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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(18)
うっすらと白いものが見えた。視界が広がっていく。
白い天井。悠介は横たわっていた。眠っていたらしい。左腕から細いチューブが伸びている。
点滴だ。倒れたんだな。ぼんやりとそう思った。
「悠介、ごめんな」
声のする方に目だけ動かした。斉藤が悠介の足の方で椅子に座って、うなだれている。悠介の意識が戻ったことには気がついていない。独り言だ。
「俺が追いかけすぎたんだ。俺、まだお前は頑張れると思ったから」
悠介は気まずかったので目を閉じて寝ているふりをした。
「俺、新人の教育担当だから。新人は限界の一歩手前まで追いかけろ、厳しく指導しろって言われてたんだよ」
ここにもサマスペ命のばかがいた。そんな使命感をどうして持つのだろうか。鼻をすする音がする。泣いているのか?
「俺も去年のサマスペで鍛えられた。それで自分に自信が持てるようになったんだ。それがサマスペなんだ。だからサマスペの間は恨まれても、新人のためになればと思って……」
急に不安になった。泣かれるほど悠介は深刻な状態なのか。毛布の下でそっと手足を動かしたが、筋肉痛以外に痛みは感じなかった。頭ははっきりしている。倒れるまでの記憶もある。
しかし斉藤は泣いている。悠介は点滴を打たれている。
はっとした。悠介の胃の底が熱くなる。
入院は嫌だ。困る。絶対に駄目だ。あと二日でゴールなんだ。明日は鹿児島に入る。こんなところでリタイアしてたまるか。
その時、由里の顔が浮かんだ。水戸の話を思い出した。由里に好きな男がいるのなら、もうサマスペを続ける意味はない。
それなのに今の悠介は最後まで歩くことしか考えていなかった。
悠介は「うーん」と呻いてみせた。
「悠介、気がついたか」
「ああ、斉藤さん」
「待ってろ、先生を呼んでくる」
斉藤が病室を走り出る。入れ替わりに水戸が入ってきた。手にスマホを持っている。大梅田と話していたのだと思った。メンバーのみんなも、悠介が倒れたことを知っているだろう。
野犬に襲われた夜に引き続いて騒がせてしまった。これでは悠介はトラブルメーカーだ。
「おお、悠介。起きたか」
「すいません」
身体を起こそうとした。
「いいから寝てろ、寝てろ」
水戸は悠介の様子をじっと見る。
「俺、倒れちゃったんですね」
「ああ、驚いたぞ。がさがさって音がしてな。振り返ったら花壇に前のめりに倒れてたんだからな」
「ところどころは覚えてるような気がするんですけど」
「ああ、半分意識はあったみたいだな。大丈夫ですとか、眠いとか口走ってたからさ。ここに運ばれた時のことはわかってたか」
「なんだか揺られていたような。でも力が入らないし、目が開かなくて」
「斉藤がお前をおぶって運んだんだ」
「斉藤さんが……」
「近くに病院があってよかった。救急車を呼ぶところだったからな」
「あの、水戸さん。俺、どうなんですか」
「まあ待て。今、先生が来るから。血液も採っていたから結果が出るだろう」
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病室のドアが開いた。聴診器を首から掛けた白衣のおじいさんが入ってくる。後ろに看護師の制服を着たおばさん、そして斉藤が神妙な顔でついてきた。
「うん、うん。よく寝てたね」
おじいさん医師はベッドの隣に椅子を出して、悠介の脈をみた。
「どこか具合の悪いところはあるかね」
悠介は身体の中に耳を澄ませてみた。
「特にどこも。それよりすっきりした気分です」
「ふむ、ふむ」
医師はおばさんから渡された紙に目を通している。
「先生、こいつの容態は?」
水戸が医師に尋ねる。悠介は息を止めた。
「まあ、ただの疲れだね」
おじいさんは見事に白い髪を撫でつけて、あっさりと言った。悠介はふうっと息を吐き出した。
「ただの疲れ、なんですね」
「よかった」
斉藤が目を固く瞑ってから笑った。顔面崩壊だ。
「暑い中を毎日何十キロも歩いたら、そりゃあくたびれるだろう」
水戸か斉藤からサマスペの話を聞いていたようだ。
「すっきりしたのは熟睡したからだ。それに疲労回復用の点滴を打ったよ。若いんだから栄養のつくものを食べて、ゆっくり休めば回復するさ」
おばさんが「冒険はほどほどにね」と笑いながら、腕から点滴の管を外してくれる。
「さて、もう帰っていいよ」
「はい。ありがとうございました」
ベッドの上で正座した悠介を見て、おじいさん医師が愉快そうに笑う。
「今時、そんな旅行する学生がいるんだね。冗談かと思ったよ」
悠介もサマスペ初日は冗談かと思った。
「先生、急に診ていただいて申し訳ありませんでした」
ベッドの脇で先輩二人が頭を下げる。おじいさんはじろりと見据えた。
「若い頃しか無茶はできない。覇気のない最近の若い者に比べれば、君らは好感が持てる」
「ありがとうございます」
「だがな、無茶と無謀は紙一重だぞ。事故が起きてからじゃ遅いんだからな。先輩がしっかり目配りをしないといかんぞ」
「ははっ」
「すいませんでした」
二人の声が病室に響いた。
「斉藤さん、俺、持ちますから」
「駄目だ、俺が持つ」
悠介たちは病院を出たところだ。斉藤は病室にあった悠介のリュックを頑として渡さない。自分のリュックを担いだ上に、悠介のリュックを右肩に掛けている。
「悠介、せっかくだから持ってもらえよ」
水戸に言われてリュックから手を離した。通りの先に郵便局の看板が小さく見える。この病院までは相当な距離がある。あそこから悠介をおぶってきてくれたのか。
「斉藤さん、病院まで運んでくれて、どうもでした」
「何を言ってんだよ」
斉藤は照れたように言う。
「悠介、本当に歩くのか。タクシーを呼んでもいいんだぞ」
水戸が真面目な顔で言う。
「はあ。でも今日の宿は近くなんでしょ」
悠介の身体は、さっきまでの重さが嘘のように軽い。
「まあタクシー呼んでる間に着いちゃうけどな」
「歩きます。病人扱いされたくないんで」
「そうか。それじゃあ、ふらついたらすぐに言えよな」
水戸が腕時計を見た。
「さてと、みんなは食事が済んだ頃だな」
まだ辺りは明るかった。
「俺たちの食事は取っておいてもらってるが、ちょいとそこの焼き肉屋に寄っていくとするか」
「ええっ」
水戸の視線の先には『ボリューム満点、炭火焼肉』と書かれた赤いのぼりがあった。悠介はパブロフの犬よりも早く、口の中に唾が湧き出る。
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「先生が栄養つけろって言ってただろ。緊急事態だ」
「おお」
「カルビでもロースでも好きなだけ食え」
「おおお」
「みんなには内緒だからな。食当が作った夕飯も腹に入るように、肉だけ食うんだぞ」
「おおおお」
「うるさいやつだな。斉藤、俺たちもご相伴にあずかろう」
斉藤がにやりとした。
「そうですね。我々が横で見てたら、悠介が食べにくいですもんね」
鬼のような教育担当はすっかりキャラが変わっている。
「そうそう。さっ、入ろう」
店に歩きかけた二人が、立ったままの悠介を振り返った。
「どうした、悠介」
「水戸さん。今日の夕食、なんですかね」
「うん? ああ、豚キムチ丼だって言ってたな」
「俺、それでいいです」
「はあ」
水戸が目を丸くすると、ますます熊に似てくる。斉藤も首を傾げた。
「俺、結構、豚肉が好きなんですよ」
次郎やほかの一年に焼き肉を食べたことを黙っていられるとは思えないし、抜け駆けはしたくなかった。
「鹿児島に着いたらどんちゃん騒ぎですよね」
「ああ、ゴールしたらサマスペは終了だからな。ホテルで打ち上げだ」
「楽しみはそれまでとっておきます」
悠介はひそかに決意していた。ここまで来たら意地でもゴールしてみせる。そして玉砕覚悟で由里に告白する。あっさり振られても構わない。
九州を歩いて縦断できたその日なら、振られることぐらいなんでもない。
由里に好きな男がいたとしても、このサマスペの間に気持ちが変わった可能性はある。
と思う。
そしてそれが悠介のせいである可能性もゼロではない。
と思う。
由里はこのサマスペに対して不思議なほど、誠実に向き合っている。サマスペは厳しくて当然だと思っていることは、阿蘇を一緒に歩いた時にわかっていた。
だから告白するのなら、悠介もサマスペにオネストでいるべきだ。二日後に胸を張って由里の前に立つためにも、一人だけ焼き肉を食べる気にはならなかった。
「お前は倒れたんだ。焼き肉くらい食べたからって、誰もずるをしたとか思わないって。副幹事長の俺が認めてるんだ」
「それはわかってます」
「じゃあ気にするな。とにかく体力つけないと最後まで歩けないぞ」
水戸は言いきかせるように悠介の肩に手を置いた。
「水戸さん、心配いりません。俺、絶対にゴールしてみせますから」
「悠介、お前、変わったな」
水戸があきれたようだ。斉藤も口の端を上げて首を振る。
「ほんと、おかしなやつだな」
悠介は笑った。
「先輩たちに言われたくはありません」
――――サマスペ八日目 人吉市~高原町 歩行距離五十二キロ
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