道端に落ちたものから広がる世界②〜マイファースト違和感〜
なぜ私は、道端に落ちている突拍子もないものが気になるのだろう。そう考えた時に、ふと思い浮かんだのが、幼稚園の頃の思い出だった。言うなれば、マイファースト違和感。こんなところにこんなものが落ちているなんて、おかしい。そのように幼稚園生でさえもが思ったものが、あったのだ。おそらくそれが、私の落とし物に対しての興味の原点になっているに違いない。
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家からほど近い、歩いて15分程の所にある幼稚園に通っていた。私は母が運転する自転車の後ろに乗って通っていたが、バス通園の子どももいて、広い駐車場が併設されていた。幼稚園は寺と一体となっており、そこには誰もが入ることができた。大通りに面していたし、オープンな立地だったのだ。
私と母はいつも通り、自転車で園に到着した。駐車場に入ったところで、母はクラスメートの友人と出会い、挨拶の流れで立ち話を始めた。大人が話し込むと、長い。私たちはそれをすでに知っている。私と相手の子どもは周りをぐるぐると回ったり、彼女たちの服を引っ張ったりしたが、無駄な努力に終わった。すぐに手持無沙汰となり、何か面白い遊びはないか、きょろきょろと周りを見回した。
その時、ふと駐車場の真ん中あたりに、何か落ちていることに気づいた。私たちはそれが気になった。子どもは、何だって気になるのだ。すぐに歩み寄り、しゃがみ、覗き込んでみる。駐車場の砂利の上に置かれた、ちぎられた紙。そこには、縄で縛られた裸の女の人が何人か並んでいる様子が写っていたのだった。そう、緊縛モノのポルノ雑誌の切れ端が、なぜか幼稚園の駐車所に一枚、はらりと舞い込んでいた。
その意味が分からない私たちは、じっとそれを見つめた。私たちなりに、この女の人はどういう状況なのかを考えていたのだと思う。でも、答えは出ない。痛そうだなあとか、かわいそうだなあとか、純粋にそう思ったのだと思う。そういうものからは、なかなか目が離せない。怖いものを見たくない気持ちと、それでもやっぱり怖いもの見たさの気持ちがせめぎ合い、じっとそれを見つめ続けた。
おそらく長い間そこにしゃがみ込んでいたのであろう、母と友人が私たちの様子に気づき、こちらへ歩み寄ってきた。彼女たちは紙を見るなり悲鳴のような声を上げて、それを急いで私たちの目の前から取り上げた。その様子を見て、ああ、これはここにあってはいけないものなのだ、と子どもなりに理解をしたのだった。
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今思えば、なかなか強烈な原体験だ。きっと誰かがいたずらで、駐車場に紙を投げ入れたのだろう。昭和と平成の狭間、まだ社会が色々な意味で雑だった。駐車場の門は開けっ放しだったのだろうし、警備の人なんて誰もいない。ポルノ誌は、道端にあったのれんのようなカーテンがかかった自販機でふつうに売っていた。のれんなんて気休めで、子どもにもまる見えだし。ひどいものだ。
今でもその時の様子(写真に写っていたものや、母たちの慌てぶり)が記憶に残っているので、やはりいろんな意味で衝撃だったのだろう。純真な子どもたちになんてことをしてくれたのだ、という憤りも今となってはありつつも、このように大人になって言葉にして、それは供養されたような気もする。
とにかくその体験から、私は道端にある違和感に少し敏感になり、それは、小さかったときはもしかしたら、またあんな紙があったらどうしようという恐れや、誰かに見つかる前に処分せねばという正義感からだったかもしれない。今はそのようなものは風化して、単純に違和感にまつわる物語への興味からである。
しかし、例のポルノ誌。改めて考えてみれば、それがそこにあるその背景には何か、気軽な悪意や人としての未熟さが透けて見える。そういったものがまかりとおり、軽視されていた時代でもあった。昨今、昭和がもてはやされているが、昭和生まれの身としては、やっぱり今の方が安心して気持ちよく過ごせるなあと、しみじみ思うのであった。
(不定期連載 ゆるゆる続くので完結時期は未定です。)