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そういうところ
金木犀の甘い香りがあふれ出していた。
近所の公園の金木犀の小さな可愛らしい花弁は、
冷たい雨で無惨に散り、
しばし橙色の絨毯が出現していた。
そのうち香ることも無くなりそうだ。
金木犀のハッシュタグが溢れ出して溢れ出して溢れ出していた。
スマートフォンから匂いたちそうなほど。
日本各地の金木犀が一つのハッシュタグに集められ、
これ以上ないくらいの濃い濃度の金木犀が香る。
吸い込んでしまえば、幻覚症状で感傷的になり過ぎて、
涙が止まらなくなって病院に行ったら、
「う~ん花粉症ですかね」って言われてしまいそうなくらい。
******
金木犀の香り立ち込める時分よりも随分と手前。
お手紙の挨拶には残暑お見舞いの文言が並び始めた頃。
お盆の帰省で高速道路走行中にフジファブリックの『赤黄色の金木犀』を聴いてから、
私の頭はしばらく『赤黄色の金木犀』ばかりが流れていた。
もちろん一曲無限リピート。
そうやってまだ来ぬ秋に思いを馳せて、
自ら金木犀香るんじゃねと、
甘ったるい香りしちゃうんじゃね、
というくらいには聞き倒した頃に、
私は一つの結論に達した。
この曲に出てくる
“過ぎ去りしあなた”
おそらくお付き合いしていたであろう彼女、は僕のこと大好きだったけど、
常に終わらない自分語りに嫌気がさして自ら去っていったに違いない。
そう勝手に確信した。
もちろん最初は曲を聴いて、
イントロが綺麗だな、とか
歌詞に描かれている情景を思い浮かべたりしていた。
が、そのうちなんでこの二人別れたんやろとふと疑問が湧いて
そこから、名探偵コナン君ごっこが始まった。
”もしも過ぎ去りしあなたに すべて伝えられるのならば”
歌の冒頭だ。
過ぎ去って行ったと言うというのにまだ、全て伝えたいらしい。
どんだけ溢れているの想い。
てかそんなに想ってたのに、ダメになったなんてさ、
ちゃんと彼女のこと見てなかった説が非常に有力。
怪しい。
そもそもこの曲のサビの“感傷的になり切れず"とあるが
そこにそんなに驚かんでもええやんって思うわけです。
思ってたより二割引き三割引きの感傷であったとしても、
感傷には変わりなし。
三割引きでも刺身には変わりなし。
なのにこの歌の僕は、
別れてもなおすべてを伝えようとしていたにもかかわらず、
感傷が目減りしているという事実に動揺してしまったというのだ。
目減りすなわち、あんなに好きだった彼女への想いの減少。
自分の中で確かな感触を伴って存在していた思い出が風化し始めている。
この微細な変化にたまらなくなったそうだ。
自分の心情への観察が細かい。
そして反応がでかい。
これは普段付き合ってるときもこのような性質が随所に現れ、
彼女といるときも彼女の髪型の変化や服装の変化に気づくよりも、
彼女の日常のささやかな他愛ない話への共感そっちのけで、
自分の世界に、自分の感覚に埋没していた可能性が極めて高いのではと私は推測した。
遠巻きに見つめている分には魅力的な男の子も、
彼氏として付き合ってみると、
(ただの相づちマシーンなの私?
そんなに音楽の話ばっかり興味ないけど、
もっとデートっぽいことしたいのに言い出せない、
他の付き合ってる友達とかもっと楽しそうなのになんでだろ)
と疑問を抱かずにはいられなくなり、
そこから少しづつ溝が深まり。
最終的に彼女は別れを決意する。
みたいな二人のストーリーが頭をよぎっていった。
(ありきたりですみません。)
これでまだ彼女に伝えたいことがあるって
どんだけ自分のこと好きやねんと思わず、
突っ込んでしまうまでに至った。
そんな一曲ひたすら無限リピートして、
描かれていない男女の出会いや別れのシーンを頭の中で思い描き
コナン君と化して別れた原因を突き止める。
中々にコストパフォーマンスの優れた一人遊びをして満足したので、
この自分の考察を意気軒昂、夫に披露してみた。
「なるほど、自分語りばっかりしちゃったわけね、それで別れたんだ。」
一通り話を聞いた後の夫の感想。
この前のめり感を一切感じない返答。
学校のチャイムのような規則正しきリズム。
もうすぐ4時限目が始まります。
とりあえず内容をオウム返しすることで、
あなたの言うことを聴きましたよと共感していることを示す、
基礎的コミュニケーションスキルの返しで返事が来た。
比例していなかった。
熱量が。
私のと。
(思ったより興味なかったのね)
そのように受け止めた。
わりと得意げな気持ちで話し始めた私としては若干肩透かしな彼の反応だ。
ちょっと寂しい。
もう少しノーベル賞受賞くらいの反応が欲しい。
大発見じゃないのかい。
意気軒昂からの意気消沈だ。
さらに、その後に続いた彼の言葉で私はちょっと動揺した。
「アちゃんて俺のどこが刺さったん?」
「ええッ!」
濁点の付いてる方のええッが出た。
(そ、そこですか?)
この流れからのそこ。
絶句するとはこのことだ。
赤黄色の金木犀の世界観の探求に関心があるのではなく、
そんなことにうつつを抜かしている我が妻が、
あまり探求しがいのない、1ルームユニットバスな俺の脳みそのどこに惚れたのかい?
そういうお問い合わせでよろしいでしょうか。
そんな事より、結婚して16年ほどになりますけれども、
まだそんなこと気になるんですかという点に私は驚きを禁じえないのですが。
結婚して2、3年とかなら分かる。
しかしもう15年以上経過していてなお、
ふとそんな事を疑問に思っちゃう訳なのね。
今年のベスト亭主賞は君に決定。
満場一致。
パチパチ。
パチパチ。
長きにわたる結婚生活において
常に妻への関心を失わない姿勢は賞賛に価しますますですます。
粛々と進む授賞式。
一方で私はこうも思った。
バレてる
バレたか?
何が
本当はめんどくさいタイプが好きってことを見透かされたような気がした。
本当はあんまり刺さってないよね俺のことって言われた気がしましたよ。
いつも全然鋭くないのに突然に鋭い。
結婚生活にめんどくさいは不要なんや。
確かに急所です。
めんどくさい人。
突然そんな問い合わせ受けたせいで、
結婚する前に付き合った人だいたいめんどくさいタイプだったことを思い出した。
はいはいご明察でございます。
未だ少々拗らせ気味なのはご愛嬌。
でもね1ルーム位が丁度良いのです。
居心地がいいのです。
それくらいがいいのです。
です。
はい。
普段人を勘ぐったりなんて微塵もしないのに、
どうしてこう突然投げてきた直球で人の心の核心を突いてくるんですかね。
一撃で仕留めにかかるんですかね。
ホントやめてもらっていいですか。
まったく。
オシマイ。