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あまのじゃく素直|#2 ヨガとの出会い

…そんなこんなで、どんなこんなで!?誕生したあまのじゃくですが、若い頃は、自分が辛いことに気づきませんでした。
例えば10代の頃は、自分が正しい!と思い込んで、正義を振りかざしたりもしました。
だいたい、社会人になって色々覚える20代前半くらいまでは、好きなことがなくて、人とのコミュニケーションは仕事の話くらいしかできずに、生きづらさは感じていたものの、自分が正しいと信じていたのと、小規模な会社で異動もなかったのと周りの方に恵まれて、それなりに安定していました。

ところが、20代後半に転職してから状況が一変しました。
どういう訳だか、正義を振りかざしていたことをとてつもなく恥ずかしく感じ始めたのです。
すると、自分が正しいと信じていた自分自身を否定し始めました。
自分の方が相手より正しいと思った瞬間に「正義を振りかざす自分は人として足りていない」と変換するのです。
正義を振りかざして人を傷つける代わりに自分を責めて自分を傷つければ、人として「マシ」なのではないかと考えるようになりました。自分の不快感は、自分の至らなさによるもので相手のせいではない…そんなふうに自分に言い聞かせていました。

好きなこともわからないうえに、人前で自分の意見を主張することがなくなった私は、特に仕事中は、自分を抑え続けることになりました。
そうすると、何もしても不完全燃焼になりました。

仕事ができないと思い込んで、恥ずかしくなった私は、キャリアアップと称して大きな会社に転職しました。すると、人と人との関係性がさらにドライになり、自分1人で資料を読み込んで仕事ができる優秀な人たちに囲まれて、体感優位で手取り足取り練習させてもらわないと理解できない私は、自分に無能で役立たずだというレッテルを貼りました。

何をしても不完全燃焼。
仕事を完結させても達成感を味わうことより反省点ばかりが頭をよぎる…。
そのうち、消えてしまいたいと思うようになりました。
そんな時、少しでも楽になりたくて、藁にもすがる思いでヨガを始めました。
当時のヨガのイメージは、身体を柔らかくする運動で、教室によっては精神にも効果的らしい。みたいな、漠然としたものでした。

体験レッスンを受けてみるとホットヨガは、体力的に厳しかったのと、グループレッスンだとつい人と自分を比べてしまうので、家の近所で常温ヨガのプライベートレッスンを探しました。

まず学んだのは、身体を緩めることでした。
1回目のレッスンで呼吸に意識を集中して、身体を緩めていくと、全身をだぁ〜っと何かが流れて汚れが浮き上がっていくような、だる〜いような、でも温泉にずっと浸かっているような不思議な感覚になりました。
確か、翌日は眠くて仕方なかった気がします。
最初は、気が向いた時に予約をとるようなペースでした。
そのうち週に1度通えるようになって。
その頃には、「ヨガに行けば、元の自分に戻れる。」という気持ちと共に、安心して涙が出るようになりました。

ヨガのレッスンでは1時間のヨガとその後のお茶の時間があり、お茶の時間には先生が私の話を聞いてくださいました。
日々の苦しみを重くならないように話したり、本で読んだ心理学などの話を自分なりに理解して話していくと、先生がポジティブな考えに変換して言葉を返してくださいました。
停滞しては、進歩して、また停滞して…苦しみとブレイクスルーを繰り返しながらゆっくりゆっくり進んでいた時、先生が「同じところにいるように思っても、螺旋階段を登っているから、最初より高いところから景色を見ているのですよ」と教えてくださいました。
また、「あなたはビジュアルの力が強いから思い描けたことは、もう解決しているのと同じですよ」とも。
それから、カウンセリングにも通ったり、友だちも変わって少し楽になってくると階段を以前より少し速く登り始めました。
すると「今のあなたは同じ顔をした別人ですね」と言ってくださいました。

アーユルヴェーダについてもヨガの教室で教えていただきました。
自分の特徴を知り、自分は揺れ動くものだと知り、反対の性質のものを取り入れてバランスを取っていく。
季節や時間によっても取り入れるものがかわりますが、あまり厳格にするよりは、自分の体が心地よい方へ、心地よい方へ。
自分の体と対話しながら取り入れるものを決めていきます。
アーユルヴェーダって、自然派のオシャレさんのされることだと思っていたので、「なんだかおしゃれかも🎵」と楽しめる範囲でゆるゆると取り入れました。

ヨガを始めてからここまでおおよそ8年。
その間、他にもたくさんのことを試しました。
どんなことをしたかは、次回以降に続きます🌿

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