼らは僕の横を通り過ぎていく。そうだ。こうして近所の大人に、そして親に、危なっかしい僕らはいつも守られ、心配され、世話を焼かれながら生きてきたんだよな。
よし。実家に着いたら、もう少しだけ余計に、母の世話を焼いてみようか。
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