友だちを見つけた日
話の流れでしばしば冗談めかして「僕って友だちがいないんで」と自虐してしまうことがあるのだけれど、これは決して冗談ではない。ちょっと仲良くなったぐらいで友だち扱いするなど相手に失礼だろうという気持ちもある(僕を友だちだと思ってくれている方がいたらごめんなさい笑)。
そんな僕が珍しく飲み会に誘われ、三軒茶屋へ行ってきた。上京して最初に過ごした街だ。
20歳数日前のバーデビュー
むかし、三軒茶屋駅から歩いて7~8分の世田谷通り沿いに一軒のバーがあった。店の名前はオールウェイズ。オープンしたのはたぶん1992年の11月か12月だったと思う。三軒茶屋駅から当時住んでいた若林のアパートまで歩いて帰る途中に店はあって、入り口の扉には洋楽ロックやジャズのレコードジャケットがベタベタと貼ってあった。古いロックが大好きだった当時の僕の興味を思い切り揺さぶる店構えだった。
ジャケットは扉の内側から不規則に貼られていて、ところどころの隙間からわずかに店の中がうかがえた。何度か覗き込んでみたが、当時の僕はまだバーになど入ったことがなかったし、1杯のウイスキーで果たしていくら取られるのか、その見当もつかない。何より、東京に出てきてまだ2年足らずの田舎者の大学生だ。扉を開ける勇気はなかなか持てなかった。
年が明けて1月。その日も学校を終えて、世田谷通りをアパートに向かって歩いていた。オールウェイズに差しかかり、また隙間から店を覗き込む。カウンターに1人、男性が座っていた。あまりに混んでいると気後れしてしまうし、誰もいないと場が持たないかもしれない。男性1人ぐらいならちょうどいいか。今まで出なかった勇気が急に湧いてきて、意を決して扉を開けてみた。
「いらっしゃいませ」
声を発したのは、カウンターに座っていたその男性。これがオールウェイズと僕の関係のはじまりだった。昔の話なので許して欲しいけれど、20歳の誕生日の数日前のことだった。
大人の遊びを教えてくれる常連たちとの出会い
初めての訪店がマスター1人・客1人のシチュエーションだったのは幸運だった。何を話したか詳しくは忘れてしまったけれど、音楽の話とか、まだ学生なんですという話とか、きっといろんな話をしたのだと思う。レコードを聴きながらお酒が飲めるのも最高だった。そして何より、マスターというある種特別な存在の人に受け入れてもらえたのがうれしかった。マスターは当時30過ぎだっただろうか。脱サラして自分のバーを持つ夢を叶えたのだと聞いたのは、何度かお店に通ってからだったと思う。
オールウェイズは形式的にはバーだったけれど、近所で働く人や近所に住む人がふらっと飲みに集まる、まったく飾らない地元の店だった。やがて常連仲間もたくさんできた。一緒に飲むだけでは飽き足らず、オリジナルのユニフォームを作って草野球をやったり、バンドを組んだり、富士山に登ったり、新潟にスキーに行ったり。1万円札を握りしめて横浜へ行き、関内〜石川町あたりのバーに一見で入って何軒ハシゴできるかチャレンジしたこともあった。僕は常連の中で飛び抜けて若かったし、田舎臭さも抜けていなかったと思うけれど、そんな僕を避けることなく巻き込んで、大人の遊びを教えてくれるお兄さんお姉さん達だった。
あるとき、マスターから「うちでバイトをしてくれないか」と頼まれた。もちろんバーで働いた経験はないし、カクテルも作れない。戸惑っていると、「働いてる間はここにある酒どれでも飲んでいいから」と口説かれ、お客の少ない日曜と月曜に1人で店に立つことになった。カウンター6席にテーブルが2つの小さい店。ボトルを入れているお客さんも多いから、てんてこ舞いになることはなかったけれど、シェーカーを振るカクテルをオーダーされると慌てた。こっそりマニュアルを見てレシピを確認し、おぼつかない手でシェーカーを振る。思い切りぎこちなかったはずだが、それをも許容してくれる店だった。
あの日「音楽ライターになりたい」と言っていなければ
常連さんにはいろんな職業の人がいたけれど、三軒茶屋というエリアならではで、音楽業界やテレビ業界、出版業界、芸能界に身を置くお客さんも多かった。いわゆる芸能人もときどきやってきて、同じカウンターで同じように飲んだ。アイドル出身で当時バラエティー番組にちらほら出たりしていたY子さんは帰る方向が同じで、ある日カウンターの隣り同士で飲んで、何かの弾みで手をつないで帰ったことがある。当時僕はギターを少しかじっていて、御茶の水で新しいギターを買った足でマスターに自慢をしに行ったら、そこに某男性アイドル事務所をやめてロックギタリストに転身したNさんが現れて焦ったこともあった。
カウンターでよく顔を合わせる男性の一人に、テレビのディレクターの方がいた。ある日、カウンターで彼と隣り合わせになったとき、彼が僕にこう問いかけてきた。
「タカハシ君は将来何をやりたいの?」
咄嗟に口を突いて出た。
「音楽ライターとか、いいですよね。」
当時から書くことには興味があったし、読むことも好きだった。そして、それ以上に音楽が好きだった。しかし、本当に音楽ライターになりたいと思っていたかと言われたら、もしかしたら違ったかもしれない。
翌日、ディレクター氏から電話がかかってきた。
「若いアルバイトを探してる音楽事務所の社長さんがいるんだけど、会いに行ってみない?」
聞けば、その社長もかつては音楽ライターだったという。すぐに面接に行った。当時の僕はパソコンもできなければ車の免許も持っていなくて、「君は俺が求めるものを何も持っていないわけだな」と言われ怖気付いたが、ディレクター氏のおかげもあってか採用された。1993年夏のことだ。結局そこには6年半お世話になって、書くことを覚え、デザインを覚え、音楽やイベントを作ることを覚えた。
もしあのとき、音楽ライター以外の回答を僕が返していたら、僕の人生は今頃どうなっていたのだろう。ディレクター氏はその後放送作家となり、さらに映画監督になって、そこそこ話題になった映画を撮ったりもしている。その才能を考えれば、きっと当時から顔の広い人だったに違いない。映像の仕事がしたいと言えば映像制作会社を、広告の仕事がしたいと言えば広告代理店を、建築が好きだと言えば建築事務所を、とにかく稼ぎたいと言えば不動産会社を紹介してくれたかもしれない。「音楽ライター」と答えていなかったら文章を書いていなかったかもしれないし、グラフィックデザインも身につけていなかったかもしれないし、マデニヤル株式会社も存在していなかったかもしれない。
31年前のあの日、高い敷居を感じていたオールウェイズの扉を開けたこと。それが今のすべての仕事につながっている。オールウェイズとマスター、そしてそこに集った常連のみんなには、感謝をしてもしきれない思いがある。
時間が巻き戻る瞬間を見た
さて、冒頭に触れた飲み会の話。今回は、オールウェイズの常連のみんなが久しぶりに集まる飲み会だった。常連の誰かに最後に会ったのはいつだっただろうか。きっと20年以上は経っているはずだ。みんなで飲む場に参加するとなると20数年前にまでさかのぼる。常連のなかで唯一僕よりも年下だったさちこが、みんなに声をかけてくれた。僕は人を呼び捨てにするのがとっても苦手で、女性となると特に難しい。そんな僕がただ一人、衒いなく呼び捨てにできるのが、さちこだ。もちろん愛着と親しみを込めて。さちこは去年の夏、上野でバッタリ常連のIさんに会ったという。その偶然が僕を懐かしい席に引き寄せてくれた。ちなみにIさんはアニメや特撮界隈では泣く子も黙る高名なクリエイターだが、オールウェイズのカウンターで僕らと横並びになれば、いつも僕らと同じただの酔っ払いになってくれた。
しかしだ。時はあまりに流れ過ぎている。20代に入ったばかりだった僕が50代になったのだから、他の常連さんは60歳に近かったり、超えていたり、あるいは70歳に近かったりするだろう。お互いに歳を取ってしまったから顔を見ても気づかないかもしれないし、それぞれに重ねた20数年の間に飲み方や考え方が変わっていてもおかしくない。考えて見れば、そうした人たちが一つの店をハブに常連としてコミュニティを作ること自体が奇跡なのかもしれない。もとのように会えるのだろうか。三茶の駅を降りるとき、正直、僕の足は一瞬すくんだ。
杞憂だった。確かにみんな歳を取っている。取ってはいるけれど、みんなあの頃のままの目と声をしていた。僕の顔を見たみんなから「おぉー!」と声が上がり、僕も同時に「おぉー!」と声を上げた。時間が巻き戻る、見えないはずのその瞬間が見えたような感覚だった。
ただ一つ、残念なのは、マスターがこの場にいないことだ。若くして体を壊し亡くなってから、もう四半世紀が経とうとしている。
あの店がもう一つの大学だった
気づけば約5時間、僕らは昔の話や今の話で時間を共にした。閉店の時間になり、割り勘で会計を済ませ、店を出て駅に向かう。
「またやろうね」
「いつにする?」
誰からともなくそんな声が上がった。静岡の実家に戻ったOさんが「温泉も近いしうちに来れば?」と言う。いいねいいねとみんなが賛成した。このみんながまた集まることは、もしかしたらそんなに簡単なことではないかもしれない。それでも僕らは、当たり前のように再会を誓い、それぞれの帰路に着く。
ふと思った。彼らって、友だちなのではないか。世代も生まれた場所も辿ってきた道もまったく違うけれど、ある一つの時代に同じ時間を共にした仲間たち。ある人は学校で、またある人は職場で友だちを作るように、僕にとってはオールウェイズが、その一つの役割を果たしてくれていたのかもしれない。酒代を学費に大人を学んだ、もう一つの大学だったのだ。
たとえこの日がみんなと会う最後の日であったとしても、会えなくたってずっと、僕ら友だちだよね。そう、君は友だち。ありがとう感謝永遠に。