北海道で外国人技能実習生とさくらんぼを収穫しながら“家族”について考えた話
南の島から帰ってきて数日、余韻に浸りながらも、私は再びあのインターネットサイトで宿と飯付きの最低賃金以下の農業バイトを探していた。この間は南だったから、今度は北に行こうかな、と安易な理由で北海道の受け入れ先をチェックする。いくつかの条件を照らし合わせ、次の行き先に決めたのは、さくらんぼ農家。出発は来週だ。パソコンを閉じ、次の行き先に思いを馳せる。夏だが、南の島とは気温差がかなりある。そう思いながら、しまってあった長袖を引っ張り出す。
先日、たまたま何年かぶりに知人と会うことになり、就活をしなかったことや南の島で過ごしたことを話した。彼は三十歳以上離れている。面白がって聞いてくれた最後に、「それで、あなたは何がしたいんだい?」と聞かれた。私は、答えに困ってしまった。皮肉でも、嫌みでもない。単純な疑問として、彼は質問したのだ。旅をして、あなたは、どうしたいのか。
最初に旅に出た理由は、もっと世界を知りたかったから、だった。でもそんなことはできないということが、旅に出るなりすぐに分かった。全然、分からない。だから再び旅に出るのだ。
世界を知りたいなどとは、もう言わない。知人には、あいまいな答えを返した。
飛行機に乗って、新千歳空港に到着した。飛行機から降りるのは、毎回楽しみな瞬間だ。その土地の空気に初めて触れることができるから。北海道は、やはり爽やかなにおいがする。実際にそうかは分からないが、そんな気がする。
最寄駅からローカル線を乗り継いで、指定の駅へと降り立つと、そこには中年女性と二人の若い女性がいた。名前を確認され、ようこそ、と出迎えてくれた彼女たちは、今回の雇用主であるお母さんと、同じく農業バイトの二人だった。お母さんは小柄で、少しパーマがかった髪型をしている。エプロンをしたまま駅まで来た姿は、子ども向けアニメのキャラクターのようだ。
少し早口で、そこにいるメンバーそれぞれを紹介してくれた。一週間前から二人は来ているのだという。彼女は、話しながら車に乗り込む。先輩である二人も、それに続く。ボーっと立っている私にお母さんは、後ろに乗りなさい、という仕草で動くよう促し、すぐさまエンジンがかかる。みんなが乗り込み、ドアが閉まるか閉まらないかの内に車は動き出した。
ここから家までは三十分ほど。車窓から見える広大な夏の北海道の景色は、緑色がまぶしい。今回はどんな人たちと働くのだろうか。緊張と興奮が入り混じった落ち着かない心のまま、じっと車に揺られた。
最寄りの駅から三十分以上走って、家に着いた。最寄りの駅という定義が、もはや揺らぐ距離である。むしろ使える駅が行ける範囲にある方が、珍しいのかもしれない。お世話になるさくらんぼ農家は家族で経営しているが、かなりたくさんの敷地を持っているようだった。
まず母屋があり、その横に作業場があり、もう一つ別に下宿用の建物がある。それを取り囲むように果樹が生えた畑がはるか遠くまで広がる。どこまでがここの敷地なのか、わからない。私たちは下宿用の家で寝泊まりするという。先ほど駅に一緒についてきていた二人、「サキ」と「マツ」、それ以外に三人、同じ境遇のアルバイトがいるという。
車から荷物を運び出しながら、下宿所を彼女たちに案内してもらう。サキもマツも、関東から来ている同じ年代の女の子だった。
サキは小柄できびきびしていて、ここに来る前は北海道の別の地域の「牛屋さん」にいたという。農家の仕事もシーズン中は休みがないが、酪農の仕事も一年中休みがない。朝早くに起きて牛の世話をするところから一日が始まるのだと、楽しそうに話した。彼女は自然が好きな人のようだ。
マツは大柄で、おっとりしている。話し方ものんびりで、動きもゆっくりだ。口数もあまり多くないし、そこまで自分のことも話さない。年代が同じで、学生で、休みの期間を使ってここに来ているという情報だけしか、彼女のことは知ることができなかった。でも、いい人そうだということは、伝わった。
今回はきちんと農業の仕事に専念できそうだ。ほっとしつつ、農家で働く他の人にあいさつへ向かう。まず、駅まで来た経営者家族のお母さん。そしてその隣にいたのは、経営者家族の娘、二十代後半くらいのかわいらしい女性だ。二人は母屋の横の作業所で、十人ほどいるパートさんを取り仕切っている手を休めて、私をみんなに紹介する。ここで働いているのは季節パートさんで、地元の人。五十~七十代の女性がおしゃべりしながら作業をしている。あら、また若い子が来たのね、なんて言いながら迎え入れてくれる。和やかな雰囲気に、また一つ安心する。楽しくやっていけそうだ。
みんながいる作業所と母屋、下宿所は敷地内の中央にあり、建物から上は傾斜地になっている。木がびっしり生えている様子が下からよく見える。花が咲く時期はきれいなのだろうなあと見とれていると、上の方から不思議な乗り物に乗った男性二人が下りてきた。
軽トラを上下に真っ二つに切ってある下の部分だけで動いている。初めて見るタイプの改造車だ。この形状は、さくらんぼの木を傷つけないようにするために編み出したものなのだという。ここは自分の敷地だから、車検も何もないのだろう。
乗っていたのは経営者のお父さんと、若い男性。婿養子だ。にっこりと優しい笑みでお父さんは歓迎してくれる。婿養子のお兄さんも真面目そうだ。軽トラの荷台には摘み取られたさくらんぼがたくさん載った籠と、三人の女性も所せましと乗っていた。彼女たちが同じアルバイトの「みっちゃん」、「のんちゃん」、「ユウ」だ。今日からよろしくね、とみんなで輪になってあいさつをする。
到着したのは夕方だった。そろそろこの日の終業時間だ。パートの地元女性たちと、アルバイトたちは仕事を終える。パートさんたちはそれぞれの車に乗り、また明日、と早々に散っていった。彼女たちを見送り、残された私たち。経営者家族は、まだこの後も果実の選別などの仕事が残っていると言い、忙しそうに作業所に戻った。収穫の時期は、私たちよりも朝早く、そして夜遅くまで毎日働いているそうだ。
お母さんは私に、生活のことは他のみんなに教えてもらいなさい、とてきぱき仕事をしながら言った。どうやら私たちはこれから、夕ご飯の準備があるらしい。毎日の夕ご飯は、自分たちで作る。今日の当番の、のんちゃんとみっちゃんに教えてもらいながら一緒に準備をすることになった。
のんちゃんとみっちゃんは、とても仲がよさそうだ。聞けば、もともと友達なのだという。彼女たちは三十代後半で、名古屋から来た。学生時代からの付き合いで、社会人としてそれぞれ働いていたが、思うところがあって最近仕事を辞めたのだという。偶然二人とも同じタイミングでだったので、今しかできないことをしようとここへ来たそうだ。飛行機でなくフェリーでのんびりと旅しながら来たんだよね、と顔を見合わせる。社会人からしたらあり得ない額でのアルバイトだから、お金のために来たのではなく、他のものを求めてきたのだろう。
当時二十代前半の私にとって二人は、見た目は若々しいのに、とても大人に見えた。料理も得意で早々と準備を始める。やることを教えてもらいつつも私の出る幕はなく、ボーっと二人の作業を眺めながらここでの生活のことを教えてもらった。
まず五時半に起床、朝ご飯当番がご飯を作り、アルバイトみんなで頂く。支度を済ませ、七時から始業。内容はその日によっていろいろな割り振りがされるが、さくらんぼの収穫や選別が主な仕事だ。
お昼休みは十二時から一時。終業は六時。十時と三時にはおやつ休憩。仕事の後はまた当番がご飯を作る。並行して、洗濯当番もいるという。アルバイト六人の洗濯物をまとめて洗濯し、干す。だから夜は地味に忙しい。ちなみに休日は、シーズン中は基本的にない。実際に全くなかった。文字通り、休みなく働き詰めだ。
とはいえ、規則正しい生活が送れそうではある。健康的でいいかもしれない。ぼんやり話を聞きながらそう思っていたら、できたよ~、と二人は机にいろいろな料理を並べだす。どれもおいしそうだ。「みんなを呼んできて」と言われたので、下宿所にいる他のメンバーを呼びに行く。みんなでぞろぞろと食卓に並び、最初の夜の食事が始まった。
六人いると、揃って話すのがなかなか難しい。ここで初めて、まだちゃんと話せていなかったユウと話ができた。彼女は二十代半ば、フリーターをしているという。色々なところを巡り歩いているようで、ここに来る前はアスパラ農家にいたと話してくれた。
「アスパラって、面白いんだよ~伸びるのが早くって。」
とアスパラについてとうとうと話し出す彼女。つかみどころがないキャラクターのようだ。その夜も、自分の荷物の中から大事そうに取り出した仏像を紹介された。信心深いのかと思いきや、別にそうではないのだという。よく分からないが、そのよく分からなさが彼女の魅力でもあった。
毎日のご飯は敷地内の畑で撮れた夏野菜で構成されている。近くにスーパーは皆無で、とにかく本当に何もないところだった。だから、基本的に自給自足だ。パートの人や、近所(といっても隣家は車で十分かかる)が分けてくれる肉や魚がたまに食卓に上がる。それ以外は基本的に野菜のおかずだ。
ダイエットにいいな、と思ったが、そんなことはなかった。毎日の労働の後の米はおいしくて、二杯以上は必ず食べてしまう。また、通称「はね」と呼ばれる流通には乗せられない傷ついたさくらんぼが常に部屋に大量においてあり、二十四時間食べ放題なのだ。果物とはいえ、糖分たっぷりのさくらんぼ、帰る時にはしっかりと肥えていたことは言うまでもない。
夕飯の後、各自風呂に入り、明日の準備をする。ここでの仕事が、始まる。下宿所の部屋で合宿のように六人で布団を並べて寝る。一体どんな日々が待っているのだろうか、わくわくしながらも、移動の疲れもありすぐに眠りについてしまったようだ。気づけば、朝になっていた。みな、てきぱきと動き出す。私も後れを取らないように、作業所へと向かった。
ーーー
朝ご飯を食べ、今日の仕事が始まる。私たちアルバイトは、その日の必要な仕事に合わせて、バラバラに働く。得意なものや体調に合わせて六人の中で調整ができるので、融通が利くようだ。
この日、私はさくらんぼの収穫をすることになった。お父さんと婿養子の「シンさん」と、ユウとともにあの改造軽トラに乗り込んで作業所から上ったところにある畑へ向かう。改めて、この車の形をまじまじ見ると、本当に真っ二つにぶった切ってある軽トラで、軽トラの断面図を見ているようだ。後ろの荷台にすべての高さを合わせてあって、遊園地にあるカートの雰囲気に近い。どうやって作ったんですか?とお父さんに聞くと、「軽トラを切ったんだよ。」という答えが返ってきた。それ以上に特に話すことはないような素振りだったので、深く聞くのをやめた。何回か見ると、この車も普通に見えてくるのだから、人間の感覚とはそんなものなのだろう。
畑に着くと、お父さんとユウと私を下ろして、シンさんはもう少し上の畑に軽トラで向かった。じゃあ、始めようか、というお父さんの声と共に、仕事が始まる。
さくらんぼの収穫は、脚立に上り、果実を摘む、それを籠に入れて、最終的に作業所へと集めて選別にかける。シンプルな手順だが、果実はとてもデリケートなのでべたべた触らないよう、指導を受ける。色々な種類のさくらんぼの木があり、かなり大ぶりなものもある。この品種は贈答用で、触るだけで指の形に傷むから、籠に入れる時も気を付けてね、と最初に教えてもらった。
木は脚立の一番上に乗って届くか届かないかくらいの高さに切り揃えてある。収穫しやすいように形を整えているようだ。とはいえ脚立がそもそも高い。二メートルくらいの大型のものだが、下を支える人もいない。くれぐれも気を付けてね、と言われて気が引き締まる。昨年は男性のアルバイトもいたが、脚立から落ちて骨折してしまったという。全治二か月でさ、収穫の時期に全然仕事できなかったんだよ、と笑って聞かされたが、全然笑えない話だ。
やり方を一通り教わったら、実際に収穫をする。大きな脚立を持ち、果実がなっているところに狙いを定めて、広げる。地面は木の根っこが至る所に伸びているので、全く平坦でない。そもそもここは傾斜地なので、脚立のすべての脚を地面に接地させるのは難しい。
何とか安定させて、二段、三段と上る。顔を上げると、顔の真ん前にさくらんぼが下がっている。これではうまく摘み取れないので、今一度降りて、場所を設定し直す。最初はこんな調子で、脚立を狙った場所に置くのに難儀した。脚立を安定させるために、あまり遠くに手を伸ばさない。がっしりと下半身は脚立に固定しておく。地味に体幹が鍛えられそうな作業だ。
さくらんぼは、つやつやしていて見るからにおいしそうだ。ある程度赤くなったものを見定めて収穫する。木でできた籠に沢山入ったさくらんぼは、飾っておきたいくらい輝いている。さくらんぼを摘む、脚立を置き換えて、また摘む、籠がいっぱいになったら、また新しいものに持ち替えて、摘む。その作業を繰り返していたらあっという間に、十時のおやつ休憩の時間になった。
コンテナを逆さまにして置いて、即席のイスとテーブルが出来上がる。このやり方は、各地で共通しているようだ。持ってきた水筒に入れてきたお茶を飲みながら、お菓子をつまむ。ピクニックしているような気分で、気持ちがいい。何よりここは眺めがいい。傾斜地の上の方から雄大な北海道の景色を望むことができるのは、傾斜地ならではの特権だ。体を休めながら、おしゃべりをしばし楽しむ。ここに来てくれてありがとうね、助かるよ。とお父さんは優しい言葉をかけてくれた。
ここに来るまでの話になったので、私もこの間までいた南の島について話す。もちろんスナックのことは言っていないが(説明が面倒くさかったのだ。)、美しいサトウキビ畑や海のことを話すと、お父さんもユウも楽しそうに聞いてくれた。
ユウはまた、アスパラについて話している。この近くでもアスパラを育てている所も多いらしく、お父さんもアスパラ談議で盛り上がっていた。私も、今まで知らなかったアスパラについて、詳しくなってしまった。
おやつも食べ終わり、同じ作業に再び取り掛かる。脚立、さくらんぼ、籠。それぞれを行ったり来たりしながら、ふと見れば、地面にはたくさんの籠がびっしり並ぶ。本当にきれいな赤だ。こんなものが木から生えてくるなんて、自然の摂理の偉大さを改めて思い知らされる。
作業していたら、あの軽トラが上からやってきた。シンさんが運転している。そろそろお昼です、と私たちに声をかけると、お父さんは作業をしている手を止め、無言で地面のかごを軽トラに積み込む。私たちもそれを手伝い、荷台は籠でいっぱいなった。籠を積み終わると助手席にお父さんが乗り込み、じゃあ、持っていきますね、とシンさんは私とユウに声をかけ軽トラをゆっくりと走らせる。返事をし、軽く片付けをしたら、私たちは歩いて坂を下りて作業所へ向かった。なんだかもやりとしたものが、胸の中に漂う。お父さんは私たちにはとっても優しい。いつでも笑顔で対応する。なのだが、シンさんに対しては、全く態度が違って、笑顔ひとつさえ見せなかったのだ。
五分ほど歩いて作業所に着くと、たくさん集まったさくらんぼが並んでいた。選別チームが私たちをお帰り、と迎え入れる。パートさんたちは慣れた手つきでプラスチックのパックにさくらんぼをきれいに詰める。するとそこに、昨日見かけなかった女性が、二人いることに気がついた。つばのついた、頭から首にかけて覆う花柄の被り物をして、腕にもカバーを付けて、熟練のパートさんたちと同じ格好をしている。お母さんが、昨日会えなかったね、この二人は中国の人たちね、と二人を紹介する。こんにちは、と二人は私にあいさつをした。私も同じように、こんにちは、と頭を下げた。
この二人は私たちアルバイトとも、パートさんたちとも違って、経営者家族と同じ時間、つまり早朝から夜遅くまで働いているようだ。簡単な日本語は話すが、会話をすべては理解していないようで、パートさんたちとのおしゃべりにも参加していなかった。私たちは昼休みに入る。中国の彼女たちは、母屋の方で食事をするようだった。その後ろ姿を見送りつつ、私たちも下宿所へ戻った。
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