サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(14)
悠介たちは砂浜に座って海を眺めていた。まだ『シーサイドホテルは海の家だったのです、なんちゃって』事件の衝撃から立ち直れない。
陽が傾いてきた。子ども連れの家族がビーチパラソルをたたんでいる。シーズンの割には海水浴客はそれほど多くないから、穴場なのかもしれない。
水着の女子グループがはしゃいでいる。カップルらしい男女もそこかしこにいた。
「いいなあ、あれ」
次郎がため息をついた。
「海パンくらい、持ってくればよかったね」
ライトが残念そうに海を眺める。海パンは持ち物リストにはなかった。
女の子たちに「僕ら、福岡から歩いてこの海に泳ぎに来たんです」と言ったら、どんな顔をされるだろうか。
「俺たちって、青春の裏街道を歩いてるんやなあ」
次郎はいつになく含蓄あることを言う。
後ろでシュッと言う音がした。
「二村、何をしてるんだ」
二村は砂浜にシート状のものを拡げて、足踏み式のポンプで空気を入れている。
「さっき公園で見ただろう。エアベッドだよ」
「だからこれ、寝袋の下に敷くやつだろ。こんな所で空気入れてどうするんだ。もう寝る支度か」
ふて寝したくなる気持ちはわかる。
「これさ、海に浮かぶと思わないか」
ライトが「いいね。それ、貸してよ」と立ち上がった。
そうか、海に入るつもりだったのか。二村もライトも立ち直りが早い。
「まいど、一回二百円」
「後払いでいいんだよね。もう短パンで泳いじゃおうかな」
「そやな、みんな、泳ごうや。きれいな海の前で指くわえてたらあかん」
次郎がTシャツを脱いだ。
「悠介。青春や」
背中をぱしっと叩かれた。
「次郎。そっち持って」
ライトと次郎は膨らんだエアベッドをつかんで波打ち際に走って行く。
「冷たい、気持ちいい」
「最高や。ほら、悠介も柴田も来いよ」
エアベッドを波に放り投げて、二人は大はしゃぎで海に飛び込む。イルカやパイナップルの形のフロートに混じって、なんの飾りもないグレーのエアベッドは目を引く。
「悠介。俺のエアベッド、なんだかプロ仕様に見えないか」
「見える、見える。水陸両用、ハイグレードだよ」
シャツを脱ぎながら答えた。あの透き通る海を目の前にして、ふてくされているのには限界がある。
靴を脱いで砂浜で靴下になった。これだけ厳重にガムテープで巻いていれば染みないだろう。テープと靴下越しにも感じる白砂の熱さがビーチにいることを実感させた。
海だ、海。
「おっ、二村、それは?」
二村は新たなビニール製品を取り出して膨らませている。
「ビーチボールだよ。一回百円」
「すごいな、二村」
本気で感心した。エアベッドにビーチボールがあれば、それなりに見える。由里を誘ったら喜ぶのでは。由里は何を着て海に入るのだろう。ランシャツのままだろうか。急に悠介は緊張する。
「二村、浮き輪なんか持ってないよな」
暗い声。柴田が少し離れた所で、体育座りをして浮かない顔をしている。
「さすがに浮き輪はないなあ」
「さすがにって、ビーチボールはあるのに浮き輪はないのか」
「俺のリュックにもキャパがあるからな。商品は厳選してるんだ。ビーチボールなら、海でも山でも遊べるだろ。エアベッドだってフロートの代用になるのを調達したんだぞ」
半分ほど膨らんだスイカのビーチボールを見て、柴田は何か考えるように、あごに手を当てた。
「でもビーチボールも浮くよな」
「沈んだら海で遊べないだろ」
「ないよりいいか。それ、借りるよ」
「まいど。柴田様、少々お待ちを」
二人の商談がまとまったところで、悠介は「よし」と砂浜に立った。
寄せては引く波に走って頭からダイブする。
「海だあ」
海水に熱い身体が冷やされるのがたまらない。ゆらゆらと光る水。小魚が見える。
「気持ちいいなあ」
仰向けになって穏やかな波に揺られた。腹に息を入れるだけで身体が浮く。目を閉じた。溶けてしまいそうだ。沈みそうになってまた大きく息を吸う。すぐに腰が持ち上がる。
エアベッドに立とうとするライトを二村が横で支えていた。サーフボードのつもりなのだろう。あえなくひっくり返ったライトを見て次郎が大笑いする。
「ちょっ、助けて」
声のした方を見ると水から手がにょっきりと出ていた。隣にはスイカがぷかぷかと浮いている。
「なんだ、なんだ」
悠介は慌てて手を引っ張った。しがみついた手の主が顔を出して猛烈に咳き込む。
「柴田、何をやってんだ」
背中をたたいてやる。
「み、水、飲んだ」
次郎もばしゃばしゃと走ってくる。
「なんでや。ここ、腰までしかないやんか」
「俺、泳げなくて」
柴田は泣いていた。隣で水遊びをしている女の子が指を差して笑う。ライトと二村が笑いながらエアベッドを引いて来た。
「柴田、これに乗るか。引っ張ってやるぞ」
「いいよ、落ちたら怖いから」
柴田が情けない顔をする。
なんでもそつなくこなす柴田にも弱みがあったのか。意外だ。柴田は咳をしながら波打ち際を出て、ビーチに座ってしまう。
「大丈夫かよ、柴田」
ぞろぞろと浜辺に上がって、柴田のそばに腰を下ろした。
「でも面白かったね。サマスペで海水浴ができるなんて思わなかった」
ライトが拾ったビーチボールを手のひらで弾ませた。
「見ろよ、すげえ、夕陽」
二村の声に振り返ると、ビーチの正面に溶けそうな太陽が浮かんでいた。空を赤く焦がす光が海に引いた金色の道は、悠介たちの足元まで届いた。
「おお、素晴らしいねえ」
海の家から鳥山がデジカメを構えていた。斉藤はうちわをのんびりとあおいでいる。
「なんで先輩たちは、あんな海の家くらいで喜ぶんだろうな」
悠介は誰にともなく言った。
「サマスペスタンダードの枠内に入っていたからなんじゃないかな」
ライトが首に巻いたタオルを絞って、頭を拭きながら答えた。
「なんだって? サマスペスタンダード?」
「サマスペの基準っていうかさ。豪華だったり楽ちんだったりすると、あの人たちのサマスペじゃないんだよ」
そう言えば高見沢は「それだとサマスペじゃなくなっちゃうからなあ」と言っていた。
「だから今日のシーサイドホテルは、その基準内で十分に嬉しいプレゼントだったんだよ」
「そやな。考えてみれば、今日は宿探しをしなくてすんだし、食材だって用意してくれたわけやからな」
「ホテルに泊めてくれるなんて、ちょっとおかしいなって思ってたんだよね」
「それでも三十年とか前の先輩が、俺たちの面倒見てくれるんだから、すごいことやよ。被災地をサマスペのコースに選んだのが正解だったんやな」
「そのことなんだけど、僕はちょっと疑問に感じてるんだよね」
「何がや、ライト」
「だってさ、災害に遭った橋を見たってしょうが無いじゃん。なんだかんだ言っても、歩いて旅行なんて所詮、学生の遊びでしょ。熊本を応援するんだったら、お金を落とす旅をするべきだよ。
阿蘇ならテーマパークで入場料を払って楽しむとかトレッキングするとかさ、名物のあか牛のステーキ食べたっていいじゃん。よっぽど地元の人に喜んでもらえるよ」
「それじゃ、サマスペじゃないんじゃないか」
柴田が首を捻った。
「別にサマスペの趣旨を否定してるわけじゃないんだけど、熊本地震のことを胸に刻めって言うなら、熊本にいる間だけでも、お金を使ってメリハリをつけたっていいと思うんだよね」
「うーん」
悠介は唸った。一理あるような気もするが……。
「僕らって一文無しでさ、寝る場所も無料で借りるなんて、逆に地元の人の好意に甘える旅だよね。それで遺構だけ見学なんてさ、偽善っぽく感じちゃったなあ」
偽善?
「おい、ライト、偽善はないやろ」
次郎が膝をたたいた。
「違うかな、ごめん。言い過ぎた?」
ライトが舌を出した。
二村がライトの肩に手を置いた。
「ライト、それ、上級生には絶対言うなよ」
「そやな、俺たちだけにしとけや」
二村も次郎もライトを心配している。ライトは「はーい」と、にこにこしている。
「ライト、お前は思ったこと、ずけずけ言うとこあるから、気をつけろよ」
「了解」
ライトは二村に敬礼してみせる。
二村が手を上げて「俺さ」と続けた。
「涼が脱走した日に、鳥山さんのタブレットを見ちゃったんだけどさ」
鳥山さんとドローンのことで盛り上がっていた時だ。
「鹿児島までのルートが何パターンも調べてあった。あれは相当綿密に準備してるよ」
「伝統のイベントだけに、幹事もいろいろ大変ってわけやな」
次郎がまとめた髪を絞る。砂に水滴が落ちた。
「この合宿は、ただ歩くだけじゃないと思ったよ」
二村の言葉にみなが考えるように黙った。
悠介は昨日、高見沢が「みんなに聞いてみればいい」と言ったのを思い出した。
「あのさ、みんなはどうしてサマスペに参加したんだ」
「なんだよ、悠介。あらたまって」
二村はビーチボールをぽんぽんと宙に上げた。
「なんでかなあと思って。二村は?」
「俺はダイエットだな。斉藤さんに十キロは落とせるって言われてさ」
「ダイエット?」
「サマスペって起きてる間中、有酸素運動しまくりだろ。しかもデザート、菓子類は一切とれない。斉藤さんはブートキャンプより効果的だってのたまうわけよ」
「二村、もう痩せたんじゃないの」
「おっ、ライト、わかるか。四キロ落ちたんだよ。銭湯の体重計に乗るのが楽しみでさ」
二村は腹を撫でている。
「それにこういうサバイバルっぽいのが好きなんだ。集めたギアも使ってみたいしさ」
「道具マニアってやつやな」と次郎。
「銃が撃てたらもっとよかった」
その発言にほかの一年生は引いた。次郎がおそるおそるリュックを指さす。
「まさかその中に持って来てないやろな」
「アメリカじゃあるまいし。じゃあ順番だ。次郎はどうして参加したんだ」
「俺か? 俺はその……」
次郎は右手にすくった砂を落とす。小国町で道に迷う前に、次郎が話しかけてやめたのを思い出した。
「SNSをやめたくてなあ。俺、ケータイが手放せないんや。自分のしたツイートとか投稿にいくつ「いいね」がつくか、誰かからコメントがもらえないか、気になってしまってたまらんのや」
「俺だってツイッターもインスタもやってるけど」
二村に悠介も頷く。みんな普通にやってることだ。
「異状なんや。もう一分おきくらいに見てしまう。承認欲求っていうらしいな。勉強していても、テレビ見ていても、友だちと話していても、みんな上の空や。寝ていてもSNSが気になって、すぐに起きてしまう」
「依存症か」と二村。
「そうや。やめよう、やめようって思うんやけど……このままだと俺、どうかなってしまう」
「ヤバいじゃん、次郎」
無邪気にライトが言う。
「それでやな、サマスペってケータイ禁止やないか。これだと思った。サマスペの説明会の後、俺、幹事長に相談したんや」
「へえ、梅さんに直接か?」
「そんな動機でふざけるなって怒られるかと思ったけど違った。あの人、真剣に聞いてくれてな。話し終わったら、ばっさり一言や。
お前は意志が弱いだけだって。それが刺さった」
「梅さん、不思議な説得力あるからな」と二村が言う。
「あの人の言うとおりなんや。俺、子どもの頃から自分で決めたことが守れなくてなあ。SNSは一つの象徴や。俺な、意志の弱い自分をたたき直してやりたいんや。だからこのきっついサマスペを歩き通すと決めた。二十歳の約束や」
二十歳? 浪人していたのか。知らなかった。
「だからどんなに辛くても鹿児島まで歩き通す」
「それで野犬に襲われた夜に、車に乗ろうとしなかったのか」
「そうや、悠介」
「でも大丈夫なのか。ケータイがなくて禁断症状みたいのは出ないのか」
次郎がにかっと笑う。
「それが全然なんや。ごっつ清々しいわ。なければないで何も困らない。これは偉大な発見やな」
そう言えば悠介も禁煙していたが、サマスペが始まってもう五日。吸いたいと思わなかった。二十歳を前にやめられそうだ。
「僕は無茶苦茶なことをやってみたかった」
ライトが足の砂を払って言う。
「九州を歩いて縦断なんて、あり得なくて面白そうじゃん」
「えっ、それだけ?」
悠介はライトをまじまじと見た。ライトはきょとんとした顔のまま、日光で乾き始めた癖のある髪をかき上げた。
「おかしいかな」
「いや……」
鋭い理屈やどきっとするような毒を吐くくせにライトは、やっぱり変わってる。
「ゼミの話は?」
黙っていた柴田が顔を上げた。咳は治まったようだ。
「俺、学食でメシ食ってる時に鳥山先輩に言われたんだよ。サマスペは学内でも有名で教授にもシンパがいる。だから、ゴールまで歩き通せば人気のゼミに無条件で入れるって。ほら、うちの学部ってゼミは抽選だろう」
「なんだ、そりゃ」
二村が砂浜にひっくり返って笑い出す。腹が波打っている。
「あのチャラいお人の話をよくもまあ、真に受けたな」
「なんだよ、嘘だったのか。それじゃあ俺はなんでこんなことしてるんだよ。毎日、朝から歩いてさ、苦しい思いばっかりで意味ないじゃないか」
初めて聞くサマスペに対する真っ当な疑問だ。
「逃げようかな、俺」
二村が笑うのをやめて、柴田の顔をのぞき込む。
「柴田、いいのか。ここで逃げちゃって」
悠介は自分が聞かれているような気がした。
「そやそや。せっかく歯を食いしばって歩いてきたんやないか。あと半分。最後まで行こう、なっ」
次郎が柴田の背中をたたく。
「まあ……鹿児島に行かないと財布もケータイもないしな」
柴田が不承不承言うと、二村がにんまりする。
「そうそう。鹿児島でビーチボール代、回収させてくれよ」
「しょうがない。行けるところまで行くか」
柴田が悠介を見た。
「悠介はさ、ミーティングも出ずによく参加したよなあ」
「俺?」
「そうだよ。いつも面白くなさそうな顔をしてさあ」
柴田の笑顔は屈託ない。どうしてそりが合わないと思ったのだろう。
「そうかな? 俺、そんな顔してたかな」
「してた、してた。なんかさ、人は人、俺は俺みたいな」
「僕は悠介は単純でいいやつだと思うよ。でもさ、言葉が足りないんだ」
ライトが言う。
「悠介は怖がってたんや」
次郎がワカメ髪を手で撫でつけた。
「怖がってた? 何をだよ」
柴田が不思議そうな顔をした。
「俺らと仲良くなるのを怖がってた」
悠介はその先は自分で言おうと思った。
「俺は、その……普通でいいと思ってたから。特別、仲良くならなくても」
言ってしまった。
「友だちなんか価値がないって思ってたんだよね。だから冷めた感じで距離を取ってたんだよね」
ライトがずばりと突っ込んできた。
「そうじゃないんだ。いや、そう思おうとしてたのかな」
「でもさ、今の僕ら、悠介の言う普通な感じかな。冷めた付き合いかな」
「……そんなことない」
「胃、まだ痛むんか」
悠介ははっとして次郎を見た。
「あれっ、俺、忘れてた……」
この二日間、痛くもかゆくもない。それどころか本当に忘れていた。
「俺のおかげやな」
次郎がにやりと笑う。
「えっ、何で次郎の?」
「俺と野犬に喰われそうになったから、吹っ切れたんやろ」
「それは次郎のおかげって言うか……」
二村がスイカのビーチボールをぽんぽん弾ませた。
「それで悠介。お前はなんで参加の申し込みをしたんだ」
「えっと、まあ、その、なんとなくノリで」
みんなが笑い出した。
「嘘つけよ」
「何がノリだっての」
「お前が一番変な奴やわ」
「いいんだよ、悠介は単純ばかなんだから」
「ライトって、口が悪いな」と頭をかいた。でも由里に近づきたくて後先考えずに参加した悠介は、いかにも単純なばかに違いない。
「あのさ、俺、みんなにサマスペに参加した目的を聞いたけど、目的なんてどうでもいいのかなって思ったよ」
「なんだよ、それは」
「そうや、せっかく恥を忍んで話してやったのに」
「悠介、言葉が足りないって言ったでしょ」
「いや、ほんとにうまく言えないんだけど……」
二村が腹をさすった。
「目的なんかよりも、こうやって同じ時間を共有していることに意味があるって言いたいんじゃないのか」
「別にそんなことは」
「素直じゃねえなあ」
二村にビーチボールをぶつけられた。
「次郎、まだ冷めてるよ、こいつ」
「うん、僕もまだ微妙な距離を感じるな」
ライトもすました顔で言う。
「いや、そんなことないわ」
次郎がにっと笑って悠介と自分を代わる代わる指差した。
「悠介、俺たちもう、スープの冷めない距離になってるやないか」
爆笑が波打ち際に響いた。
「次郎、それってどんな距離なの?」
「辞書ひけ、辞書」
「いいこと言ったと思ってるだろ。おかしいからな、それ」
笑い混じりの声が飛ぶ。悠介も笑った。
笑うタイミングも、笑う表情も、声の大きさも、何一つ気にしなかった。ただ自然に腹の底から笑っていた。
「おーい、一年生。スペシャル焼きそば、できたよ」
エプロン姿のアッコが手を振っている。日に焼けて健康そのもののアッコは、海の家でバイトしているようだった。
――――サマスペ六日目 熊本市~芦北町 歩行距離五十九キロ
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