と散らかっている
いま始まったことではない。
静謐な何かを体現したいと願ってしまったり、欲をかいたりするからなのでしょう
静謐な暮らしは退屈するけれど、すばらしいなと、まさにパーフェクトなんだな…とその偉大なるマンネリを端折って、パーフェクトに焦点を当てて抽出しているのが、今なのだと思える。
だから、と散らかる。
簡略、ノリ、端折ること?ショートカット?急ぐこと…あんまり心内(こころうち、と言葉が出てきた)では好きじゃなかったけれど、その速さ故の面白さや恩恵を自分のエネルギー相当充分に受けてきたのだ、と、そんなことは書く予定は全くなかったのだけど、勝手にタップする指の動きで文字が浮かんでくるのを目で追うと、その通りだな、と思う。
じっくり何かに取り組むような土壌、場…隙間は、世の中の仕組みで少なくなっているように思えることが確かに多い。社会?に飛び込まなくてはいけなかった時、自分には余白の大切さやおもしろさをイメージする余裕なんて存在しなかったし、20代の後半までは刹那が産み出す目先の魅惑の出来事に麻痺し、どこか息を止めて生きてるようだった。
思い描くことへの力不足との闘いは常に常にあるけれど、この間ちょっといいことに気付いた。隙間に生える雑草は、見つけられては抜かれたり、(手間や時間や金銭?が及ばず?)ほったらかしにされたり、みつからずひっそり生えていたりする。隙間自体も、手入れされ埋められたり、片付けられたり、壊されたり、劣化したりしながらも、やっぱり隙間はどこかに必ずあらわれる(笑)垣間見れる、見出せるもの。
実際に白黒つけがたい(たとえば、人が人であることのどうしようもなさの)墓場のようであったり、お役目を果たしているか危うい有益にはとても思えないギリギリの営みでしか生きてこれなかった今迄の自分を思い返しても、何だかよく分からないぽっかり穴のあいたような時間を過ごせる相手は少なくなったな…と嘆く流れをイメージして書こうとしていたけれど、ところがどっこい、変わる替わる代わるあらわれる…疲れてしまうくらい。人はもしかして違うように感じているのかも知れないし、ぽっかり穴のあいたような時間を、誰も求めてはいないかも知れないし、わたしはあなたにとって気忙しくうつっているのかも知れないし、お相手次第なんだけど…
別にこれといった約束もできないし、求められもしないから特に何をしている訳でもなく、ただ自分の精一杯を何となく生きていると、何だかよく分からないぽっかり穴のあいたような時間が、年々増えてきたように思う。これ以上、ああだのこうだの書いたら、混乱を極めそうなので程よいところで止める。どうやって生きてるか、不明、不思議、不可解な状況に陥ったことに烈しい恨みをもっていた。今も状況は変わらないどころか、なおさら混迷は極まってゆく一方ですが、重くのしかかっていた蓋していた現実の扉を開いたことで、恨み節を少しずつ解放できそうな兆しがようやく。糧ともなり得そう。
まだ解放してひと月がやっと。いきなり全部はからだが追いつかない。からだファースト。緩慢に堪えれなくなって、緩慢でもいいから動きはじめ、あたまに浮かぶ夥しい量の思惑をしらみつぶしにやつけたい。少しは息をしながら。でも5月の荒ぶる海での水泳練習のとき、息を吐きすぎない、止めるのもだいじと言われてハッとしたことがある。極端なんだよな…じぶん、どこまでも。呼吸も歩行もむずかしい。
さあて
旧正月の頃は、たしか武士道、三島由紀夫、アヴァンギャルド獅子舞、横尾忠則はUFOをみた、宇宙人の息吹…あたりを感じてやはりと散らかっていましたが、今も、ずっと憧れていた舞踊家さんの手引きで、新春2日続けてみた能の謡の宇宙観を思い出させてもらう体験の最中、極道…忍者、二重?三重?スパイ、底が抜けた先のブラックホールの闇にもあたらしい光が射し、あらたな初心(うぶと読むのがミソ!)故の秘め事の息吹もちらほら……(いかにも奇妙な、タモリさんの言っていた"あたらしい戦前"からも月日は経て、いまが一体何なのか気にもならなくなりましたが、その言葉が指すことの実感ははっきりと掴めてきました。それぞれのやり方で。一丸となってバラバラに生きよ。それでよさそう。)
消費される何モノにもなり得ない自分は危険なのだろうか。隙間で息を潜めることも許されないのか。
日本に居る、身が在るのだから、なるべくからだを和式で使えるように工夫したり、時には抗ってみたりしながら、重力には逆らわず身をゆだねてみたい。落ち葉になりたい。忘れちゃいない。段取りに時間がかかっていた。飽きるまで意識する。やってみる。刹那の時間…あんまり得意じゃない。たくさんの人と共有するのが。たぶん。でも、情熱というものを再度教われる時が来るのだという。まだ信じられない。何時間か前に確認した。わたしにもかつてそれはあった。大切なものなのだと思う。だいじにしている人のだいじなもの。みせてもらえる、というかみなさいという本当にお告げみたいなことが…
画像と言葉を同時に処理できないなぁ…
何てことない時は、本当に何てことないことなのに。
半分以上は、こんなこと書きたいかな?ということを気付いたら書いてしまってる。何日か前からずっとそう。
今、最上級に取っ散らかっている。いつものことだけど。9月は、今迄になかったようなパーフェクトデイズ体験な日日をあれこれ潜った認識だけになおのこと。
見出しは去年の今日の画像。なつかしい。いい匂いのする花。ごみ置場の石垣の隙間から生えていた確か。