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高円寺で忍者になった私たち①|まちエッセイ

初めて訪れた時から、ここに住みたい、とどうにも思ってしまう"まち"がある。今まで生きてきた中でいくつかあるが、私にとっての初めてのまちが、高円寺だった。

当時の私のクローゼットには古着ばかりが入っていて、雑多な雰囲気が大好きだったし、商店街もたくさんあって、どんな風貌であろうが誰も気に留めない(実際にいろいろな風貌をした人がまちを闊歩している)そのまちの雰囲気が、一度訪れただけで気に入ってしまったのだ。

次にパートナー(今の夫である)と一緒に高円寺に訪れた時には、吸い込まれるように不動産屋へと入った。そしてその日に内見と契約をし、私たちはそこに引っ越すことになった。

私たちが住むことになった物件は、大家が同じ建物に住むタイプの集合住宅だった。何かあった時に安心だし、住所にも「高円寺」が入っているし、二人で済むなら家賃も高くないし、おすすめですよ、と不動産屋が見つけてくれたのだ。駅も近いし、二人で住むにはちょうどいい広さだった。窓から空がぽっかりと広く見えて、私はそれが気に入った。

それぞれの実家から、友人の軽トラに荷物を積み込み、新しい部屋に集合させた。見送る親は、少し寂しそうだったが、それとは対照的に私は新しい生活に心躍っていた。一人暮らしではなく、パートナーと暮らすのだし、寂しくはなかった。

軽トラを出してくれた友人とともに、昼食には出前のピザを頼んだ。食べ終わると彼はじゃあ、といって帰っていった。私たちだけの部屋。少ない荷物の荷ほどきはすぐに終わった。家具や家電はまだひとつもない。それらを買うところから、生活が始まった。

初めて過ごす夜、がらんとしたフローリングのその部屋で、初めての食べた食事はコロッケだ。今となっては、何でそんな面倒くさいものを選んだのか、つっこみたくなるところだが、当時の私は料理なんて数えるほどしかしたことがなく、少し見栄を張りたかったのだ。

しかし、工程の多いコロッケ、しかも揚げ物である。案の定時間はかかり、うまく揚がらず、そんなできそこないのコロッケなのに喜んでくれたパートナーを見ながらも、私はしょんぼりしたのを覚えている。段ボールを逆さまにして、テーブルにして向かい合ってもそもそ食べる。まるで、三文小説に出てきそうな風景に、思わず笑った。

当時、私は無職だった。パートナーは学生で、つまり私たちは金がなかった。私は大学を卒業後、ふらふらと各地を旅しながら薄給の農業を手伝っていた。そこから帰ってきて、すぐにここに引っ越したから、ほとんど貯金などない。仕事をしなければ、と思いながらも何も予定のない毎日を過ごしていた。

ただ何もせずに日々を過ごすということをうまくできる人とできない人が、この世にはいると思う。私は後者で、引っ越して来たばかりの家具のない家で、あまりの暇さに発狂しそうだった。使える金があれば、その日々は、「自由」になるのかもしれない。しかし若い私には、金がなかった。買い物に行くにも、どこに行くにも、躊躇してしまい、結局家にいざるを得なかった。そのため、3日ほどで発狂寸前まで追い込まれてしまったのだ。

夜ご飯は、パートナーがアルバイト先でもらってきた大量の菓子パンだった。引っ越し後すぐ中古で買った冷凍庫に、食べきれないものは入れておいた。百貨店に入っていたパン屋のものだから、リッチな味わいでカロリーも高い。若い私たちには、最高だった。今では一個食べるだけで、胃がもたれてしまうかもしれないが、何個でもむさぼった。カロリーは生きる上で欠かせない。

とはいえ、こんな日々を続けているのはまずい、という焦りから、当時駅のラックに山積みされていたタウン誌のバイト募集欄を血眼になって探し、仕事にこぎつけた。愛想だけはよかったので、面接に落ちたことはなかったのだ。アルバイトだが、フルタイム。中央線に乗って数駅のところにある商業施設のショップスタッフの仕事だった。

ポップな服を売っている店先で、いらっしゃいませ~といいながら服をたたむ。たまに来た客に話しかけ、にこやかに会話をする。ティーン向けのショップではあったが、若い人からそうでない人まで、いろいろな人が来た。足繁く通う常連さんもいて、世間話をすることも多かった。
レジ業務や納品があれば品出し。閉店時間が近づけば、さっさとレジ締めをして帰宅する。ノルマも特になく、売れようが売れなかろうが、私たちには関係ない。

仕事はシフト制だったので、土日は基本的に仕事で、遅番と早番がある。家を出る時間はバラバラで、夜遅く帰ってくることも多い。ご飯の時間も不規則だったが、少しずつ自炊するようにした。食費削減のため、毎日弁当を作って持って行った。弁当といっても、パンにチーズを挟んだものとか、もやしを炒めたものとかそういうものだったが、休み時間に休憩室でしんなりしたそれらを食べたら、なんだか金が増えるような気がして、いいことをしている気になった。

でも、実際はそうではなかった。仕事の単調さや不規則さ、帰宅まで立ちっぱなしで疲れ果てた体で、夜に自炊することはなかなかできなかった。かろうじて仕事に行く前に弁当のもやしだけはどうにか炒めたが、その栄養不足の代償として、夜にたっぷり食べなければどうしようもなかった。日々の憂さ晴らしも必要で、結局、私たちは安酒を飲み歩くことに金を使いまくっていた。

幸運にも?高円寺には大量の飲み屋がある。私たちはお腹を空かせながら、夜な夜なまちへと繰り出した。

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