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モラトリアム或いはPERFECTDAYS序章



明日がどうなるかだなんて分からないから、勿体ぶって無事にお勤めを終わらせてから…なんて思ったけど、何とかカッコついてお勤めを無事に(即ちいい夢をいい夢で一旦終わらせる)過ごし切れるかも、途中で挫けてトンズラしてしまうかも分からないのだから、とりあえず予期していたよりも遥かに、リアルパーフェクトディズな景色の中に心身を潜入させてしまったことに触れ雑記

鳥の羽、土、石、枝木、葉、草、たくさんの種類の虫…自然との向き合い

自然を自然相手と自分が意識したときから、最終的には、他者とのコミュニケーションの機微がいちばん関わり出してくる

9月に入って、烏とも3年ぶりくらいに会話しました。わたしはニンゲンの多くとはあまりうまく会話できませんが、その分、虫と鳥には話が通じる気がする機会があります(笑)

環境が大きいとも思いますが。

猫や犬のような畜生たちもニンゲンに愛されているとニンゲン化していますね。選りすぐりしたり、野性で在る必要はなくなりますからね。

お役目なのか、仕事なのか、からだと生活を見直す修行のような感じではあります。どうしても行きたい場、講座があったので負荷をかけています。8月には想定しなかったようなことが起こりましたが、起こることには意味がありますね。

自分としては、どうしても行きたい場は、ちょっと敷居が高いというか、お呼ばれしていないと思ってしまったり、5年前も同じ土地で開催されたワークショップに何が何でも参加したく身を投じた時は、スケジュールもだいぶ無理をし、稼ぎにものを言わせ、時間を買うだけ買って、結局尻切れになってしまった苦い経験がある。

3年間くらいSNSの場だけで観察するにとどめていた、日本人としてのからだの使い方、所作(ひいては生活…踊り……幽玄………)のかなり上等な使い手の方の開催する講座に実際向かうと決めたら、想定しないことが今たくさん起きてしまっていて、ちょっとまだお呼ばれするには自分でも分かっているようにあまりに時期尚早?程遠かったけれど、めざすうみの距離と時間も潜り、もう他に何もなくなってしまって、次は…と思った時に、体力、気力も本当になかったけれど、精一杯の稼ぎを投じる決心をしたら、何だか今それに向けての最悪から最善への準備が強制的に行われているように感じる。


明日はどうなってしまうか分からないと、普段ならモラトリアム(って先延ばしな感覚で捉えているけどあっているかな?)なところ書きたいと思えた。


肉体在りきの仕事、職業に人体として就いていたからなのか、自分が二重スパイ、三重スパイ?のような心境で、それをたのしみながら生きてもいたし、心底で限界を味わい続け、生かされることが苦しく、殺されることは喜びに近かったし、逆でもあった。

終わってきたんだなということも受け入れられるようになってきたら、自分の役目だったことが分かってきて、正直、今の自分で向き合い切れるのかな・・と思ってもいるし、向き合わせてもえるのはありがたい、とも心底思うお役目も浮上はしている。

時間は待ってくれない?モラトリアムとのせめぎあい。

人体を成立させるには、何が何でも間に合わせないといけないことがある?

何が何でも、場に、決められた時間に向かわないと、お役目は果たせない…

シンプルなことに支えられてきた途端に

再び二重スパイ、三重スパイ状態なので…

何が何でも交わりたい者と交わろうとする念で自分を滅ぼしたこと、隠れ蓑、恫喝的暮らし、その帰因?となるケダモノの誇り…に向き合うことは必要だけど、再度モラトリアム発動


人間は弔いをする生き物がミソなのだとか

畜生たちは感性はすごいけど弔いや祝祭等の儀式をそこまでできるか、覚えていられるか?

(祝祭は大好きだけど、ショートカットの祝祭に偏ってることに危惧を覚える…その裏を返したイメージは何となく河野太郎みたいな、お下劣ってものですよ。祝祭と弔い、どちらも切り取らずに淡々と粛々と、その存在に身を投じたいもの。都合や効率に偏る結果があまりに貧しい。)

愛が動機なら、やってはいけないことは何ひとつない(で、よかったかしら?)のフレーズが何日か前から思い出されたり(本当かな?)

禽獣という単語にハッとしたり

この壁に直面し、
距離感や向きががらりと変わった


偉大な茶番と偉大な芝居を前に、信実?誠実?のへったくれもない、見失われている側面が浮き彫りになり、萎えた。みえなくていいものをいっぱい見聞きしてしまった。それも、自分の生活を自らの意向で墓場と化していた人体を伴っていた自分の身の上故に起きてしまったこと。自分で自分を守るのは大変。みな好き勝手に置き去りにしていく(笑)それはいいことでもわるいことでも"何でもない"。ただ、憶測と噂は人をも殺す。不在の場での憶測、うわさ話。事務でも思いやりでも保身でも"何でもない"。くだらない。狭い集落。わたしにつけ火するまでの勇気というのか自然的な狂気はなかった。狂っても狂い切れない。いい夢をいい夢でも終わらせられない。こんなことが四方八方全ての繋がりでこの3、4年に起きた。何を言っても封じ込まれるのが関の山。疲れ切った。何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。世の中の縮図通り。ならば…


怪我した去年にタイトルと残像に思うところ
あって
見直したいと思いながらも
ちぇっと思う気持ちもどこかにあって
ずっと見れなかった。
自分の中の二重スパイ、三重スパイ
を炙り焚き付けられた(笑)

今、一緒にみれたらいいのに…と思う
元踊り子さんがひとり思い浮かんだ


忘れられた日本人ですよ…全く

今こそ。お飾りにしてた竹踏みの必要性を感じ、竹踏みしながら、モラトリアム或いはどうなるか分からないこの先どうにか無事に役目を終わらした先にあるリアルなパーフェクトディズに向けて白湯を沸かす



段々…と
自分の生年に近い製作年のこの映像に
思考が追いついてきた。
ピンと来ないところから
満点のおしゃれやバランスは嗅ぎ取りはじめ
今、イメージがピタリ来た。
ゴダール卿のアワーミュージックもいつでも
イメージの道標なんだけど
忘れられた日本人にアプローチするには
こちらなのかなぁ


里芋の皮
環境に合う弁当が拵えられず
冷蔵庫と冷凍庫が壊れかけたり
スーパーという冷蔵庫からの
調達、移動、保管(!)に失敗したり


椎茸そばズルりと食べたかったけど
そんなに腹は減っていないような


とりあえず里芋を炊こう

早朝に眠気が来る。眠いときに眠れるしあわせ
今年分はもう飽きるくらい
やり切った

食べたいものを食べたいように食べることも


純粋に自分のためだけに自分を大切にすることの大変なこと・・

暑さもだいぶ和らいできた

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