サマスペ!2 『アッコの夏』(10)
国道402号に入ってからは、右手に松林が続いた。アッコは足の先にかすかな痛みを感じ始めていた。靴擦れかもしれない。
「おっ、海だぞ、アッコ」
鳥山がはしゃぐ。松林が切れて、嫌になるほどきれいな海が見渡せた。
「はあ、また海ですか。もう昨日で一生分、眺めたと思ったのになあ」
鳥山は目の上に手をかざした。夏の日を反射する波がまぶしい。
「そう言えばさ、昨日のコースって、そんなに大変だったのか。俺は食当だったから知らないんだけど」
「あっ、そうか。食当でラッキーでしたよ、鳥山さん。でも大変だったって誰に聞いたんですか」
「夕食前に梅が調理室に来てさ。幹事長に文句を言ってたんだよね」
「大梅田さんが? なんて言ってたんですか」
鳥山は「ええと」とピアスに指をやった。そうか。そんなこと新人には教えないだろうな。
「そうそう、北陸街道だ。もっと早く海岸沿いの道をやめて、どこかでJR線路沿いの北陸街道を歩けばよかった。そう梅は言ってたよ」
隠すような気配りはまったくないらしい。
「そんな道があったんですか」
「これこれ。この道だよ」
鳥山は歩きながら折りたたんだ地図を見せてくれた。スタート地点からほとんどJRと平行に走っている道があった。「北陸街道」と書いてある。
「本当だ。海岸沿いを歩いたら遠回りじゃないですか」
「ああ。北陸街道を歩いていれば、誰も道を間違えずにすんだはずだって怒ってたよ」
「この道、巻駅のすぐそばを通ってる。これなら北陸街道と巻駅の間で宿を見つけられてますよ。東条もその近くで待っていられたはずです」
「だよな」と笑う。
「歩く方も食当も、時間を無駄にせずに済みましたよね」
そこで鳥山はなぜか首をかしげた。
「鳥山さん、それで幹事長はなんて答えたんですか」
「海を見せたかったんだ、だってさ」
がっくりきた。
「なにそれ」
「ウケるだろ。俺、笑っちゃったな。それもありかなって」
「ええ? ありですか」
「あのさ、俺らがやってるのって、無駄とかそういう世界じゃないんだよね」
「どういうことですか」
「うまく言えないんだけどさ、サマスペってそもそもめちゃくちゃだろ」
「だろ、と言われましても」
「だからさ、そんな合理的な旅じゃないんだよ」
言いたいことはわかる気がした。アッコも嫌いなわけじゃない。
「だったら大梅田さんはどうして文句を言ったんですか」
「あいつはちょっと、頭が固いって言うか、くそまじめって言うかな。わかるだろ」
「はあ……」
「迷って宿にたどり着けなくなる可能性があったんだろうな。そうなるとサマスペが続けられないからさ」
「……めちゃくちゃな旅なんだけども、旅が続けられないほど、めちゃくちゃになるのはNGってことですか」
「おっしゃる通り。その境目が悩ましいんだけど」
境目か。まあ下っ端のアッコには関係ない。それより二、三年生のバトルには興味がある。
「それで大梅田さんと幹事長の話は?」
「幹事長が梅の肩をぽんとたたいたわけ。難しいコースだからお前を伴走に選んだんじゃないか、だってさ。なんか、大人のセリフだよね。あの寝落ち寸前のニャンコみたいな目でさ」
笑ってしまった。
「梅も、はあ、としか言えなくて」
「それで終わりですか。ごまかされてるんじゃないですか」
「サマスペは基本、上級生は絶対だからね」
「まあそうでしょうけど」
それはアッコも慣れてる世界だ。上級生と書いて理不尽と読むのだ。
「おお、泳いでる、泳いでる」
鳥山が指さす先にカラフルなビーチパラソルが何十本も立っている。海水浴場だ。水着の家族連れや若者が海を満喫している。遠浅らしくかなり沖の方まで、浮き輪やフロートにつかまって泳いでいた。近づくと楽しそうな声が聞こえてくる。
「うわあ、気持ちよさそう。楽しそう」
それを指をくわえて眺めているあたしって、何をしてるんだろう。
「……おっと」
旗を持ち直して口を引き結んだ。それだけは考えちゃいけないと思っていた。そんなことを言うなら、最初からサマスペに参加しなけりゃいいのだ。
「あーあ、こういうの見ると萎えるなあ。俺たちって何やってんだろ。馬鹿みたいだよなあ」
この先輩はまったく。
「ちくしょう、泳ぎてえなあ」
アッコはビーチに駆け出しそうな鳥山を無視して、足元に引かれた白線に目を落とす。右、左、右、左。足を前に出し続ける。腕を振って呼吸を意識して。
サマスペ参加を決めた時から、この夏はバカンスとかバケーションってやつに背を向けたんだ。
「いっそ鮫とか出ればいいのになあ」
まだ言ってるよ、この人は。
アッコは鳥山の愚痴を聞き流して、歩くことに集中した。
ビーチが終わったのか、夏を楽しむ一般ピープルの歓声は聞こえなくなった。高く昇った太陽の日差しは容赦がない。腰から下が鉛のように感じる。
もう何キロ歩いたんだ。時速六キロとしたら三十キロは超えているはずだ。どこまで歩けばいいんだろう。
鳥山が後ろから何か話しかけているが、アッコは上の空で適当に相づちを打っていた。
「――おーい、眉毛の太いアッコさん。生きてるかあ」
鳥山さんの大声にはっとした。
「はい、なんとか生きて……えっ、なんて言いました、今」
「あそこ、昼休憩にいいんじゃないか」
国道は果てしなく続くテトラポットの海岸から少し離れていた。何もないスペースが広がっている。
「トイレもあるしさ、ここで休もうや」
「鳥山さん、昼休憩ってことは、つまり、あたしは――」
「おめでとさん。旗持ち終了」
「やったあ」
急に元気が出た。
「でもここ、屋根がないですよ。直射日光を浴びて休むのは勘弁です」
「別にいいんじゃないの。よくあるよ」
せめて日陰は欲しい。このアスファルトに座ったらフライパンで焼かれるようなものだ。あの巨大おにぎりが、焼きおにぎりになってしまう。
「先輩、これ駐車場って書いてあるけど、なんの駐車場なんですかね」
さっきの海水浴場の駐車場にしては遠すぎる。
「もう少し先に行ってみましょうよ」
リュックを下ろそうとした鳥山は「えー」と不服そうだ。アッコは構わずに足早に先を進んだ。
「あっ、のぼりが立ってる。何かあるんですよ」
道なりに曲がって行くと白い建物が三棟続いていた。観光客らしき人たちがたくさんいる。『出雲天領の里』と看板がある。大声で鳥山を呼んだ。
「道の駅ですよ。早く早く」
アッコは走って自動販売機とのぼりが立ち並ぶ、道の駅の入り口に旗を立てた。腰に手を当てて胸を張る。道の駅はサマスペの休憩には絶好だ。無料で休めるし、水もトイレも屋根もベンチもある。
もちろんドライバーのための施設で、歩いて旅するアッコたちのためではないけど。
「やや、バス停まであるよ。ばっちりだ」
食当はここからバスに乗れば、余計に歩くことなく目的地まで行ける。
褒められるな、これは。気が利くぞ、アッコ、でかしたってね。
振り返ると鳥山の後ろ、二百メートルほど遅れて、リュックを背負ったメンバーが三人続いていた。アッコは旗をぶんぶん振った。
「友原アッコ、旗持ちミッション、完了しましたあ」
<続く>
バックナンバーはこちらからどうぞ。
この小説のプロットは公開しています。