身から出た錆
(昨日の前日)
昼下がりは、服や小物や肌着をまた何となく染める作業と同時進行で、『身から出た錆とはいえ…』と何度か、配慮を頂いた相手へのメールの返信に、弁明のつもりで書いては消して、書いては消してを繰り返し、たしか結局は書かなかった。
染料をケチってしまったり、気分と実際に使った色のイメージが、持ち合わせの藍とディープレッド?では逆だったことに、衣服を浸したあとに気付いた。結局、交ぜて濃い紫に。持ち物が濃い紫に、ひとつふたつと染まってゆく。
何のこっちゃな写真の説明が長くなってすみません。
からだや道具の使い方を本当に見直したい でも自分の認識する現代の時間の流れでは非常にむずかしくなっている…&足りない、ひと工夫が必要&見極めるべく時間と距離、と、すぐにさまざまな情報や欲望に振り回され、惑わされてしまう中、しつこく当たり前のことを、思いつくままに吐き出し切って、繰り返し意識し、ほんの少しずつ手を、肢体を、あたまも、からだまるごとを使った行動を
(余談ですが、昨日は野良仕事の最中、猛烈な暑さで胸苦しくなって屈まないと心臓かどこか分からない上半身の臓器のどこかが普段とは違う気配でちょっとマズい…と思ったけれど、もうひと踏ん張りしてみようと前屈みになって軌道が確保できる姿勢で動いてみたら、腰が内部を支えるみたいなはじめての働きをし出したのがあたまで何となく分かって、近年は急な反り腰気味で悩ましいイメージしかなかった腰がそんなこともできるのか…!腰エライぞ!!みたいな感情が止まらない汗と同時に沸き噴き出てきたら、いつの間にか上半身内部の臓器のぞわぞわも治っていた。でも、このぞわぞわは最近では2度目のことだから癖になっているのかも要注意。からだは不思議。腰はすごいねぇ…という体感をしてからは、肚で決めるといいという情報もすごくしっくりくる。肚が本当に動かないタイプなのだけど、意識の仕方が思わぬ出来事を通して体感から分かってきた。イメージだけでも弱い。できているかどうか分からない。ましてや動作の再現からなんて無理。教わっても100年かかる。偶然を待つしかないのだろうな…自分の場合。からだが覚えたことはからだに残る。からだで覚える。肚がまだ未知。今迄はいよいよ余白がないのに主に背面、それも入らず感覚的には首、目の下、こめかみあたりで酒呑んでた。肚や腰にいつか浴びせてやりたい。過去のお役目を清算したり、あたらしいお役目を前に意気込んだりする暁には)
そうそう。話は戻り。身から出た錆という言い回しが、あまりにピッタリすぎて、ちょっと使えなかったのじゃないか、とその後もしきりに考えていた。事務連絡の一環だった。心配事への便宜をはかってもらえるとの返事内容だったから、感謝を強調する気持ちを表したくて用いようとし、意味を何回か調べているとピッタリすぎてこわくなるくらいだった。
・『身から出た錆』は、自分の行いや過ちが原因で、あとで災いを受けて苦しむことを意味する慣用句です。
「身から出た錆」の語源は、刀の手入れを怠ると刀身が錆びつき、駄目になってしまうことに由来していると言われています。
「身から出た錆」は、次のような使い方があります。
相手を批判する厳しい表現として使う場合がある。
本人が自らの行ないの結果を全て引き受けるという覚悟を示す場合がある。
そういえばwikiじゃなくて、いつの間にかAIによる概要に変わっている…
(どんどん更新されてゆくのか?辞書はどうなっちゃうのだろう。テレビドラマ相棒の再放送で何度もみた森本レオが辞書の作り手みたいな回めちゃくちゃ印象的。そう。何を考えて連想したのかは、今となると全く思い出せないけど、炎天下で信号待ちしてた時に、ふと今くらいの鬼門な昼下がりの時間帯に流れている、相棒や科捜研やあのあたりの再放送がみたくなった。自分の選択という程まででなく、現実社会の風刺だったり示唆のようでありながら、内容の無いようなあるような、あれはあれで頭の中を空っぽにするすばらしい作用があるなぁ…とテレビの電波を受信しない環境になって思った。好きなだけ怠惰に身を投じていたときは、からだに悪い!けしからん…と思っていながらも、座っているだけで、誰にも邪魔されることなく容易に、あたまを空にできる手軽な快感の誘惑に負けていた、ずっと。辺りを見渡しても、自分の胸に聞いても、そういう手軽な快感を生産する、生み出すのに兎にも角にもお金がかかるよう…)
一昨日、色々と書こうと思って中断し、何時間か前から元気に括弧に肉付けして書き進めていたらどうやら満足してきた。
とにかくAIによる概要がまとめてくれている『身から出た錆』のコピー通り、今の自分
・『身から出た錆』は、自分の行いや過ちが原因で、あとで災いを受けて苦しむことを意味する慣用句です。
「身から出た錆」の語源は、刀の手入れを怠ると刀身が錆びつき、駄目になってしまうことに由来していると言われています。
「身から出た錆」は、次のような使い方があります。
相手を批判する厳しい表現として使う場合がある。
本人が自らの行ないの結果を全て引き受けるという覚悟を示す場合がある。
肚が、胎が、これから自らの行いの結果を全て引き受けるのだろう。自らの不在の場で立てられた噂話や憶測でつけ火され、消されたことに対する報いとして、自分を守れるのは"誰ひとりとしていない"自分だけなので、執念深く厳しい表現で相手方を批判するのは当然のこと(じゃなけりゃ、けむり喜ぶ○○○、リアル版・つけびの村となってしまう…)。足りない、ひと工夫が必要ということを見極めるための時間と距離を思い出させてくれたこと。底なしに自分の力を奪い続けてきた自分の踏んできた"人が人であるための仕方なさ"の轍に蓋してきた現実…
咄嗟に浮かんで、仰々しいかなと戸惑うどころではなかった『身から出た錆』
誇らしくみえていたもの、みせていたものが、ちょっとした手抜かりや落ち度でみるに耐えない恥と化する。そういったものは、本当に底抜けに骨抜きに人を弱くしてゆく。ひめごとを伴うからだの積み重ねは、そういった恥が祟り続けることの無理を忘れさせ麻痺させてくれる麻薬的な働きがあるのだろうが…どこまで続くことだろうか。
とてもすてきな視点を持つ方だなとこのところ注目している方が、パリ五輪のダンサー達の報酬格差の是正を求めるストライキ問題のニュースについて、"「文化を守る」ということは芸術家の待遇を保障することが何より重要だと思っているのだけれど、日本だったら「あの舞台に立てるのなら…」と「お金の問題ではない」と無理矢理自分を納得させたり、「名誉」の為に大切な何かを「喜んで」犠牲にする人が多いんだろうなと思ったりしました。"と意見を述べていて、ヌードやそれ以上やそれ以外のことも付き纏うけれども、自分が今迄の自分の営みで関わる中で感じてきた問題意識は、ここに集結しているのだな、と思いました。