サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(15)
七日目★★★★★★★
「いやー、宿が決まってよかったあ」
アッコが畳に寝転がった。本日の食当の鳥山、アッコ、そして悠介は一夜の宿を了解してくれたお寺の離れでくつろいでいた。
「俺の読み通りだったな」
鳥山がへらへらと笑う。アッコは、がばりと起き上がった。
「チョウさんが目星をつけたお寺と公民館と小学校、全滅だったじゃない」
アッコは幹事長や水戸がいないと、この三年生のことをチョウさんと呼ぶ。なんだか笑える。
「それはしょうがないだろ。ネットの情報だけじゃわからないって」
この寺は人吉での交渉四軒目だった。一軒目のお寺は大きくて立派だったが、住職にも会えず、けんもほろろに断られた。アッコが食い下がったが、駄目なものは駄目の一点張りだった。
そこからは人吉駅を集合場所にして、手分けして交渉した。悠介が担当した公民館はどこを探しても見つからず、走り回って近所の人に聞いたら、建て替えのために更地にしたと言われた。
そしてアッコ担当の小学校は防犯上の問題で断られた。最近、不審者対策が厳しいのでと言われると、引き下がらざるを得なかったそうだ。
「やっぱり直接、自分で確かめるしかないのよね」
この寺はネットの情報がなかったのだが、アッコが小学校の帰りに飛び込んで了解をもらってきた。さすがだ。
「まあまあ。結果オーライってことで。このお寺でよかったじゃないか。みんなの到着地点から一番近いし、二間借りられたんだろ」
鳥山はいつものように調子がいい。
「結果オーライって、少しはチョウさんも交渉してよ」
鳥山は、悠介とアッコが駆けずり回っている間、駅で待っていた。悠介は前の食当で大梅田の活躍を見た。同じ三年でも随分と違う。
しかし茶髪にピアスの鳥山からにじみ出るチャラさは、大事な交渉ごとには向かないと思い返した。
「後輩に勉強する機会をあげないとね」
アッコがむっとする。悠介は戦力外の人に期待しちゃ駄目だと思いながら声を掛けた。
「人吉って住みやすそうな街ですよね。駅前は開けていたし」
海岸から離れた午前中の行程は、再び山道の連続だったから、人吉の賑わいが余計に際だつ。
「そうそう、いいところだ。ここも立派なお寺だよ。みんな驚くぞ。なんかさ、旅館みたいだと思わないか」
貸してもらった部屋は掃除が行き届いている。障子を通した陽の光は柔らかい。悠介は立って障子を開けた。
「あっ、きれいだなあ」
掃き清められた庭には客をもてなす美しさがあった。池には見事な錦鯉が泳いでいて、小さな赤い橋が架かっている。橋のたもとには、これも小さな亀が甲羅を黒々と光らせてじっと黙っていた。
「きちんと手入れされてるんだね」
アッコも感心する。
「おお、風情があるなあ」
鳥山がデジカメを庭に向けて、ゆっくりと動かす。動画モードだ。
「お茶とか出てきそうだよな」
「冗談言ってないで、そろそろ食事の買い出しに行きますからね」
アッコが話す途中から床を踏む音がした。足音が近づいてくる。
まさかお茶?
「ごめんなさいよ」
住職がふすまを開けた。頭をつるつるに剃って紺の作務衣を着ている。正座して迎えた悠介たちに笑いかける。
「お楽にしてください。お楽に」
「今日は突然、泊めていただいてすいません」
アッコが頭を下げる。
「いやいや、構いませんよ。お食事は何時にしますかな」
「はい。六時くらいにさせていただこうかと思っています」
「わかりました。六時ですね。それで幹事さんはどちらですか」
幹事?
「ええと、責任者でしたら後から来ますけども、何か」
「どなたか宿帳にお名前を書いていただけますかな」
宿帳?
「一泊ということでしたなあ。そうしますとお一人、五千円申し受けます」
「えっ」
悠介たちは膝立ちになった。
「お支払いはクレジットでも構いませんよ」
住職はその顔にありがたい笑みを浮かべた。
「ああ、ごめん。あたしがちゃんと確認しなかったから」
走りながらアッコが謝る。
「しょうがないですよ。普通のお寺だったんだから。料金表とかもなかったし」
「寺の経営も厳しいからさ、営業許可なしで、こっそり金を取って泊めてるんだろうな」
鳥山がもっともらしく言う。
「どうしよう。もうじき旗持ちが到着しちゃう。チョウさん、どこかほかに泊まれそうなところ、ないの」
「いやあ、もう近くにはないなあ。めぼしいところは断られちゃったからねえ」
天守閣のミニチュアが脇に建つ人吉駅についた。今日の旗持ちの目印はこの駅だ。今は午後四時。あと一時間もしたら先頭が到着してしまう。
宿が決まっていないと言ったら、どれだけ気を落とすだろう。いや、怖くてとても言えない。
悠介は辺りを見渡した。ホテルも旅館もたくさんある。駅前にはネットカフェまであるのに、なぜ悠介たちを泊めてくれるところがないのか。
「あたしのせいだ。あのお寺で休まずにほかを探していればよかったんだ」
いつも元気の塊のようなアッコがしょげ返っている。
「アッコはよくやったよ。サマスペにハプニングはつきものだろ」
「ハプニングって、チョウさん。泊まるところがなかったら、しゃれにならないよ」
「まあいいんじゃないの。一日くらい野宿があったってさあ」
鳥山は気楽に言うが、その日の宿を確保できないのは大失態だ。
「鳥山さん、これまで野宿したことはあったんですか」
「あったよ。俺が一年の時も宿が見つからなくてね。もっともあれは、はなから覚悟していたけどさ。幹事長がいい加減な人で、なんにもない山奥に宿泊地を設定したんだから」
アッコが下を向く。また自分を責めている。
「アッコ、そんなに気にするなよ。近くに球磨川があっただろう。あの川原でいいじゃないか」
「チョウさん、川原じゃ食事を作れないでしょ。それに雨が降ったら最悪じゃない」
アッコが唇をかんだ。その横顔を見てはっとした。泣きそうになっている。
慌てて周りをもう一度見回した。なんとかしなければ。野宿よりもアッコに泣かれる方が、あってはならないことのように思えた。
駅の一角に目を留めた。
「俺、あそこで訊いてきます」
「悠介、あれは観光協会の案内所だろ。旅館とかホテルなら教えてくれるけど、ただで――」
「悠介、行ってみよう。チョウさんは待ってて」
二人は駅構内の案内所に走り込んだ。壁一面に焼酎が並んでいる。くまモンのぬいぐるみの隣に、妙な目つきの太った招き猫がいた。気になったが今はそれどころではない。
「いらっしゃいませ」
係のおばさんが愛想良くほほ笑む。
「あの、この辺にただで泊めてくれる施設はないでしょうか」
「えっ、ただで」
怪訝そうにこちらを見たおばさんに、サマスペのことを話した。太宰府から歩いてきたと言うと、おばさんは目を点にする。奥で事務をしているおじさんも出てきた。
悠介は自信を持って話せていることに気がついた。二日目の食当の時は、みえちゃんたちにサマスペのことを説明できなかった。それ以前に交渉する気にもなれなかった。
今は違う。自分で経験したからだ。
「あらあら」と何度か言った後で、おばさんは優しく笑った。
「そうね。近くに無料のキャンプ場があるけど、どうかしら」
「えっ、キャンプ場が? 無料の?」
99%「そんな施設はありません」と返されると思っていた。おばさんは悠介の背負った釜を見る。
「あそこなら自炊もできますよ、かまどがあるから。もちろん水道も水洗トイレもあります」
神の声かと思った。
「そのかまどがある所には、屋根もあったりしませんか」
アッコが身を乗り出した。
「ありますよ。かまどが濡れない程度にね」
「ほんとですか」
悠介はカウンターに手をついた。由里とアッコだけでも屋根の下で眠れるかもしれない。
「ええ、市役所の管理だけど。電話番号を教えましょうか」
アッコが「お願いします」と頭を下げる。
「ついでに電話を貸してもらってもいいでしょうか」
「はいはい、どうぞ使って」
悠介は礼を言って、カウンターに置いてくれた電話で市役所の番号をプッシュした。
「誰もでません」
受話器を耳にしながらアッコに言った。
「すいません、市役所は遠いですか」
アッコが尋ねるのと同時に、おばさんが地図をカウンターに出した。『人吉観光マップ』と書いてあった。
「ここよ。直接行ってみる? 歩いて二十分くらいだけど」
「アッコ先輩、走ればすぐだ。おばさん、ありがとうございました」
「助かりました」
案内所を飛び出した。駅のベンチに鳥山が座ってうつらうつらしている。二人はリュックをベンチの脇に下ろした。
「チョウさん、旗持ちが着いたら、ここで待っててもらって」
鳥山が「おっ、ああ」と目をこする。悠介はアッコと駅前大通りをダッシュした。
「もう閉まってるってこと、ないですよね」
「普通、五時まではやってる。まだぎりぎり間に合うよ」
白い建物が見えてきた。チープカシオは五時三分前。
「あれだ、急ぎましょう」
旗持ちのスタートよりもスピードを上げてるのに息が切れない。なんでだろう。庁舎に駆け込んで用件を話すと、三階を案内された。
「よかった。まだ営業してましたね」
エレベータはほかの階で止まっていた。
「悠介、階段で行くよ」
階段を二段飛ばしで駆け上がる。三階のカウンターには誰もいない。
「すいません、キャンプ場を使用したいんですが」
大声を出した。
「まさか業務終了じゃないよね」
「誰かいますよ、きっと」
もう一度「すいません」と声を掛ける。カウンターの脇に申請用紙が何種類も置いてあった。いらいらしながら『キャンプ場使用申請書』を手に取って目を通す。
「えっ」
「どうした、悠介」
「お待たせしました。すいませんね」
三十歳前後の男が奥の部屋から出てきた。半袖ワイシャツにノーネクタイだった。名札には田中とある。
「あの、案内所で無料キャンプ場があるって聞いたんですが」
「はい。ありますよ。いつのご使用ですか」
「今日なんですが」
田中という男は急に困ったような顔をする。
「申し訳ないですが、前日までに申請用紙を提出していただく決まりなんです」
「すいません、そこをなんとかお願いできませんか」
アッコがひるまずに頭を下げた。
「私たち、十二人で旅行をしているんですが、今夜泊まるところがないんです」
「そう言われましても、規則は規則ですので。それに」
田中は首をひねる。目と眉の間が広い。お公家さんみたいだ。
「泊まるところがないって、旅館ならいくらでもありますよ。持ち合わせがないならカードで支払ったらいかがですか」
それができれば頼みに来ない。
「あの、実は僕ら、特別な旅行をしていまして」
悠介は案内所のおばさんにした時の二倍の感情を込めて、サマスペの説明をした。お公家さんは「はあ、はあ」とうなずいて聞いている。
「なるほどですね。それで今日は無料で泊まれる宿が見つからなかったと。そういうことですか。まあでも一日くらい、お金出して泊まってもいいでしょう。少しはのんびり休まないと」
口調までのんびりと、お公家さんは言う。
「人吉の温泉は筋肉痛にいいし、休養には絶好ですよ」
「いえ、だからそういうわけには」
「あのですね、決裁するのは私の上司なんですが、今日は戻らないんです。勝手に許可したら私が注意されてしまうんですよ。すいませんね。ほかをあたってください」
そう言ってカウンターから離れていこうとする。
「待ってください」
アッコが悲痛な声を出す。
「どうしても、どうしても使えないと困るんです。お願いします」
お公家さんも負けじと顔の前で手を合わせる。
「本当に規則違反はまずいんです」
穏やかに言ってはいるが、絶対に許可しないという意志が伝わってきた。どうしたらこの担当者の気持ちを動かせるのか。
通り一遍の言葉では無理だ。でも学生の悠介には何もない。人吉市民でもないし、何の権限もない。無力感と焦りで身体が熱くなる。
「ちょっと仕事がありますので」
アッコは立ち去りかけたお公家さんを追うように一歩前に出た。
「あの、使わせてもらえたら何でもしますから。奉仕活動とか、ボランティアとかでお礼させてください」
お公家さんが首を左右に振る。
「観光で来たお客さんにそんなことさせたら問題になってしまいます」
何か、何か俺にできないだろうか。
「悪いことは言わないから、今日だけ普通にお金を出して宿泊なさい。多分、予約なしでも泊まれますから」
『人吉宿泊ガイド』と書かれたちらしを渡された。旅館やホテルの一覧が載っている。
「さあ、お帰りください。お友達がもうすぐ駅に着いてしまうんでしょう」
山道を抜けて歩いてくる仲間たちの顔が浮かんだ。汗とほこりにまみれ、腹を空かせて、あと少し、あと少しと歩いてくる。食当が用意した宿と夕食を楽しみにして……。
「あっ、君」
「悠介、何を」
悠介はその場に膝をついて頭を床につけていた。
「お願いします」
ドラマや映画で土下座するシーンを見るたびに、あり得ないと笑った。そこまでプライドを捨ててしまったら、何かが叶ったとしても、一番大切なものを失ってしまうじゃないか。
でも今の悠介にはこれしかできない。
「あいやいやいや」
お公家さんの慌てふためいた声が耳元でする。
「ちょっと困る、困ります。立って、ほら、立ちましょう」
取られた腕を振り払って、額を冷たい床につけたまま言った。
「使わせてください」
「ああ、まいったなあ、もう。勘弁してくださいよ」
「許可してくれますか」
「いや、うーん」
頭の上に沈黙の帳が下りる。
「許可したら、それ、やめてくれますか」
悠介は顔を上げた。膝をついていたお公家さんと見つめ合った。
「本当に特別ですよ」
「ありがとうございます」
心の奥底から湧き上がる感謝の気持ちを込めて言った。息をついて立ち上がる。
「利用者に土下座させたなんて知れたら、私、首になってしまいます。結婚したばかりだってのに」
「悠介、もう……」
アッコは目に涙を浮かべていた。
顔をしかめたお公家さんが申請書とボールペンを渡してくれた。
「ほんと、どうしてそこまでするかなあ。あっ、日付は書かないで」
悠介は自分の氏名住所と同好会名を記入していく。そして問題の欄にたどり着いた。さっき読んで驚いた箇所だ。
何気ない声音で聞いた。
「テントも無料で貸してもらえるんですね」
アッコが隣で「えっ」と小さく声を上げる。
「や、それは野外研修でキャンプする場合に利用してもらうんです。普通の旅行客用じゃないですよ」
お公家さんとまた見つめ合った。
「いや、だから学校とか会社に貸し出すものだし、研修内容も事前に提出してもらわないと……」
じりっと右足を後ろに下げて膝をつこうとした。
「わかった。わかりました」
<続く>
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