高円寺で忍者になった私たち②|まちエッセイ
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道にはみ出しながら置かれたテーブルとイス。それを仕切る簡単なビニールカーテン。軒先に掲げられた赤ちょうちんが、ゆらゆらと光る。まだ明るい昼過ぎから屋外の席に人が集まりだし、酒を飲む。このまちでは昼から酒を飲んでも誰も咎めない。
しかし、高円寺が一番生き生きする時間帯は、まぎれもなく夜だ。夜の高円寺は、誰がどう見ても生き生きしている。所狭しと並んだ高架下の店や商店街は、夕方くらいから少しずつ賑やかになっていく。
私たちも夜な夜な店に繰り出し、安酒を飲んだ。でもそれはおそらく、酒を目当てにしていたようではない気がする。そのまちの雰囲気が好きで、私たちもその風景の一部になりたかったのだと思う。周りの人たちと同じように、酒を飲み、つまみを食らう。どこか力が抜けていて、気取らずに済むその景色に溶け込むと、私たちは束の間、心が緩んだ。
遅番の日は飲み屋に行く時間がなく、駅降りてすぐのコンビニで缶チューハイを買った。駅から家までは徒歩10分程。飲みながら歩いて帰れば、家に着く頃には缶は空っぽになる。まだストロング系の缶チューハイがない頃。5%くらいのアルコールは、程よく心が緩むのにはちょうどよい。晴れていて、夜空に星が光る日は格別だった。幸い住宅街に入れば人も少なく、すれ違う人も少ない。たまに立ち止まり、上を見上げる。私は毎日、何をやっているのだろうと考えることもなくはなかったが、時折吹く夜風がそれを吹き飛ばした。
SNSがまだ今のように普及する前、もう少し平和だった時代に、知らない誰かが、外で飲んでる人って何なんですか?みたいな質問を投げかけていた。それに対して、これまた知らない誰かが、まちと飲んでいるんですよ、と答えていた。すごく、美しいと思った。私はそれを今でも覚えていて、高円寺で缶チューハイを飲みながらとぼとぼと歩いていた時代のことも合わせて思い出す。そうか、私はまちと飲んでいたのだ。誰もいない家に帰るのがなんだか嫌で、だから、回り道をして帰っていたのだ。
そうやって日々を過ごしながらも、月日は少しずつ経ち、私たちも暮らしが板についてきた。新しい住まいは段々と家具が増え、家らしくなっていった。
引っ越してから一か月ほど経った頃、棚があるといい、みたいな話になって、組み立て式のものを環七沿いのドンキホーテまでバイクで買いに行った。思えばこの家具が発端だった。
次の日仕事が終わった後に、それをトンカチを使って二人で組み立てていたら、突然インターフォンが鳴った。19時くらいだったと思う。応答しようと立ち上がると、こちらが出るのを待たずに、ドアの外から男の怒鳴り声が聞こえてきた。私たちは、思わず固まる。パートナーが画面越しに、はい、と答える。
タンクトップの男が、画面の中で、おい、いい加減にしろよ、うるせーんだよ、と主張している。いや、二重に廊下に面した窓からも声が聞こえるから、実際にそこにいる。彼がうるさいと言っていたのは、おそらく私たちがトンカチを使って家具を組み立てていた音だろう。階下の部屋に住んでいるようで、いつここに来たんだよ、とか、最近網戸の音がうるさいんだよ、とか、次々にまくしたてる。すごく怒っている。こんなに人に怒られたのは初めてだ。
パートナーは辛抱強く応答した。結果、最終的には気をつけろよ、と言い捨ててその男は帰っていった。
作業を始めて10分くらい。私の心臓はしばらく音が高鳴り続けた。その日、家具を組み立てるのは、あきらめた。
確かにトンカチも使っていたし、うるさかったかもしれない、と二人で反省し、窓や網戸の開閉音や足音に気を遣うようになった。着地する際には、そっと爪先から。靴下を履いていると、なおよい。私たちはかようにして、この夜から忍者を始めた。その存在をできるだけ消しながら、いつ爆発するか分からない爆弾におびえて生活することになったのだ。
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