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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(13)
六日目★★★★★★
ビックリおにぎりで腹をふくらませた悠介は、木陰の芝生に寝転んでいた。公園の水道で頭から水を浴びて、顔には濡らして絞ったタオルを掛けている。
午前中の行程が終わり、疲れと心地よさがとろりと眠りを誘う。戦士の束の間の休息だ。
午前の旗持ちに志願した斉藤が食事休憩に選んだのは、八代市近くの児童公園だった。涼の脱走の件でぶつかって以来、この新人教育担当にむかついている悠介だが、休憩場所の選択はグッドだった。
コンビニやディスカウントストアの駐車場で、じりじりと熱せられたコンクリートに寝るのとでは大違いだ。
「なあ、悠介。いつもより休憩が長いんと違うか」
顔のタオルをめくって戦士の休息を妨げるのは次郎だ。
「やめろって。休めるんだからいいじゃないか」
「休みすぎると午後のスタートが辛くなるじゃないか……どや、今の」
得意顔だ。悠介の語尾を真似したのだということに気がついた。
「よくできました」
イントネーションがおかしいが、指摘するのも面倒くさい。
「なあ、幹事長たち、さっきからあんなんだけど、怪しいと思わんか」
芝生の上で身体を起こした。花壇の前のベンチに座って大梅田と水戸が話し込んでいる。水戸はサマスペの間は剃らないと決めているのか、髭ぼうぼうになっていた。
初日にアッコが熊さんと呼んでいた理由がようやくわかった。ゴリラと熊が顔を寄せ合っている様子は不穏でしかない。
「気にするなよ、次郎。それじゃおやすみ」
芝に腕枕して寝直そうとすると何かが光った。鳥山のピアスだ。
「午後の旗持ちを次郎にさせようって相談じゃないか」
次郎がのけぞる。
「なんでですの。勘弁してください。昨日、やったばっかですよ」
「冗談だよーん」
正副幹事長と同学年とは思えないチャラ男は、デジカメのレンズを悠介に向けた。
「足だけミイラ、いただき」
悠介は足を休ませたくて靴を脱いでいた。ついに左足の水ぶくれがつぶれたので絆創膏の上からテープを巻いている。両足のつま先にも二カ所、豆ができてしまった。悲惨だ。
これ以上の靴擦れは勘弁なので、靴下の上からガムテープでぐるぐる巻きにしてある。確かにこうして見ると足だけミイラだ。
「鳥山さん、こんなの撮らないでくださいよ」
「記録だからね。それに玲奈さんにも頼まれてるんだ」
「おっと、早く言ってくださいよ。ちょいまち」
次郎が長い髪を撫でつけた。
「はい、どっからでもどうぞ」
カメラにピースサインを向ける。
「言っとくけど、今、動画を撮ってるから」
「なんやて」
次郎はうろたえる。
「ええと、こんにちは、玲奈さん。ご機嫌いかがですか。僕は元気です――」
「はい、没」
鳥山はほかのメンバーに「ヘイ、元気?」とカメラを向けながら行ってしまった。
「あーあ、玲奈さん、もう会えんのかなあ」
「サマスペが終わったら日田に寄ってみれば?」
「おう、そやな。あの公民館に行けば会えるかな」
「次郎君。玲奈さんは公民館に住んでるわけじゃないんだよ」
「連絡先を聞いとけばよかったなあ。あん時はバタバタやったから」
切なそうな息を吐く。
「あの様子だと鳥山さんがメアドかなんか知ってるだろ。教えてもらえよ」
「そうするわ。なんて言っても救いの神やからなあ。あれは運命の出会いやよ。ええと、鹿児島に着くのが五日後だから……そうや、鹿児島土産を持ってお礼に行けば自然やな」
次郎はぶつぶつ言い始める。眠気の覚めた悠介は公園を見回した。メンバーが草の上にごろごろしている。放牧された牛のように草でも食べそうだ。
みんな餌が足りていない。
サマスペはちょうど中日を迎えて、みんなどこかしら痛めていた。特にサマスペが初めての一年生はぼろぼろだ。
なんで逃げずに頑張るんだろう。
悠介はほとんど同好会に顔を出していなかったから、ここにいる一年のことはろくに知らなかった。サマスペが始まって、それは一変した。
「ああくそっ、また負けた」
両膝にサポーターを巻いた柴田が声を上げる。
「まだ修行が足りんな」
高見沢が笑って柴田の肩をたたく。
悠介は匍匐前進して近づいた。上半身は元気なのだ。これまでどちらかが旗持ちだったり、食当だったりして、柴田と一緒に歩くタイミングはなかった。そりが合わない気もしていた。
高見沢と柴田の間にあったのは将棋盤だった。折りたためるマグネット式で、高見沢が宿で指しているのを何度か見かけた。いかにも高見沢らしい、ささやかな娯楽がほほ笑ましい。
「悠介も一局やるか」
「俺、将棋、知らないんですよ。高見沢さん、将棋盤をわざわざ持って来るなんて、よほど好きなんですね」
「いや、二村に一日二百円で貸してもらった。あいつ、なんでも持ってるんだ」
サングラスを掛けた当の二村は、シャツを脱ぎ上半身裸でビニールのベッドに寝そべっていた。トドが横たわっているようにしか見えないが、おそらくバカンスの雰囲気を醸し出そうとしているのだろう。
「二村、そのベッドはどうしたんだ」
「いいだろ。使うなら貸すぞ。一日二百円だ」
「そんな大きいもの、よく持って来たな。荷物になるだろうに」
「そうでもないんだなあ、これが」
トドが気取ったようにサングラスをずらして悠介を見る。
「エアベッドだから空気を抜いて折りたためる。それに無駄ってことはないぞ。目下、寝るときのレンタル予約ナンバーワンだ。寝袋は薄くて腰にくるからな。ちなみに二位はエア枕だ」
「予約って、二村、いつからその商売してたんだ。まったく気がつかなかったぞ」
トドが不敵な笑みを浮かべた。
「実は昨日、こいつを大梅田幹事長様にご利用いただいたんだよ」
「トップを丸め込んだんだな」
「そうそう。それまで深く静かに潜行していてな。本日から大っぴらに営業を始めたってわけだ」
悠介は二村の傍らにある、ぎゅうぎゅうの南極大陸仕様リュックを見た。
「お前のリュックってレンタル商品でいっぱいだったのか」
「ああ、日焼け止めにデンタルブロス、いびき対策の耳栓に爪切り、孫の手なんてのもある。消耗品はレンタルじゃなくて買い取りだ。お品書きを見てみるか」
悠介はトドが太い首に紐で掛けたメモ帳を見て「むむっ」と唸る。なくても何とかなるが、あれば嬉しい微妙なアイテムだった。
「あれ、でもみんな財布ないよな」
「後払いだよ。サマスペが終わったら、戻ってきた財布から払ってもらう」
二村はメモ帳をめくって見せた。日付と名前、品名と金額が何行も書いてある。
「ご新規さんは、安くしとくぞ」
にっと笑った。
こんなところまで来て小遣い稼ぎをしているとは。
「二村、俺、耳栓ほしいなあ」
隣で聞いていた次郎がリクエストする。
「へい、かしこまり」
二村はいそいそとリュックのポケットを開く。
「一個二百円だけど、二つでも二百円だぞ」
「おっ、二つ目はサービスか。ピザみたいやな。商売上手やんか。よし買った」
耳栓を片方だけ使う者はいないだろう。百均でワンセット、百円の商品に違いない。耳栓のパックを受け取った次郎は目を輝かせている。
「まいどあり」
二村はメモ帳を開いて記入をする。悠介はベニスの商人に出てくる金貸しの名前を思い出そうとした。
「全員、注目してくれ」
大梅田が歩いてきた。いつもの難しい顔をしているが、別に怒っているわけではない。
「OBの岡崎さんから連絡があった」
昨日、阿蘇で登場したゴーゴー岡崎だ。
「今日の宿泊予定だった田浦で、宿と夕食の手配をしてくれたそうだ」
児童公園に歓声が上がった。ベビーカーを押すママさんたちが警戒の目を向ける。
「やった、ラッキー」
「なんていい先輩なんだ」
ライトと柴田が握手する。次郎が挙手をした。
「幹事長、宿ってどんなんですか。ゴージャスなホテルですか」
悠介は笑って次郎の背中を押す。
「次郎、いくらなんでもホテルじゃないだろ。旅館だよ」
岡崎がそんな金持ちには見えなかった。しかしどこだっていいのだ。寺でも公民館でも体育館でもなく、風呂に入って布団でゆっくり眠れるのなら。
大梅田が珍しく勿体つけた。
「シーサイドホテル、だそうだ」
歓喜の叫びが響きわたる。一年生は肩をたたき合った。帽子が舞う。タオルが舞う。トドのシャツも舞う。
しかし二年生は顔を見合わせていた。こんなことでは驚かないのだろうか。それとも余裕を見せているのか。
「そういうわけで、今日は食当は必要ない。午後は全員で歩くぞ。岡崎さんは田浦の道の駅で待っているそうだ」
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「悠介、潮の香りやな」
「もう海が近いんだ。さっきちらっと海岸が見えたしな」
「あれ、なんて言う海なんやろな。日本海? 東シナ海?」
前を歩いていた高見沢が首をねじってこちらを見る。
「八代海だよ。海岸から天草が見えるはずだ。その先は長崎だぞ」
「天草、長崎かあ」
「なんだか異国情緒やなあ」
八代市街から国道3号を南下した一行は、田浦がある芦北町に入っていた。シーサイドホテルが近いと思うと足取りも軽い。浮き浮きと歩いていると、前を歩いていたアッコと由里に追いついた。
こちらは歩調が遅い。いつもきびきびと歩く二人らしくない。アッコが振り返った。口を尖らせる。
「ねえ、タカミー。シーサイドホテルってなんなの。ちょっとおかしくない」
タカミー。悠介は吹き出しそうになるのを堪えた。
「僕に言われても困るなあ」
やんわりと答えるタカミー。
「ホテルに泊まるサマスペなんて、あたし、聞いたことがないんだけど」
「OBの好意だからねえ。僕らが地元に来たことに感激して、思わず予約しちゃったんじゃないかな」
「そこは幹事長がびしっと断らないと。でしょ」
「まあねえ」
「梅のやつ、暑さでどうかしたんじゃないの」
おお、反乱か。
「おいおい、アッコ。その呼び方はまずいだろ」
高見沢先生にたしなめられたアッコは横を向く。
「ぷんぷんするなよ。ホテルならキャンセル料も発生するだろ。OBの顔をつぶすわけにはいかないよ」
なぜ先輩たちはシーサイドホテルに泊まれるのを喜ばないんだろう。ちらりと由里を盗み見た。何も言わないが横顔が不満そうだ。しかし海岸に立つきれいなホテルでくつろげば、気持ちもほどけることだろう。
海に沈む夕陽が一望できるレストラン。かすかな波音とジャズのメロディ。純白のクロスを敷いたテーブルには海の幸のディナー。悠介の隣にはワインに頬を染めた由里が座っていて――
「悠介、見ろ」
「……えっ」
「ほら、道の駅や。到着、到着」
八代の海に果てしなく広がる悠介の空想は、次郎の声でかき消された。前方にオレンジと緑の屋根の、大きな建物が現れる。『道の駅たのうら』と書いたのぼりが立ち並ぶ。悠介たちが歓迎されているみたいだ。
「あっ、岡崎さん」
道の駅の入り口で岡崎が両手を振っていた。先を歩いていた大梅田が隣に立っている。全員が岡崎を取り巻いた。
「やあやあ、みんなご苦労だな」
「お世話になります」
「よろしくお願いします」
岡崎が「うんうん」と頷く。
「さあ、すぐそこだから行こう。案内するよ」
大先輩が横道に入っていく。波が寄せては返す音がする。
「おお、ビーチや、ビーチ」
松林を抜けると白い砂浜が広がった。真っ青な海。はるか沖にはらくだのこぶのような陸地。あれが天草なのだろうか。膝がうずうずして走り出したくなった。海がない長野県で育った悠介は、この景色だけでテンションが上がる。
「こんなきれいな海、見たことない」
文句たらたらだったアッコがうっとりしている。
「うん、素敵だね」
由里も興奮気味に見える。いい感じだ。
「ホテルはどこやろうな」
はしゃいでいた次郎がきょろきょろする。悠介はビーチの左右を見た。そして後ろを振り返る。どこにもビーチを見下ろす高い建物はない。
「ビーチとは別の所にあるんじゃないか」
「でも、シーサイドなんやろ」
小声で話しながら砂浜に入った。岡崎は大梅田と並んで先を歩いて行く。
「よし、ここが本日の宿泊場所だよ」
岡崎の後ろにくっついていた二村が朗らかに笑った。
「またまた先輩、ご冗談を。ホテルなんかありませんけど」
「いや、ここだよ。どうだ、いかしてるだろう」
岡崎が二村の背中をたたいて、愉快そうに笑う。大先輩が手で示す先を見て悠介たちは絶句した。
「でもこれ、海の家ですよね」
ライトが誰もが思っていたことを無邪気に発言した。メンバーの前にあるのは海岸に向かって並んでいる小屋だ。板の間にゴザが敷かれていて、古びた細長い机が壁際にたたんであった。
「だからシーサイドホテルって言っただろう」
岡崎は目尻のしわを深くして「なんちゃって」と笑う。
悠介は放心状態になった。
ゴーゴー岡崎め、だましたな。
一年生五人が砂浜に座り込む。疲労が八代海の波のように押し寄せてきた。大梅田と水戸がにやにやしている。
「やだもう、そうだったの」
「すごいサプライズ」
アッコと由里が笑い出す。
「岡崎先輩、立派な施設をご手配いただき、ありがとうございます」
斉藤が頭を下げた。高見沢も笑っている。一年以外は誰もがっかりしていない。
「いやいや、このくらいはさせてくれよ。それでな、部屋は三つ用意したから」
岡崎が海岸に向かって並ぶ小屋を三つ、指さした。
「これでいいかな、幹事長」
大梅田が「はい」と答えて悠介たちを見る。
「左から一年。まん中が二、三年の男。一番右が女子部屋だ」
岡崎は小屋の一段高い上がり口に近づいて床に手をやった。レールがついている。そして壁に立てかけてあった板をコンコンとたたいてみせる。
「夜になったらこの引き戸をはめてくれ。鍵がかかるようになってるから、安全だよ」
岡崎が鍵を三本、大梅田に渡した。
「トイレは各部屋にある。シャワーもな」
「やった」
アッコが両手を上げた。
悠介はエアコンもテレビもベッドも何もない海の家を眺めた。これは銭湯が近くにある寺や公民館に泊まるのと、なんら変わらないのでは?
いや、日田の公民館の方が格段にきれいだった。部屋もちゃんと男女別だった。
そして重大なことに気がついた。
「あれっ、じゃあディナーは」
「不肖、岡崎がスペシャル焼きそばをごちそうしよう」
「焼きそば……」と悠介。
「スペシャル……」と次郎。
「私、手伝います」
由里が手を上げると、アッコが「あたしも」と続く。
「そうかい。じゃあ頼もうかな。バーベキュー用の鉄板があるからそれで焼くつもりなんだけど」
「任せてください」
由里は普段見せない笑顔だ。
大梅田が咳払いをした。
「先輩のご厚意に感謝。岡崎先輩、ありがとうございます」
全員が立ち上がって礼を言った。
「よし、それじゃあ夕食まで自由行動だ」
「先輩、食材はどこですか」
「こっちに置いてあるよ」
由里とアッコは岡崎についていく。
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