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初めての外国、ベトナム① | 世界一周の記憶

|誰の役にも立たない、2006年に世界一周をしたときの記憶|

海外に行ったことがない私が、2005年の大晦日に思い立ち、そのおよそ半年後の2006年7月から世界一周をすることになった。

私はいつだって思いつきの人間だが、それが実態を伴い周りを巻き込み始めたのはこの頃からだったと思う。それはもちろん良い方向へも悪い方向へもいくことはあるのだが、私にとってこの世界一周は、人生の中でもだいぶ大きな意味合いを持っている。このとき私は大学3年生。そのタイミングで行けたことにも、意味があったように思う。

さて、この一連の世界一周の記録について先に述べておくと、誰の役に立つものでもない。どうやったら世界一周できるかとか、どうやって国境を越えるとか、どんなふうにピンチを乗り切ったとか、そういう実利的なことは期待しないでほしい。

私はただ、私の記憶からこぼれ落ちる前に、当時のことを残しておきたいと思ったまでだ。

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ダナン(ベトナム)

◾️気候・服装
最高気温約35度、最低気温約25度です。湿度が高く汗をかきやすい気候です。また、雨が降る場合がありますので雨具をご準備ください。日の出5/25頃、日の入り18:00頃

◾️両替
現在の為替レートは1米ドル=約15000〜16000ベトナムドン。場所により米ドルがご利用いただけるところがございます。米ドル小額紙幣をご準備ください。

◾️物価の目安
タクシー初乗り約15000ベトナムドン、観光客向けのレストランでの食事50000ベトナムドン〜、ビール16000ベトナムドン〜、ミネラルウォーター(500ml)7000ベトナムドンなど。

(2006年7月26日 配布された旅行会社の案内より)

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私の初めての海外は、ベトナムとなった。ダナンという街に降り立ったのは朝7時。まずは朝食を食べるところからだった。当時の日本には東南アジア系の料理を取り扱うレストランはまだ多くなかったと思う。とにかく私はベトナム料理を食べたことがなかったのだが、このときの朝食で食べたフォーの美味しさには心を打たれ、いたく感動したのだった。パクチーもこの時に初めて食べたし、ナンプラーとか、4種類くらい置いてある調味料たちを自分で好きにかけて食べるのも楽しかった。今でもフォーは大好きでよく食べる。
それと合わせてバンクーという料理も食べたと当時の日記には書いてある。(この一連の記事は全て当時の私の日記を参考にしている。)バンクー。今検索してみても、いまいちヒットしない。発音の問題かもしれない。私には、バンクーと聞こえたのだけれど。日記には、”もちもちしたこしのあるワンタンみたいなのに唐辛子やら肉やらがのってた。すごくおいしかった。”と記されている。おいしかったらしい。それにしても、両方割とボリュームがある料理だ。若いからよく食べる。

この時は現地の青年団との交流プログラムに参加していて、朝食もそのプログラムの一環で用意されたものだった。朝食後はトゥエットという一つ下の女の子とペアになって、街を案内してもらっていた。彼女はとても積極的で、おしゃべりが好きな人だった。原付に二人乗りして色々なところに連れて行ってもらった。街は交通量も多く、喧騒に包まれていた。のどかな感じではなく、人々も忙しそうに活発に動いていた。日本の街並みとはやはり違うが、何が違うのかと言われても、決定的な何かを言い当てることはできない。少しずつ違う要素が重なって、その街の雰囲気が出来上がっていくのだろう。

当時のダナンは原付的なバイクが交通のほとんどを占めていた。排ガスのためか、大気汚染が問題となっているとトゥエットは言った。彼女は黒い手袋と黑いマスクをしてバイクを運転した。コロナ禍でマスクが多様化し、今となっては一般的な黒マスクだが、私はそんな色のマスクを見たことがなかったから驚いた。しかもバイクとセットだ。しかし他の人たちも皆、マスクをしながら運転をしていたので、それが一般的なスタイルのようだった。確かに埃っぽい。私はマスクを持っていなかったので、終始素の顔面のまま乗ることになった。

彼女がまず連れて行ってくれたのは、スーパーマーケットだった。この体験は、その後の私の市場好き&現地のスーパー好きへとつながっていく。特にアジアの、雑然とした、市場。あの、独特の、匂い。私はそれが大好きだたまらないのだが、それはここに来たときの衝撃が影響していると今となっては思う。

3、4階建てのきれいな建物。シンドラー社のエスカレーター(当時話題になっていたのでわざわざ日記に書いてある)。動く階段に乗りながら階下を見れば、そこにはぎゅうぎゅうの店と人。ところどころ真っ赤な動物な肉がぶら下がり、と思えば、おもちゃや雑貨も売っている。少し生臭い、香草が混じったような独特な匂いを初めて体験して、ああ、生きるってこういうことなのだと感じ入ったのを覚えている。きれいにパックされた肉を辿ると、血まみれの肉塊、さらには動物をしめるという当たり前なことを忘れてしまう。生きるために、私たちは殺さなければならないのだと突きつけられたような気持ちがした。

いろんなものに圧倒されながら、市場内を周遊する。とあるおもちゃ屋の前を通った時、当時のペットだった犬と同じ犬種のフィギュア?を見つけた。その様子に気づいたトゥエットがすかさず、それ、欲しいの?みたいに言ってきたので(私たちは英語でコミュニケーションをとっていた)、そう、この犬を飼っているの、と答えた。彼女はにっこりと微笑み、私にはわからない言葉で店主に話しかけ、私にそれをプレゼントしてくれた。突然のことに一瞬あっけに取られたが、すぐにありがとう!と言った。彼女は、私よりも年下なのに、とても大人びた人だった。

②に続く

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