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Adoスイッチ
緑地に黄色で抜いたピの文字。
公共放送の長寿番組。
日常で使うなんてことの無い物を使って、これをそんなふうに使ったらこうなるんだ!と物事を新たな視点で捉えようとするリフレーミングを視覚化したような装置。
そのコースの複雑さ、使用されている道具の意外性、ただビー玉が転がっているだけなのに時に応援したくなる装置。
つまりあれはリフレーミングのスイッチを押してみようぜって啓蒙のための番組ってことなのかな。
いまさらながらに番組の意義について考える。
あの番組の中には、お父さんスイッチなるものもある。
子供の作ったその装置の強度の頼りなさ筆圧弱めの揺らいだ文字。
そんな子供の覚束なさがそのまま表れたような装置で、なんとお父さんをコントロールしてしまえるという優れもの。
例えばおとうさんに家事をさせたり、お父さんにしかできないパワー系のお願いをしたり、お父さんスイッチの使い方はいろいろ。
こんなふうにこの世にはかくもいろんなスイッチがあるのだけれど、最近私はAdoスイッチなるものを発見した。
一学期学校でのトラブルが多かった。私はなるべく学校に電話したくない派なのだけれど仕方がない。必然的にお話合い的な状況になる。
「そうなんですね」
「ああそうなんです」
「そうそう」
こんなふうに皆がそれぞれ描いた着地点に向かい多少の誤差があれど、同じ方向に話が収束していくかと思いきや、今のはどういう意味ですかというような単語が突如として出てくる事が幾度かあった。
そんな時にこのスイッチは入る。
はぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
Adoスイッチ・オン
だ。
もちろんうっせえとは言わないけれど、(何言ってんだコイツ)くらいの単語は頭の中で巡る。
私は自分の子供第一で考えているのだけれど気付けば組織の理論を押し付けられて、余りにも子供の心を軽んじていやしないかと思う事が度々。
そんな時にAdoスイッチ・オンになって憤怒の塊が身体を下から上と空に登っていく龍みたいに駆け抜けて行く。
憤怒なんて言葉仁王像に対して使う言葉かと思っていたのに、自分の内側から湧いてくることもあるんだなと、スイッチオフの後にしみじみ思ったりなど。
時々これはこちらを感情的にさせて細かい追及から避けるための攪乱作戦なのではと思う事があるけれど、まさかね。
そんなAdoスイッチの発見は、心休まらない毎日の中で少しおかしさ込み上げる発見だったのだけど、夫に言うと「ふ~ん」って言うだけだった。
あちらはあちらで子供のトラブル話にのれない事情があるようだから仕方ない。
Adoスイッチ・オン
しかしながらこれはかなり身を削る自滅スイッチでもある。
当分の間はスイッチ・オンな状況はこりごりうんざりもう結構でございますですわよ。