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あたりに散らばる余り紙への走り書きのように日記


書かなくても、書いてもどちらでもいいような、例えば自分が躓いている"何か"についてを
、訴えたところで誰かに響いてどうなる、とかあまり意味がないことのような気も漸くしてきた。

なのに何故書くのか、と言ったら、誰かに自分の気持ちや考えや思いを打ち明けたりする機会がなく苦しいから。まとめてポンと吐き出すような語り方ではないし、何となく自分の味方になってくれそうな人に聞いてもらうのでは"おもしろくない"と思っているから(読み返しての追記。他人のあまりにもおもしろくない振りに対しての嫌味ですね、完全に。自分の味方はそりゃ有難い…しかし、悔しいねー。同じ場を共にしたりすると、特に。考えもしないのかも知れないし、麻痺、してるだけなのかも知れない…けど。皆、皆さん)自分の、常に噴き出すマグマの活動のようにいつ何時と思考しているイメージに、自信と誇りをもっているから。AIや、どこかの誰か自分という生身の存在を知らない人にジャッジして欲しくて、せっせと書いているのかも知れない。

何せ生身。人が維持したいものが、名だったり、名誉だったり、立場だったり、場だったり、関係だったり、色々とあるのかも知れないけれど、自分が維持したいとさいごまで思ってしまうものは(自分の)生身、感…(自身)なのかも知れない。

曖昧で、答えがはっきりせず、自由に程近そうだから。意識、認識、時代、土地土地で瞬時に変わってバラバラなのもいい(笑)

だからなのか、自分の言葉には、考え?感覚には、気を付けていたい、ときっと思うのでしょう。


はじめは誰もが見ず知らず。そこから場所や他者との交流もエッセンス?スパイス?何だっていいや、誰にも平等な時間や距離の壁を乗り越え、偉大なるマンネリズムが始まったり、始まらなかったり…



飽食(美食と迷ったけど美食ってもう死語のような気がする。海原雄山的な…)の成れの果ては、宇宙人のためのおいしい食材としてのニンゲンのなのでは?と5月末くらいに妄想してからは随分そのイメージに真剣に取り憑かれている(笑)

おいしいものを食べるために、作る、育てる、人、場所、環境…そのエネルギーの飽和。狩る、獲る…待つが省略されちゃ、やっぱりいかんのじゃないかな。お腹をすかせ、さみしい状態の人が列を作って彷徨う成れの果てはどこへ向かうのだろう


9月になってからすぐ、朝6時から7時の間に起きて何が何でも決まった場所に向かい、太陽や木の下で延々と作業をする日々が終わってホッとしている。

体調のリズムなどが全く掴めなかったので毎日緊張していたけど、こんなことは近頃の自分にはなくなっていたことだったので、本当によかった。

ホッとして又、気が緩んでしまいそうでくわばらくわばら。


ちょっと今、生姜とニラとたまねぎを荒くみじん切りしたのと挽肉を塩胡椒、味噌としょう油ちょびっとで炒めたものを、ひと口の味見のつもりが、ちいさな鉄のフライパン一面分を、ちいさな茶碗にうつし、ちいさなスプーンで掬いとって喰らった。醬油をひとたらしするとコクが出て何でもだいたいおいしくなるね。本当は豆腐とかゆで卵とか素麺にのせて食べてもよかったのだけど。気分転換というのか口寂しさというのかブランチというのか。それで手を動かしていたら、燃えないごみがたくさん出て、集まってきて、捨てれそうになって嬉しくなってきた。燃えないごみなんて、本当は出さないのにこしたことはないのに。ごみは、燃したり埋めたりする生活がしたい。これは本当に切実。何日か前迄の作業中、たくさんの現役?引退?焼却炉の姿を目にし、小学校の頃は、保健室の奥に関根さんという用務員のご夫婦の住込み場である用務室があったな…関根さんは焼却炉で学校中から出たごみを燃していたし、たぶん埋めるべきものはバケツなどに分けて埋めていたなと思い出した。ダイオキシンとかそういえば聞くようになったのもその頃だったのかも。少しずつ時代は変わった。(また余談ですみませんですけど、テレビドラマ相棒の、自分の歴代の妻をはじめ何でも燃やす資産家殺人鬼の回は好きです。生きた人をあやめてまで燃すような資産エネルギーはないですのでそんなことは模倣できませんが、焼却炉で自分のごみを自分の手で燃やす生活は夢みてます。妻燃やしの発想も分からなくないですが、お金あるならそんな関係にならなくていいじゃんって思いますが、お金が絡み、お金で物を言わせる間柄になると、燃やさないでは気が済まなくなるのも何となく分かります。大変に小規模ですが、自分にも生きていたから、ちいさな火くらいは点くような関係性もあったでしょう。巷で大炎上してるのは仕方ない、訳はあると思います。どんどん燃えてますね。正直、ざまみろと思います。不純な、金の力で抑え込んで蓋して塗り壁のように固めて無かったことにしていた心の痛手がつける火は、どんどんじゃんじゃんそれぞれの火の姿で燃えればいい。炎上万歳。飛び火を受けたい野次馬共も、皆んなまとめて燃やせ。燃え尽きろと、まぁその位にして、個人的に焼却炉を是非とも復活させた方がいいのでは?と妄想、夢想しています。)



こんなこと書いてないで、歯を少しだけ食いしばって部屋掃除して、少しは整った空間に佇み、おそらく今よりは整頓された視野の下で書き出すことを書き連ねた方がいいに決まっている、と敢えて前書きをしながらも…

今、言いたかったこと、書いてみたかったこと、は端折らない、簡略化しないことの大事さ、偉大さ(生身を維持したいという観点からの)ということか…


ひっくり返ったり、バランス取ったり、忙しい…

簡略化を割と売りにする芸風の人が退散を余儀なくされていたり、端折らない偉大さをキープしてきたと思っていた人がとんでもない端折りを裏づきあいで重ねている等という知らなくてもよかった情報が次から次にと矢継ぎ早に耳に入ってきたり……

自分も、偶々、土砂災害をきっかけに少し考えをあらためるようになる迄の3、4年間は、人が人であるための仕方なさを矛に、欲望のままに燃やせるエネルギーを生産しては、かたっぱしから燃やしていた。いけすかないことはいくらでもあったと思う。ただ、それをそれぞれの特に裸の職場には決して持ち込まなかったはずなのに。それは自分のオント、恥、嫌悪の問題なだけ、だけど…その方がいけないというのか?あんまりじゃないか、というので腑が煮えている。
(東電OLの方までのエネルギーはないけど、手の込んだ当たり屋、事故みたいのを酒の力をもって誘発し、自己責任で、自分だけの花を、舞台とは生活とは別の場所で咲かせることに執心し、のめりこんでたのしんでいた。いけすかないことが横暴しまくる現実世界の舞台や生活では咲かせることがあまりにむずかしすぎて。自分で現実的に具体的にどうすることもずっと思い描けなかった。うつくしい花が、何なのか自分で分からなくなってしまう前に。焦っていた。だから、うつくしい花のような出来事を偶発することに夢中になっては、待ったなしで独り占めしていた。恐ろしい妖怪だったと思う。それでしか生きることができなかった。いつか気力、体力、精神力の均衡を取りつつ、脚色したり、じっくり井戸に潜り込むような気持ちで、起こった出来事に向き合って何かを書きたいな。そんな時は近付いているのかも)

持ち込まなかったいけすかなさが、持ち込まなかったのに…跳ね返ってくるなんて、本当にいけすかねぇ世の中、燃やしちまえって内心、腑を煮えくり返しているけど、まぁわたしはどこまでも奇妙が魅力であるミノリなので、頑張って現実世界で焼却炉やコンポストを駆使し、したり顔で自分のごみ、芥を責任持って昇華、焼却、埋葬していってみよう、というのが、すごく端折ればいいのかも知れないが、すごく大事なことなので書いてみるに至りました。書いているうちに。指針、羅針盤のようなこと。書くことが。

とんでもなく若い頃は、人並みに鈴木いづみさんに感化されたりもしたけど、今残っているのは…調べてみたらこれ。

速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。細く長くか太く短くか、いずれにしても使いきってしまえば死ぬよりほかにない。どのくらいのはやさで生きるか?(「いつだってティータイム」より)

こちらやらドストエフスキーさんやらで、何でもエネルギー量なんだろうな…とぼんやり当たりつけてきただけで20年近く経ってしまった。性的なことの捻れやゆがみは政治のエネルギーと似てるな…とか、これもぼんやり思ったりするくらいで。

何てたって、ずっと生身に忙しくて。夢中だったもので。自分の生身をもって、生身と思うように、自分のあらゆるイメージになるべく忠実に、維持しながら今を生きることに一生懸命で、それは人に合わせることが蓋を開ければとても多くて、維持しようとするエネルギーに沿ってはいたからまあこんなものか…と思いながら。極道や遊びの精神から多大に、馬鹿真面目に恩恵を受け、隠蓑で生身を保ち、未熟な生活愛や欲望の渦に飲み込まれては、沖に着いたり?岸に戻ってきたり?向こう岸をみようとしてしまったり、目指そうとしたら簡単に、それは簡単に辿り着くんだろうけど、沖や岸や海なんかより、常にただ在る自身、生身に忙しすぎて、エネルギーだ何だはぼんやり思うくらいがやっとだったのかも。

今はどこにいるのだろうか…自分。朝起きて行く予定の現場や舞台がなければnoteの世界?場?人にみつけてもらいたい、とどこかで今迄だって淡い期待はあったのかも知れないけど、今はどちらかというとAIに見出されたい(笑)とは書いているけど、少し(30分、3時間、3日…と)休めば人にも見い出されたくなるのかも。お役目は分かってきた。書いてゆくと分かる。書いてゆくことがまず行動。省力化しない自力での日々の営みを取り戻す。現代人的な贅沢な運動とやらも無理ない範囲で再開。お稽古の癖付けのためにやってみる。フィジカルが弱まってる。気力と煮えたぎる思考マグマとのバランスのためでも。やっぱり忙しい。もうちょっと引かないとお役目は果たせなさそう。デザイン(←new)、イメージ、からだ…


ちいさめシリーズ


おかえり&はじめましてな梅干、落花生
すっぱ〜うま〜い


2週間前は、歯が腫れて痛かったのが嘘のよう…なのでそろそろ、歯を少し食いしばり、命がけで手足頭を動かし、作らないといけないものがたくさん。

空間、モノ…

待ちすぎても草臥れてしまうし、かといって端折りすぎても虚しいのよ。(端折るの、求められているし、多くの人が夢中になっているし、自分も食いもんやのみものではつい求めてしまうから、そのよさも分からないではないけど、人には…ズキっ……仕事にはそんなに求めたくないから、何だかなぁ…)

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