シンガポールから電車とバスを乗り継いだマレーシア ①| 世界一周の記憶
|誰の役にも立たない、2006年に世界一周をしたときの記憶|
そもそもこの世界一周は船を使った旅だった。某NGOが運営している100日間ほどで世界をぐるりと回る客船ツアー。居酒屋とかによく貼ってある、あのポスターを見たことがある人も多いのではないだろうか。
だから基本的には寄港地への滞在1、2日程度。そこで自由行動をすることもできるし、追加でツアーを取ることもできる。もちろんツアーには追加料金がかかるので、私のような学生には取れるものも限られてくる。
2つ目の寄港地のシンガポールでは、船旅を通じて仲良くなった仲間たちと共に自由行動で回ることになった。男女合わせて6名、みんな20代だった。男とか女とか、そういうことを全然考えずに、笑ったり怒ったり悲しんだり、共に楽しめる仲間だったし、文字通り、当時は一日中一緒にいた気がする。
シンガポールは、それはそれはとても都会的な場所で、私たちには少し物足りなかった。雑多なところを求めていたからだ。誰かが事前に調べてきてくれたおかげで、どうやら1時間ほどで隣国のマレーシアに行けることが分かった。私たちは迷いなく、国境を越えることにした。
電車とバスを乗り継ぐ。チャイナ?と現地の人から質問される。これからも、何度も同じ質問をされることになるとは、この時はまだ知らなかった。
日本にいると、国境をあまり意識しない。前回の寄港地も着岸しただけだったので、境目を直接見ていなかった。だからこの時初めて、国境を越える瞬間を体験することとなった。マレーシアの街、ジョホールバルへと入る。意外にもスムーズに国をまたげるものだな、と思ったのを覚えている。
ジョホールバルは、今までに嗅いだことのない匂いがする街だった。色々な色が溢れていて、とてもカラフルだったのが印象的だ。見ていて、飽きない。屋台のある狭い道があると思えば、ショッピングビルもあり、さらにはヒンドゥー教の寺院。今検索してみると、なんだかとても都会的な雰囲気の画像ばかりが出てくるけれど、当時の私が見た景色は、もっとローカルな印象だった。
私たちは、とにかくいろんなものを食べまくった。最初に入ったのは、地元民が行くような食堂。実際に私たち以外は、みんな地元民だった。システムがわからず、セルフサービスと見せかけて違ったようで、入る時に止められてしまう。英語も通じているようで通じていないような、コミュニケーションはジェスチャーだより。見よう見真似でなんとか注文をし、食事にありつく。
ナシゴレン、ミーゴレン、あとは肉を包んだなにか。ナシゴレンは日本でも数回食べたことがあったが、ここで食べたものは今までのものとは全く違う味がした。私が今まで食べていたものは、一体なんだったのであろうか。
お察しの通り、私たちはかなり大食漢だ。みんなで合わせて、とにかくたくさん食べられるだけ食べよう、というのが今回の寄港地でのミッションでもあった。この食堂を皮切りに、色々な屋台をはしごすることとなる。
かき氷の屋台では、これまた今まで出会ったことのない商品を食べた。そもそもかき氷と言っていいのかよくわからない。屋台のおじさん曰く、「体に良い薬」だという豆みたいな何かの上に、タピオカを長くしたようなものをかけ、そこに氷、そして黒っぽい液体をかけていた。これは、なんなのだ?確かに健康に良さそうな味がする。しかしあまりに食べなれない味なので、たくさんは食べられない。
でも私はこういう体験がとても好きでもある。人って、いろんなものを食べて生きているんだな、となんだかしみじみするからだ。住むところが違えば、そこにある食材も代わり、料理の仕方も異なる。それが文化と密接に関わっていくわけだけれど、そういう人が長く積み上げてきたものの結果がその地の食べ物でもあるし、それに対して好きとか嫌いとか、自分の舌が反応するのも不思議だし、でもどの食べ物に対しても敬う気持ちは忘れないようにしたいとも思う。
とにかく、私たちが生きていくのに食べ物はやっぱり欠かせなくて、それは世界どこにいても同じこと。食べる、という行為はとてつもなく偉大な行為だと思う。
その後も私たちは、チキンライス、中華パン、肉まん、おこげ?などとにかくたくさん食べた。どの屋台の人も、とても優しくて、私たちは心も体も満たされていった。