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なぜ僕らは『侍タイムスリッパー』にこれほど心惹かれるのか(若干ネタバレあり)

とある週末の東京の朝。予定していた用事がなくなり、ふと時間が空いた。

週末は僕にとって、溜まった原稿を書くための貴重な時間だ。平日はあれやこれやと連絡が入ってきて、集中して原稿を書く時間がなかなか取れない。降って湧いたような滅多にないチャンスを最大限に活かそうと、カフェに入ってパソコンを開いた。

しかし、ふと考える。そもそもこんなふうに不意に生まれたせっかくの時間を、ただいつものように原稿を書くことに費やして良いものか。そもそも、明日の朝までに終えたい作業の時間配分はすでにできている。そこまで急ぐものでもあるまい。

思えば年始め、「今年は月に2回は映画館に行くぞ」と心に誓った。劇場で見る映画は、いつも僕の心を揺さぶり、くすぐって、新たなイマジネーションを与えてくれる。しかし、そんな誓いは忙殺の波にとうにかき消されてしまっていた。そうだ、こんな時こそ劇場に行こうじゃないか。開いたパソコンで原稿を叩くのをやめ、ネットに情報を求めた。ちょうど観たいと思っていた映画があったのだ。今日の上映は12時半から。今は10時35分。大丈夫だ。十分に間に合う。

サイトで座席表を確認する。封切りからもう2ヵ月が経つというのに、座席の8割はすでに埋まっていた。単館で始まり、今や全国に。その勢いが座席表にも表れていた。映画の名は『侍タイムスリッパー』。幕末の会津藩士が現代の時代劇の撮影所にタイムスリップする話だ。

笑いの隙間から救いを求める時代劇の声なき声が聞こえる

僕はもうここ何年も慢性的に寝不足だ。長い上映時間を睡魔に襲われずに過ごせるか。その懸念も、劇場から足が遠のく理由の一つになってしまっている。『侍タイムスリッパー』の上映時間は131分。長い。いくら話題作とはいえ乗り越えられるか。いささかの不安を抱えながら、自分の選んだ席に座る。

杞憂だった。話のテンポ、巧みなストーリー、ユーモア、殺陣、役者さん達の熱演…。どれを取っても魅力に溢れていた。笑って笑って泣いて笑って、泣いて泣いて笑って、気がつけばもうラストシーンかと思うほどスクリーンに没入し、終わるのが惜しかった。大げさではなく、今までに観たどの映画よりも早く時間が過ぎた気がした。

『侍タイムスリッパー』は、その場面一つひとつに、くまなくと言っていいほど、時代劇への、そして時代劇づくりへの愛が散りばめられている。幕末からタイムスリップした主人公・高坂新左衛門(こうさかしんざえもん)が生まれて初めてテレビで時代劇を観て感情を爆発させるシーンは、140年前からやってきた侍の心をも揺さぶるほどに時代劇がエンタメとしての普遍性を持っていることを表現したものだと思うし、高坂と同様に数奇な運命を持つ風見恭一郎が時代劇への想いを語るシーンのセリフは、それ自体がそのまま時代劇の斜陽を憂う人々のリアルな声であったと思う。この映画は、最高級のコメディでありながら、やがて消え去ってしまうかもしれない時代劇というカルチャーの、救いを求める声なき声が聞こえるような映画でもあったのだ。

好きなものへの愛を持ち信じ続ければ感動が生まれる

そして、その声なき声を具現化する役者さんたちの演技がまた素晴らしかった。失礼ながら、以前から名前を知っていた役者さんは一人も出ていない。しかし、一人ひとりがスターの風格を纏い、スクリーンを縦横無尽に駆け回っていた。とりわけ高坂新左衛門役の山口馬木也さん、風見恭一郎役の冨家ノリマサさんのカッコ良さよ。これほどまでに魅せる役者をなぜ自分は知らなかったのかと思わず自分を悔いた。加えて、助監督・山本優子役の沙倉ゆうのさんの可愛らしさ。それ以外の出演者のみなさんもそれぞれ個性が立っていて、どの登場人物が欠けても物語は成立しなかったのではないかと思う。

観る者をここまで引き付けるものは一体何なのだろうと考えた。スクリーンから最も伝わってくるのは、溢れんばかりの時代劇愛だ。愛を持ち、信じるからこそ、作品に説得力が生まれる。その説得力は、時に作品に本来以上のポテンシャルを与える。『侍タイムスリッパー』はそもそも作品としてのポテンシャルが高いうえに、時代劇愛がそのポテンシャルをさらに高めているのだ。

僕らはつい、本当は大好きなのに「そうでもないよ」と言ってしまったり、本当は嫌いなのに「けっこう好きだよ」と言ってしまったり、しばしば自分の中の愛を貶めながら生きている。でも、それで良いはずがないだろう。愛するものを信じ、信じるものを愛し続ける。その揺るがぬ情熱があれば、時代も流行も超えて人に感動を与えることができるのだと、この作品は教えてくれた。大ヒットした自主映画としてよく“第2の『カメラを止めるな』“などと形容されているけれど、自分が信じるものへの愛を映画というフォーマットに落とし込んだという点で、僕はこの映画を“時代劇版『ニュー・シネマ・パラダイス』”と表現したい。

この映画を全福島県人に広めたい

もう一つ、福島県人としては、高坂新左衛門が会津藩士であるということが何にも代えがたくうれしく、誇らしい。会津訛りはもちろん、真っ白なおにぎりを雪をかぶった磐梯山にたとえるセリフ、新左衛門の早とちった走馬灯にほんの一瞬だけ淡く浮かぶ磐梯山(しかも我がふるさと郡山側からの姿)に思わず胸が熱くなる。

新左衛門は、会津が長州を中心とした新政府軍に完膚なきまでに叩きのめされたことを台本で知り、涙を流して台本に向かって手を合わせて詫びる。福島県人でなくても涙なしには観られないシーンだが、幕府滅亡から160年近く経ってもなお会津では「先の戦争」といえば戊辰戦争を指すことや(さすがに最近では半分ネタ化しつつありますが完全にネタとは言い切れません)、先日亡くなった福島県出身の西田敏行さんが西郷隆盛役のオファーを受けるべきか会津の知人に相談した際に「長州人の役はいかんが薩摩人の役ならかまわん」と言われたことなど、もちろん新左衛門は知る由もない。

そして、さらにうれしかったのは、新左衛門が会津人のイメージのまま無骨に描かれていたことだ。会津の武士の子どもたちはみな『什(じゅう)の掟』なる教えを唱えて育つ。その中には「戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ」との教えがあった。新左衛門はおそらくもういい歳だから戸外で婦人と言葉を交わしても咎められることはないだろうが、彼が優子殿に想いをなかなか伝えられないのは、単に彼がシャイガイだからではなく、きっと「什の掟」の教えが心に沁みついているからなのだ。会津武士のなんと健気なことよ。

できることなら、この映画を全福島県人に観てほしい。なんなら「高坂新左衛門応援上映」を企画したいぐらいだ。会津のみなさん、やってみませんか?

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(2024/11/4追記)
会津藩士としての新左衛門の描き方について2度目の鑑賞で思ったこと。長州藩士・山形彦九郎を大スター・風見恭一郎へと変えたのは30年の時の流れと武士時代のトラウマであることは間違いないと思うけれど、30年後の新左衛門は果たして風見のように変わっているだろうか。もし安田淳一監督が新左衛門の30年後の姿を描く映画を作ったとしても、監督はきっと新左衛門に会津訛りの武士言葉を喋らせるんじゃないか。
つまり、風見が変化できたのは、時代の風を読んだ幕末の長州藩士の血が流れていたからでもあるんじゃないかなと。幕末に時代を変えようとした長州藩と、幕府にこだわり打ちのめされた会津藩。どちらが良いかどうかではなく(もちろん福島人としては会津に肩入れするけれど)、安田監督は、両藩の対比をそのまま風見と新左衛門の個性に置き換えて描いたのかもしれない。『最後の武士』に出て世に広く知られた後に剣心会に再入門して斬られ役を続けるところにも、新左衛門の会津武士たる一途さが描かれていると思う。

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里見浩太朗や松平健もタイムスリッパーなのかもしれない

劇場を出て考えた。もしこの話が実話だったら――。里見浩太朗も松平健も、もしかしたら本当はタイムスリッパーなのかもしれない。里見さんはまさに風見恭一郎のように王道の時代劇俳優として、また現代劇にも出演してスター街道を歩んできたが、健さんは金のスパンコールが全身にあしらわれた着物を身に纏ってマツケンサンバなる歌を歌い踊るようになったのだから、己が置かれた立場と与えられた役割を受け入れ、侍の魂を懐にしまってよくぞそこまで振り切ったものぞと、心からの賛辞を贈りたい。

劇中で新左衛門と風見が共演した映画のタイトルは『最後の武士』。まさに、この世に図らずも舞い降りた、他の誰も知る由のない最後の武士の物語。なのだけれど、『最後の武士』が出来上がった後、新左衛門がタイムスリップしたあの夜に新左衛門と行動を共にしていた村田左之助が遅れてこの世に落とされた。やや心許ない侍だが、時代劇の文化と、そこに集う人々の想いは、これからも継がれてゆく。ラストシーンにはそんなメッセージが込められていたのだと思う。

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髙橋晃浩
たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役