サマスペ!2 『アッコの夏』(1)
アッコと由里は大学一年生。初めてのサマスペです。そしてサマスペにとっては初めての女子の参加。スタートを前にして由里は先輩の大梅田と揉めたあげく、旗持ちを志願して……
一日目☆
「ここか」
アッコは噴水の前に立ってリュックを背負い直した。鳥をかたどった銀のオブジェにかかる水が、夏の日差しをきらきら反射してまぶしい。
集合時間まではまだ三十分もあるから誰も来ていない。新潟駅か隣の白山神社で時間をつぶせばよかったのだが、落ち着かずに早く来てしまった。
「よう、アッコ」
噴水の向こうから声がする。回り込むと、見事に太い枝を張り出した松の傍らに斉藤が座っていた。四月から大学の同期になった斉藤は笑っているが、どこか顔が強ばってる。
「おっす。斉藤、早いね。九日間、よろしく」
「いやあー、いよいよ伝説のサマスペだな」
サマスペは『ウォーキング!同好会、夏の徒歩合宿スペシャル』の略称だ。長いからみんなサマスペと呼んでいる。
「それ、40リットル?」
斉藤の隣にはノースフェイスの登山用リュックが置いてある。見るからに新品だ。このサマスペのために買ったのだろう。軽くて機能性に優れたタイプだ。アッコも先週スポーツ用品店を探して歩いたから、大型リュックには詳しい。
「いや、45リットル。大は小を兼ねるって言うだろ」
普段の外出で使うリュックは、せいぜい20リットルだから倍以上ある。街中で見るとちょっと異様だ。アッコは担いでいたモンベルのチャチャパックを下ろした。これは40リットルだ。
「斉藤は今日、来たの」
「ああ。ホテル代がもったいないからさ。でも新幹線で二時間だから、まるっきり余裕」
「早すぎるくらいだよね。新潟まではるばる来たんだから、もう少し旅の情緒を味わいたかったなあ」
アッコも今朝、東京駅九時発のMAXときに乗った。そして新潟駅からはここまでバスで十二分。『新潟市役所前』のバス停脇にある噴水。それがサマスペの集合場所だった。
「俺、ちょっとびびってるんですけど」
「なんで? あたしは楽しみなんですけど」
「不安じゃねえの。輪島まで歩くんだぞ。能登半島の先っぽだぞ。三百キロ以上、あるんだからな」
「うー、燃えてくる」
「毎日、どこに泊まるかも決まってないんだ。先輩が言ってただろ」
「ただで泊めてもらえる宿を探すんだよね。面白そう」
斉藤があきれたような顔をする。
「三食自炊なんだからな。ろくなもん、食えないぞ」
「その上、食費が一人一日、三百円。いいね、サバイバルっぽくて」
斉藤がふうっとため息をつく。
「俺ってデリケートだから。心臓に毛が生えてる人がうらやましい」
「自分で決めたんだから腹をくくりなって。男のくせに」
「そう言うアッコさんは、おしとやかにした方がいいんじゃないっすかあ。由里を見習ってさあ。まあ由里は暗すぎだけど」
アッコは斉藤の頭に目をやった。
「余計なお世話だって。あんたこそ頭のケアした方がいいんじゃないの。真夏の紫外線は髪の毛にダメージ大きいんだよ」
斉藤はまだ二十歳前なのに頭頂部が薄い。
「ひでえな、気にしてるのに」
斉藤はリュックにぶら下げたキャップを被ろうとして、アッコの肩越しに目を泳がせた。
「えっ、由里か」
「おはよう」
リュックを担いだ由里が立っていた。
「由里、どうしたの、その頭」
肩まであった髪がばっさり、ショートになっていた。
「イメチェン」
「イメチェンって、また大胆だね」
由里はほっそりして幼い感じの顔つきだから、髪を切ると少年のように見える。
「サマスペだから。長いと邪魔でしょ」
「もったいない」
斉藤がぼそっと言った。
「そりゃまあ、風呂だってそうそう入れないらしいからね。それにしても短くしたね。陸上部の時みたいだよ」
言ってからはっとしたが、由里は何も言わなかった。
「お疲れさん」
高見沢が由里の後ろから姿を現して、黒縁眼鏡のつるに指をかけた。同期の中では一番大人びている。
「おっ、おっ。高見沢、由里と一緒だったんか」
斉藤がはやすように言う。
「白山神社で会ったんだよ。みんないたぞ。幹事長も見かけたし」
白山神社は由緒正しき新潟総鎮守だ。
「あたしも行けばよかったかな。お参りしてきたんでしょ」
「うん。道中無事を祈ってね」
高見沢がリュックをベンチに置く。
ストラップのお守りが揺れた。『病気平癒御守』とある。旅行のお守りではない。アッコは「どっか悪いの」と聞きかけてやめた。
高見沢とは五月の新入生歓迎ハイキングの時に、言葉を交わした程度だ。立ち入ったことを聞くほどの仲じゃない。
「こういう街の景色もしばらく見納めなんだよな」
高見沢は伸びをして新潟市街の風景を感慨深そうに眺めている。六車線の道路を車がスピードを上げて行き交う。道を挟んで立つ茶色いビルディングが市役所だ。
「ちわっす」
斉藤が腰を上げてバス停に走った。
「おっ、斉藤か」
二年の大梅田がバスから降りてきた。片方の肩にリュックを掛けている。体格がいい大梅田が背負うと大型リュックもデイパックに見えた。一学年しか違わないのに、妙な貫禄を漂わせている。ちょっとゴリラ系だ。
「迷ってたようだったが、斉藤も参加するんだな」
「はい。覚悟を決めました」
「まあ、脱走しないように頑張れよ」
大梅田が斉藤の肩をぽんとたたく。耐えきれずに逃げ出すメンバーが、過去にいたらしい。
「そんな。しませんよ、脱走なんか。気合い、入りまくってますから」
斉藤の調子良さには感心する。
「大梅田さん、ご実家からですか。山形でしたよね」
「ああ、高速バスで四時間もかかった。隣の県だってのにな」
「へえ、東京からの方が速いですよ。家の仕事を手伝ってたんですよね」
「二週間もな。バイト代はくれたけど、農家は大変だよ」
大梅田は肩に手をやって首を回している。
「アッコ。挨拶」
由里が隣に来て目配せした。
「あっ、そうだね」
大梅田はしばらく同好会に顔を見せてなかったから、アッコと由里が参加することを知らないかもしれない。挨拶しておいた方がいい。由里と一緒に大梅田のそばに歩いた。
「先輩、お疲れさまです」
大梅田は目を見張った。
「アッコに由里じゃないか。どうしたんだ、新潟まで見送りか」
「まさか、違いますよ。あたしたちもサマスペに参加するんです」
アッコは赤いチャチャパックをたたいてみせた。
「マジかよ、聞いてないぞ」
「幹事長に了解をもらいました」
静かに言った由里を大梅田が睨む。
「嘘だろ、ハイキングじゃないんだぞ」
由里が何か言おうとして言葉をのみ込んだ。大梅田が顔をしかめると恐ろしい。
「女なんかに歩き通せるわけがない」
アッコはむっとした。サマスペに参加する女子はアッコたちが初めてだ。男子にお荷物的に見られるのも無理はない。
だからと言って、その言い方はないだろう。アッコは一歩前に出た。
「みんな、そろってるか」
かん高い声に振り向くと、幹事長の園部が歩いてくる。ジャスト十二時。集合時間だ。三年の早川と石田も一緒だ。
「女がサマスペに参加するなんて、聞いてないですよ」
大梅田が園田の前に出た。アッコは思わず「何を言い出すんだ、ゴリラ野郎」と食ってかかりそうになる。
「決まったことだ、ぐずぐず言うな」
園田は細い目で一年下の大梅田を睨み付ける。
「そんな大事なことはみんなに相談して決めてくださいよ」
「お前はいなかったからな。それに幹事長の俺が決めたことだ。幹事でもないお前の出る幕じゃない」
アッコは心の中で園田にエールを送るが、ゴリラのように体格も顔もいかつい大梅田は一歩も引かない。この二人は犬猿の仲なのだろうか。
「いや、俺は納得いきません。サマスペの伝統はどこにいったんですか。女が混じったらサマスペじゃありませんよ」
園部が顔をしかめた。
「面倒なやつだな、まったく。そんなに気に食わないなら、お前がやめればいいだろ。一人でとっとと東京に帰れ」
大梅田がぐっと言葉に詰まった。副幹事長の早川が諭すような声で言う。
「梅、俺は女子が参加するサマスペがあってもいいと思ってる。それにサマスペにハプニングは付きものだろ」
「いや、早川さんの言葉でも俺は従いません」
大梅田の言う「女」とはアッコと由里のことに他ならない。アッコは黙っているのは我慢できなくなった。揉めている男どもに歩み寄る。
「失礼ですけど大梅田さん、どうして女が参加しちゃいけないんですか。そんな決まりでもあるんですか」
大梅田の眼光は鋭い。
「お前、ちゃんとサマスペの説明を聞いたのか。女には無理だ。道に迷ったら夜道を一人で歩くこともあるんだぞ。女には危険すぎる。それに夜は雑魚寝するんだ。野宿だってするかもしれない。我慢できるのか」
「そんなの承知の上ですよ。さっきから女、女っておっしゃいますけど、男はそんなに偉いんですか。男にできて女にできないことなんてありませんからね」
大梅田が溜め息をつく。
「はっきり言うけどな。女が混じると、俺たちが気を遣うんだよ。サマスペは大事なイベントなんだ。意味を知らないお前らが邪魔しないでくれ」
横から石田がいきなり大梅田の胸ぐらを掴んだ。
「梅、黙って聞いてりゃ調子に乗るなよ。幹事の決めたことに逆らうんじゃねえ」
いつも口を尖らせている石田は血の気が多い。
「なんですか、いきなり」
大梅田は石田の腕を握ってもみ合いになる。
「梅、先輩だぞ、落ち着け」
「石田、何をやってんだ」
水戸と早川が割って入ろうとする。近くでベビーカーを押していた主婦が悲鳴を上げる。
平和な公園が騒然とした。
「やめてください」
由里が大声を上げた。叫びに近いその声に、男たちの動きが止まる。
「大梅田さん、私はサマスペの意味を知っています」
「なんだと」
石田の腕を外した大梅田は息が荒い。
「意味を知った上で参加したんです。体力もみんなには負けません」
「どうだかな」
由里はすっと息を吸った。
「私にスタートの旗持ちをやらせてください」
大梅田が黙った。口笛が響く。鳥山だ。
「初日の旗持ち志願なんて、初耳だよ。すげえ、すげえ。梅、やらせてみようや」
鳥山の軽い口調でその場の空気が弛んだ。由里はまっすぐに大梅田の顔を見つめている。
「もし私が旗持ちで誰かに抜かれたり、へたばったりしたら、あきらめます。その足で明るいうちに東京に帰ります。それならどうですか」
水戸が大梅田の肩をぽんとたたく。
「梅、その辺にしとけよ。日が暮れちまうぞ」
大梅田は不機嫌なゴリラのように唸ってから不承不承、頷いた。
<続く>
このお話は『サマスペ! 九州縦断徒歩合宿』の続編に当たります。
4月から6月まで連載していました。一話目はこちらからどうぞ。
※見出し地図の出典は国土地理院です。