完璧主義者のためにならない話
タイトルどおりの内容になると思う。
東京行きの新幹線のなかで私はこれをかいている。
「エッセイのようなものがかきたい!最低一週間に一度は投稿するぞ!」と息巻いて、このブログをはじめた。
…よくて月一回の投稿になっている。
ブログかくことをすすめてくれた友人にも「最近ブログかいてないよね?」と言われる始末。
有言実行できない情けなさと、投稿をチェックしてくれていた友人のやさしさに泣けてくる。
なぜかけなくなったかというと、
人様に読んでもらうもの…。すこしでもいい話をかかねば…!
と知らず知らずのうちに自分に(誰からも求められていない)プレッシャーをかけていたからである。
裏を返せば自分にいい話がかけるとどこかで思っているということ…。
それに気づいて恥ずかしくなった。
本当におこがましいと思う。
きちんとしたものをかかねばと思えば、そのためのきちんとした環境を必要とする。
仕事でいっぱいいっぱいの毎日をすごしていれば、自然と「今日はコンディションがわるいから…」といいわけをしてどんどんできなくなる…。
だめな完璧主義者の見本である。
ブログに限らず、
「きちんとやらねば」とあらゆることに対してプレッシャーを自分にかける→"きちんとやるための労力"を考える→やるのが面倒になる…。
というサイクルを私は無意識に繰り返してきた。
部屋の片付けやら(自分が我慢できないほど散らかってからやる)ブログやら仕事に必要な勉強やら…。
面倒くさがってとりかかるまでにいちいち時間がかかるだけだから、ほんとうに無駄な完璧主義思考である。
そんな自分を変えたくて、拙くても恥ずかしくても、不完全なままのものを自分の決めた期限の中で人に見てもらおうとはじめたブログだった。
でも知らないうちにまた、完璧なものを出そうとしてなかなかかけない自分にもどっている。
そのなかなか自分を変えられないものだなと途方にくれていた。
そこで今日は旅行に向かう新幹線のなかで、いまの気持ちを思いついたままかいている。
(自分が思い描くものとはちがう)不完全なコンディションのなかで、不完全なものをかく。
これも私にとってはちょっとした挑戦である。
こうなりたい!と理想を掲げてもなかなか私は変わることができない。
ただ変わりたくてはじめたブログで気づくことができたこともある。
自分を変えるために必要なのは、一つの大きな決意と挑戦ではなく、多くの小さな行動
だということ。
…またかっこつけていいこと言おうとしている(ただ当たり前のことを言っているだけかもしれないが)。
かっこつけようとする人ほどかっこ悪いものなんだけどなぁ。
こういう悪いくせもなかなかやめられないのであった。
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