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星のやと、レミゼと、敵と、加齢について|徒然
先日、学生時代の友人に誘われて「星のや東京」に二人で泊まることとなった。こんな機会はそうそうないだろうから、二つ返事で了承し、そそくさとスケジュールに予定を書き込んだ。
星のや東京は塔の日本旅館、というコンセプトの通り、その立地は、東京駅から歩いて程なくしてある高層ビル。一階の狭い間口が入り口となっており、丁寧、でもさりげない出迎えの先に、素人目に見ても美しく手入れされた、盆栽をでっかくしたような木が生えていた。松だろうか。客室へ向かうエレベーターの到着音は、ピンポンなどというありきたりのものでなく、カンカン、と軽やかに響く拍子木の音。細部まで作り込まれた世界観だ。
専門家の友人は部屋や館内のしつらえに感動しきりで、それを聞いて私も、なるほど、ととても勉強になった。壁や天井、建具ひとつひとつは、滞在する人の非日常を悉く演出し、一瞬たりとも日常を思い出させない。涼しい顔をしてそこに置いてある家具全てにも職人技が垣間見られ、その手間や細やかさに、もはや恐ろしくなるほどだった。
最上階には、大手町の中心に湧いた温泉がある。ヨウ素で黒く透き通るような泉質と合わせるような、黒を基調とした浴室内はとても高級感があり、木製の椅子や桶も、黒ずみひとつなく鈍く光り、それだけで端正な佇まい。そこからのれんで隔てられた露天風呂は、湯に浸かりながら自然を眺めるようなものとは、一線を画していた。茶室を思わせるような、簡素だけれど計算された作りと、上には切り取ったような空の眺め。そこにちょうどそろそろ満ち切る月が現れ、とても美しい光景だった。その静謐さに私は、すっかり魅了されてしまった。
館内でのもてなしをあれこれ楽しみながらも、友人と、ひたすら最近のこと、これからのこと、今考えていることなどを話していると、あっという間に夜が更ける。まだまだこの夜をできるだけ長く過ごしていたいところではあるが、若い頃に比べあまり夜更かしできなくなった私たちの体は、睡眠を求めていた。その声に素直に従い、二人で真っ白でふわふわの、まるで雲に包み込まれているかのような、寝心地良い布団に寝転がった。
目を閉じながら、ふと思い出したのは、彼女が学生時代に一人暮らしをしていた部屋だった。あの時も、こんな風に深夜まで散々語り尽くした後、隣に寝っ転がっていた。部屋の中は、缶に入った甘い酒とスナック菓子の匂いで充満していて、顔は少し脂っぽく、起きたらニキビができている予感がした。胸の少し下に感じる消化不良と、カーテン越しに感じる朝焼けは、できるだけ無視して、彼女は自分のベッド、私は床で、布団を被った。あの頃、何度もあった、そういう夜(朝)を、思い出していた。
20年ほど経った今、私たちはこうやって、星のや東京の極上ベッドの上に寝転がっている。そう思うと、少しばかりは自分も、大人になったのかしらとしみじみした。人生は70年くらいだろうという、勝手な目論見で35歳で人生を折り返したと公言したときには、(特に年上の友人たちから)あまり賛同が得られなかった。しかし40歳にさしかかる今、きっと誰もが折り返しであることに納得してくれるだろう。壮年期。つまり、人生の後半という時期に、該当するのだから。
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歳を重ねることや、死に近づくと自覚すること、またはそれを口にすることについて、あまり快く思われないことが多い。私はそれに、とても違和感がある。まだまだ若いから、とか、年寄りみたいなこと言わないで、とか、これからでしょ、とか、そういう言葉に対しては、えーそうですかぁー?と受け流しつつも、心の中ではいいや、違うね、と思っている節がある。(どうもすみません。)
20年前の私の体と今の私の体では、明らかに次の日の朝の、重さが違う。重力が狂っているように錯覚するほどだ。夜更かしなんて、するもんじゃない。だからあの夜の私たちは英断をした。確実に体は老いているし、それに抗いようもない。
ただそれに、悲観することもない。ごく当たり前のことなのだから。生まれた瞬間、私たちは死に向かっているのだし、それを見て見ぬふりして、誤魔化すことのほうが、私には無責任に思える。年齢に応じて、体を手入れすればいいだけだ。しっかり手入れした道具は、長く使える。
体はともかくとして、最近自分でも新鮮な驚きを感じているのは、精神の部分においての(おそらく成長ではなく)加齢だ。ある分野において、明らかに今までとは様相が違うと思えるようになった。それは、明らかに歳を重ねたからなのだった。そして私はその変化を、興味深く見ている。
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最初にその異変に気づき始めたのは、ある作品がきっかけだった。
30年ほど前、私が小学生の頃、ドラマシリーズ「古畑任三郎」がとても流行っていて、毎週欠かさずに見ていた。隣で見ていた母は、田村正和を大層褒めそやしていたが、当時まだ10歳ほどだった私には、母の言っていることはあまり理解できず、へえ、と気のない返事を返していた。
しかし先日、再放送で再びドラマを見たときに、色褪せない(いやむしろリマスターされた)田村正和を見て、母が言っていたことが、急に腑に落ちたのだ。肩パッドの入ったジャケット、真っ青な詰襟のシャツにサスペンダー。それが似合うのは、田村正和しかいない。あの時の母に完全同意したい気持ちだった。
あれ、と思いながら、そのままドラマを見ていると、当時20代であったであろうトレンディ俳優たちに、新しい感情が芽生えたことに気づいた。子どもを見るときの、あの心情。そうか、そういうことか。
自分が「産める」年齢の人(だいたい15歳くらい年下)を見ると、男女問わず、よくここまで立派に育ってきたね、という謎の母目線が入ってしまうようになっていた。運動会で、よその子の頑張る姿に感動してしまう、あれと一緒だ。そう思えるほどに、どうやら、私は、歳を重ねたようだ。
極め付けは、星のや東京の帰りに見た映画、「レ・ミゼラブル」だった。
(ここからいくつかネタバレを含むので見たくない人は読み飛ばして欲しい)
恥ずかしながら、あの名作を私はこの歳になって初めてしっかりと見たのだが、私が一番心動かされたのは、ジャン・ヴァルジャンがファンティーヌから引き取り、大切に育てた娘コゼットへの愛だった。特に彼女の運命の相手であるマリユスを、どうにか死なせずに戦場から返そうと、自らの命を顧みずに奮闘した場面だ。
若い頃にこの作品を見ていたら、全然違う場所で感動していたと思う。きっとフランス革命に参加する若者たちの志あたりに心動かされ、勇気をもらっただろう。しかし、今となってはもう、老いたジャン・ヴァルジャンの心境にひどく感動し、大いに泣いてしまった。最後に息を引き取るシーンに関しては、悲しいシーンとは全く思えなかった。彼は、自らの死を快く受け入れたようにすら見えて、ただ、美しかったのだ。
しかしその一週間後、期せずして、対照的な作品を鑑賞した。筒井康隆原作の「敵」。有終の美を飾ろうとするにも関わらず、やはり甘美な生には抗えず、しかし死からは逃げられない高齢男性の、夢なのか、現実なのか。あの特有のナルシシズムや、生にしがみつきあがく姿は、滑稽ながらも、とても生々しい。鑑賞後の何やらじわじわくる恐ろしい感覚は、死ぬことへの恐ろしさ、老いた自分を引き受けることへの恐ろしさ、果たしてどちらだったのだろう。
美しくもありたい気もするが、滑稽を振り切るのもいいかもしれない。今際の際に、自分がどのように反応するのかを、今、知る由もない。でも、死(加齢)を考えることは、どう生きるか、を考えることでもあると、やはり思ったのだった。
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星のや東京で迎えた朝、私たちは皇居ランをした。彼女はともかく、私は全く走り込みなどしていないし、むしろ走ることが嫌いだ。でも、何か健康になれそうという気持ちもあり、(下心としては朝風呂に気持ちよく入るために、)5キロほどをゆっくりと走った。
そして、満を持してあの現代美術みたいな露天風呂に入って空を眺めて、客室に運ばれてきた6千円もする朝食を、黙々と食べた。レ・ミゼラブルを見にいくことは、食後に思いついたことだった。(そんなふうにいつも私たちは、思いつきで行動する。)
チェックアウトの時間をそれに合わせて決め、私は徒歩で映画館へ、彼女は電車で子どもたちが待つ家に電車で帰ることになった。ホテルのエントランスを出た瞬間に、じゃ、と言って別方向に歩き出す私たちに、送迎スタッフは少し戸惑っていたようにも見えたが、そこは星のや、最後まで丁寧に、それぞれの道のりを説明するもてなしだった。
その時、背負っていたリュックには皇居ランのために持ってきた汗まみれのスポーツウェアと、ホテルのロビーで自由に食べていいと言われた両口屋是清の羊羹が入っていた。彼女と出会った大学の部活時代と同じような中身であることに気づき、自分でツッコミそうになった。きっと、本当の「大人」なら。星のやを出る時に、そんなリュックは背負っていないだろう。
加齢と大人になることは、少し違うのかもしれないな、と思いながら、映画館に向かって都心のビルの間を足早に歩いた。(ひどい筋肉痛は2日後にやってきた。)