踊り念仏への軌跡(仮)
もしかしたら、何事だろう?と薄々思っていたり、何だか分からないけど、何かを感じ取って笑ってくれていた人もいたと思います。
このところ、私がやたらと、南無南無、ナムナム、南無阿弥陀仏を書き連ねたり、こっそり唱えてみたりするのを匂わせていたのは、怪我をしたというきっかけも大きく手伝ってはいますが、一遍上人の踊り念仏に、日に日に心を奪われ、心が向かっているからです。
遂に、構想というのか妄想と夢とを抜け出して、人、しかも自分の今までにおける限られた世界、宇宙の中で、段々とだったり、急にだったり大切なご縁だと感じる表現者のみなさまのお力と場をお借りし、漕ぎつけようとしています。
スクショの日付を遡ると、昨年の11月22日のことでした。
奇しくも1冊の本の存在が強烈に気にかかりました。
(そこまでの軌跡?キセキ?流れも自分としては今にでも言いたくてうずうずする内容ではあるのですが、話がこんがらがってしまいそうなので今はやめておきます。)
すぐに閉店間際の本屋さんへ走り、ありかを確かめに検索機で調べたら在庫1だったのもドラマチックだった。ちょっとは斜め読みにすっ飛ばしてますが、めずらしく買って一気に読みました。
当然ながら一遍上人を調べると、あら?近年よく自らが修行なんて云うようになった踊りの仕事先の道後出生とのこと。そして、その生涯を読み進めてゆくと、伊予の国から豊後の国へ船で渡って…ってチョットマッテクダサイ〜♪やさしい あなた 行かないと〜 って歌えないけど歌っちゃうよ、私も一遍さんのルート辿ったでは…!
記憶にある。こういう時、スマートフォンの写真が役に立つ…
あった!
2022年の年越しに別府・鉄輪温泉へ道後での公演を終えて大晦日、船で姐さんと…(この珍道中も過去の日記をと紐付けしたいくらい面白い流れだったのですが、書いたかな…あった!まだ踊り念仏には気付いていなかったけど→ https://note.com/a_rima/n/n881fa1d6d367 はじめて紐付け挑戦します。表示されるかな?駄目だ…しかも読まれたものじゃない。下書き以下…でも溢れる気持ち、やるせなさ、どうしたらよいか分からないで生きていた頃のそれでも大海原の誰かに読んで欲しくて書き残している作文ですね。34個前の前篇で止まっている投稿です。)
しっかり一遍さんがスマホの中にいる!お姐さんは正月公演初日があったので、ひと足早めに帰られましたが、折角なのでともう1泊した自分は蒸し湯に惹かれ、施設内の一遍さんに注目していた。2022年元旦。これはすごい!震えた。
そして又、2022年末も一遍さんの出生地から程近い、ニュー道後ミュージックで4度目の年末を迎えることが決まっており、もう頭の中は一遍上人踊り念仏でいっぱいだった。
劇場に乗込み、社長やスタッフさん、その場に居た方々にご挨拶するや否や、自分ではないように踊り念仏のことを話始め、12月21日にはいつかこの場で踊り念仏をさせて下さいと頼んでいた。
そして、そんな折に旅のプロと思しき優しいお姐さんが再び年越しの予定を尋ねて下さっていた。
私は、一遍上人が踊り念仏をスタートさせたと言い伝えられている長野県佐久市を訪問してみたい旨を伝えると、長野でのすてきな年越しが実現したのです。この流れは、さらりと書いていますが、ありそうであり得ない重要ポイントのひとつ…(この道中も、自分目線では切り捨てられない膨大なエピソードと踊り念仏への想いがはらんでいたために出力が追いついてませんが…30日深夜に道後で踊り納めをし、始発の列車に乗り込んで長野へ移動した人とは思えない'移動飲みのプロ'を誇れる爽やかな記録についてはお姐さんのブログで触れられていたかと思います。)事情が分かる方にはもうお分かりと思いますし、匂ゐの通りなのです。
やはり今年の元日の昼下がりも、見ず知らずの町を何百年前もの一遍さんゆかりの土地を、今年は意図してではありますが、ひとり歩いていた。
https://www.instagram.com/p/Cm5l68cLVjT/?igshid=YmMyMTA2M2Y=(2023年元日)
年明けは、これまた絵のモデルで近年は出向くことが多い老舗デッサン会の開催が、一遍さんにゆかりのある遊行寺に近く、仕事の予定も頂いていたので、もう追っかけは本を読み終わったあたりから決まっていた。
そして、アテもなく1年前に買っていたピーチ航空の旅くじが片道大分行きで、期限が迫っていたので2月4日は、再び優しいお姐さん(ストリップ、トライアスロンだけでなく移動、旅、呑みもプロ級)と別府・鉄輪温泉で再会を果たせました。
道後へは一瞬立ち寄り…
その後、踊り念仏へのご縁を感じる立派な方二名から、新しく求めた本に、行け!(もう一遍さんが乗り移っているかのような…)、踊り念仏は○○○(私の名)の命…と預言めいたサインを頂戴し…鍵を握るお姐さまがいらっしゃる道後へ送ったのが2月15日のこと。
さて、どうしようかな、どうなるかな、といつもの私に戻り、まず…踊り念仏の前に、大事な春の修行温泉ストリップ巡業と、まだ手付かずの山積みの書類などをどうするのだろう…資金も稼がないとな…その前にプレッシャーやらを払い、気持ちを奮い立たせる為、気を抜こう…といつもの自分の通りに酒場をめざし、少し浮つきながらも、やっぱりからだも心も疲れ切っていたけど気付こうとせず、ウォーミングアップの縄跳びを思いついて飛び出したらアキレス腱は切れた。
まだ、今日現在歩けてもいないことを考えれば、相当無謀な状態かも知れません。
ですが準備に向け、年末年始頃から企画としてお声掛けをし、連絡を取り合っていた現実的な因果があったお陰で、怪我当日から今日に至るまで踊り念仏がご縁となり、いつもは通称・忙しぶりアリマでだましだまし生きるのがやっと、余程の何かがないと自分から人へ連絡を取らず真っ先に孤立無援タイプなのに、何かとお助けの輪が広がっているのは奇跡のような事態でもあります。
金銭が空っぽになったのは、すべてという訳じゃないけれど、手がかりや糸口を探す移動や自分でも制御できないエネルギーにかなり費やされたのは本当です。だから、全く悔いはないのです。
もうこの何年も、ずっと、いつ朽ちてもいい、と、どこかで思って生きてきた。
その時々で、余計なこともたくさん考え、できることを実行していたら、いつの間にか既存の道を外れてしまい、修行(ストリップも踊りも生活も裸と性の表現なんぞ)は厳しい、あまりにきびしい…無理だよ(一遍さん、いなちゃん、みほさん…泪)
両親もまだ生きているけど、互いに生きているのを認めあっていると自分を納得させてはずっときたけど、捨てなきゃならないのかも知れない…手紙を書いたり電話をしていても、自分が自分でそう望んできてしまっているのだ…とも特に道後で踊っているときに感じることが強まっていた。
踊り念仏とは何ぞや。
無数のイメージがありますが、わたしもまだそれが何かなど畏れ多く分かってやしません。
ですが、自分の身に踊り念仏が段々と降りかかること、表現者として、ストリッパーとして、社会的に立派だなと感じる方々に、水面下で相手にしてもらったり、気に留めてもらったり、後押しされる言葉をかけて貰ったり、予定が空いていたり、かなり自力とは考えられないことが続きます。
何か意味はあるのではないか…
道後の地に現在、ストリップ劇場…心ゆくまで踊り、叫び、黙り、燃え、眠り、草臥れ、心が揺さぶられる場所がある…
(町中には魔物も潜み、劇場はお昼間はうどん屋さんをやっていたり、どこか年々お寺っぽくなっている…とは近年、私もストリップ興行というより修行になってきて、関係者の方々とお話したりする中で聞いたり、思ったりしています。)
前夜祭 5/2(火)22時30分〜
本祭 5/4(木)20時40分〜
入場料¥4,000
この度、ニュー道後ミュージックで開催する運びとなりました。
踊り念仏に向かって行きます。
また随時、お伝えできたらと思います。
何かで心に留まる皆さま、どうかそれぞれのお力添えご支援応援よろしくお願いします。
有馬美里
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