また 泣いた
突然に胸を締め付ける切ない感情は時と場所を選ばない。それが休日のカラオケルームだろうと条件が揃えば容赦なく涙腺は緩む。
『天気の子』を見たのは年末だったと思う。休みだからアマプラで映画でも見ましょうかという流れで見た。本当は一人で見ようと思っていたのに、当時6歳の息子がまだ寝たくないと言い張り、寝かし付けに時間を取られるのもいささか面倒だったので、好きにしなさいとほったらかしたら、息子と一緒に見る羽目になった。
映画の筋書きはこんな感じ。
※ネタバレ有り。
天気を自在似操れる能力を手に入れた両親のいない女の子と家出少年が出会う。天気を操る能力を活かしてお金を稼ぐ、でもその能力を使えば使うほどあとから反動が来て云々。といった話だった。
『君の名は』のときより、風景がキラキラ着飾ってた気がした。これは自然光?何か混ざってますか?と問い合わせたくなるような、きれいな風景だった。
1500円だったかとにかく安いファッションリングを彼女のために買おうと男の子が長時間悩んでいるという描写が、あざといなぁと四十を過ぎたワタクシは思ったりしたけれど、正真正銘純粋無垢なウチの6歳さんは、私と見てる世界が違っていた。
あぁ、ここぞっという場面になると、横から
ヒック、ビッグ、グぅえーん、
と肩震わせてなく声が聞こえてくる。
この世の全ての苦しみをその肩に背負ったかのような、胸の張り裂けそうな涙声。
「ひなさんが、ひなさんが、
グェ〜ン」
(そうだね 、悲しいね。ウンウン、分かるよ息子よ。でもさちょっと落ち着こうよ)
映画館でも無いのに、何かちょっと人目を気にしたくなるほどの泣きっぷりは、クライマックスの一番の見せ場でピークに達した。
彼女を助けに行くということは、無関係な全ての人間を災害に巻き込んでしまうかもしれない。けど
そんなの関係ねーよ!
例え世界が壊れても
それでも
僕は
彼女を
取り戻したいんだ!
助けたいんだ!
彼女にもう一度
会いたいんだぁっ!!!
制止しようとする大人を振り切って壊れていく階段を登っていく主人公、そこで流れ出すRADの挿入歌、
"愛にできることはまだあるかい?"
これ以上にエモい場面は有るかい?
無いよね?
もちろんないです。
最高にエモいです。
となったところで、映画の中の世界より一足先に我が家に大雨洪水警報が発令した。隣で目から大量の体液の雨を降らす未就学児1名。観測史上最大規模です。
『ニイちゃんいい食いっぷりだね!」とか「姉ちゃんイイ飲みっぷりだね」等の褒め言葉があるけれど、なんていうか、
「坊や良い泣きっぷりだね」
と言いたくなるような有様で、私は思わず横でケラケラとわらってしまった。
泣いてる横でケラケラ笑う?
RADにそんな歌詞があったなと思った。
"君があまりにもきれいに泣くから僕は思わず横で笑ったよ"
男女の歌だと思っていたRADの『有心論』の歌詞の一節が親子バージョンで再現された。
画面では愛についてのお問い合わせが行われている最中だ。
確かに映画は面白かったと思う。
ヒロインはもっと性格の悪い拝金主義者の方が、ギャップでラストのお祈りの場面がよりグッと来たかもしれないなとか、どうせファンタジーなのだから、原付バイクの運転技術で逃げるより、歴代の天気の子パワーで水を操って打開して欲しいなとか思ったけど、そうなると話はよりややこしくなりそうだ。
何よりメインのターゲット層は私じゃない。12歳の親戚の女のコはめちゃくちゃ面白くて2回も見に行ったと言ってたんだからマーケティング戦略ヨシッ。
(でも天気を操る特殊能力とか飛行石持ってるとかじゃない限り、世界を捨ててでも自分を助けに来てくれる男の子は、決して現れないことだけは、分かって欲しい)
そして途中から息子の反応が面白くて、正直映画に心掴まれるどころではなかった。なので『天気の子』関連で今後心に不意打ちを喰らうなんて思いもしなかった。
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時々休日にカラオケに行く。とりあえず公園にも行って遊んだけれど良き親のお役目果たしたけれど、お家に帰って静かに過ごすには、お母さんまだ遊び足りないよ〜といった塩梅の時にカラオケに行こうと息子に声を掛けると、だいたいOKがもらえる。
彼は彼で母親が歌唱に熱中している間にするSwitchやアプリのゲームはノーカウントという事を知ってるので、お互いのメリットがぴったりと合致。まさにwin winの関係。
そうです。母親がカラオケに行って子どもはゲーム三昧。ファミレスで長時間駄弁って子どもはスマホの母親と何ら変わりのないただボッチなだけの堕落した母親ですけど何か。
その日はわりと直近に『天気の子』を見たあとだったので、普段はあまり歌わないRADだけれど、ちょっと歌ってみようかという気になった。
何より
(ホラ君が大号泣したあのお歌だよ、お母さん歌ってあげようか)
などと息子へのウザ絡みの気持も多分にあった。
本人映像だったのでMVがカラオケルームのモニターに流れた。
雲のかかった空が映る。現実の世界の空はこんなものでしょと言われてるような気がした、うっすら明るいのは夜明け前なのかもしれない。
カメラが地上に降りて、高速道路と新幹線の車両基地の間のようなフェンス沿いの細い道が映る。ピアノからボーカルが立ち上がって歩き出す。何も持たない僕たち私たちは、この狭い細い道でのたうち回ってるってことを示唆しているのかな。隣の高速道路が権力者で新幹線が流行りの上級国民でしょうか。映画とはまた違うくすんだ世界を映す映像を見ながら一生懸命歌っていたら。
「見て!!カガヤキじゃない?カガヤキ」
「ほら!!ほら!!見て見て!!!」
新幹線が映っているのを見つけた子供が騒ぎ出す。
ーーうっせぇわ!!!!ーーー
坊やうるさいのは『うっせぇわ』歌うときだけにしてくれないかな、と思いながら「お母さん今歌ってるから黙っててくれるかな、うんカガヤキねうんわかった」
空気を一切読まずに思ったことを口に出す生き物。それが私の子供だ、全くもって失礼な奴だ。気を取り直して、再スタート。
語りかけるように静かに歌われる歌は、映画と違って小汚い現実で右往左往しながら、何とか日々呼吸して生きてる若者のことを歌ってるようでもあり、全くもって映画のシーンでもあり、現実の感覚と映画のシーンが自分の中で混ざり合った。
”僕の全正義のど真ん中にいる”
この歌詞がどうにも、歌っている私のど真ん中をぐっさりと貫いた。
そもそもが正義を貫きがたい状況に映画の主人公は置かれていたし、それは現代の若者にも通じているよなと、そして大切な彼女の存在を推し量るのに、自分の中の正義から推し量るんだなと、そこに青さがとてもよく表れている。大人になっても正義持ち出すやつは争いを引き起こしたい確信犯か愚か者のどっちかだ。正義を持ち出して抗えるのは若者の特権じゃないか。その正義だって押しつぶされそうなのに、彼女がど真ん中にいるから、僕はその正義をを見失わないし、真ん中にいる鮮やかな君は今の僕の全部っていう感じが、余すところなく伝わってきて、キラキラの排除されたくすんだ映像のせいで、余計にまっすぐに胸に響いて、締め付けられた。
声がうまく出なくなった。
目の辺りが少し暖かくなってきて。胸が小刻みに震える。
子どもは今度は静かにしていたけど、私は演奏の停止ボタンを押した。
『天気の子』ってターゲットは10代女子層かと思ってたけど、間違いないですよね。ということは主題歌だって、そのために作られてるんですよね。お客様は昭和のお生まれでお間違えないでしょうか?はい、昭和に生まれた女でございます。ちなみに全正義で持って何かを推し量った経験もお相手もございませんでございまして、それであの、なにかかするような経験も皆無なのでございます。おそらく、このコンテンツのメインのターゲット層からは大きく逸脱してると存じます。
なのになんで射程圏外から不意打ち喰らってるんでしょうか?
野田洋次郎恐るべし。
その涙は別に溢れるって程でもなかったけど、ギューッと締め上げてきた。
それから少しずつ緩んでいった。
その感覚が心地よかった。
愛にできることは、まだまだたくさんあるに違いないよ。
おしまい。