関係人口と呼ばれて―地域とその主体
「あなたは葛尾村の関係人口だ」
そう言われ続けて早5年が経過した。「関係人口」という言葉を初めて知ったとき、その言葉を異物のように感じた記憶がある。それからあまりにこの言葉に触れすぎて慣れてしまったが、今もそこはかとない違和感を持ち続けている。
「関係人口」という言葉は、「ソトコト」編集長である指出一正氏や「東北食べる通信」編集長である高橋博之を中心に2016年頃から使われ始め、その後に総務省や国土交通省が管轄する政策でも頻繫に使われるようになった言葉だ。総務省は「関係人口」という言葉を次のように定義している。
上述の定義に従うと、やはり私は紛うことなき「関係人口」だろう。2018年、高校3年生だった私は、学校の先生からの誘いで原発被災地域での田植えイベントに参加した。それが葛尾村(カツラオ)との出会いである。大学進学後は復興庁の事業に携わりながら、リモート授業を利用して村に滞在するようになった。民泊の大家さんと畑仕事をしたり、村のスポーツクラブに参加したり、遊びに来た友人たちと夜遅くまで話したり、そうした滞在中の経験が地域社会との関わりを深めていった。そのような生活は村での仕事を辞めた現在も変わらず、首都圏と双葉郡を行き来する生活を送っている。
こう振り返ると、まさに総務省が描く関係人口像をなぞるように、私は葛尾村とともに大学生活を過ごしてきたように思われる。そうであるから、「関係人口」と呼ばれることには納得しているし、移住促進を担う地域団体がホワイトボードに「余田モデル」などと描くのも理解できる。
「地域づくり」から「関係人口」まで
総務省の定義にも明記されているように、関係人口は地域づくりの担い手となることが期待されている。まずは、この期待について考えていきたい。
何気なく使われている「地域づくり」という言葉の起源は1990年代に遡る。リゾート開発に代表されるように、政府が主導する従来の開発方式が立ち行かなくなってきたことを背景として、住民の主体性を重視する内発的発展論の考え方が地方政策にも持ち込まれるようになった。そのような時代背景から「地域づくり」という言葉は生まれている。
2000年代には「地域づくり」において外部との交流を重視するような言説が多く生まれてきた。例えば、藤田(2013)は、農村に対する都市住民の発見や感動が農村住民の自らの地域再評価に繋がっていると指摘している。また、田中(2020)は、島根県などの事例から、関係人口と社会関係資本を形成する過程で地域住民が主体性を獲得していくことが重要だとしている。
このような背景を踏まえると、「関係人口」に向けられている期待は、外部アクターとして地域社会へ参与することで地域住民の主体性を高めることだと捉えることができる。
地域の主体とは誰のことか?
地域住民をエンパワメントとする存在して「関係人口」を捉えたときに1つの問題が生じる。それは主体となる地域住民とは一体誰のことなのかという問題だ。
「関係人口」が政策の中に取り込まれていったとき、そこで想定される地域は、自治体そのものあるいは行政に近しい社会に限定されるだろう。しかし、地域社会は「関係人口」政策と縁の薄い社会まで含めて多層的に形成されている。私自身も村で暮らす中でそのことを実感してきた。そうだとするならば、「関係人口」あるいは移住促進に関する議論の中で、盛んに交わされる「地域」という言葉は一体何を指しているのだろうか。
また、原発被災地域においては、主体となる地域住民が誰のことなのか、さらによく分からなくなってくる。原発事故後、住民票を置いたまま、現在まで避難を継続されている方が居住者の約3倍の人数だけ存在している。その中には村内の家と現在の家を行き来しながら暮らしている方も多くいる。加えて、村の中心部である落合地区では、ついに震災後の転入者数が帰村者数を逆転した。ただ、その転入者の多くは「復興支援」の仕事に就いている。そのような状況において、地域の主体とは一体誰のことなのだろうか。
地域づくり屋さんでいいの?
地域の主体に関する問題を保留したとしても、「関係人口」である私に、一介の大学生でしかない私に何ができるのだろうか。観測が偏っている可能性も大いにあるが、多くの場合で「関係人口」と呼ばれる学生に求められる仕事が「関係人口を増やすこと」という状況になっているように思う。
自分もそうであった。自分は復興創生インターンシップという村外在住の大学生が長期休暇を利用して村内企業の事業に参画するプログラムを企画運営していた。その中で考えていたことはどうしたら参加者が継続的に地域に関わり続けてくれるかということであり、まさに関係人口による関係人口の形成という自己循環だろう。
もちろん、それが一概に悪いことだとは全く思わない。個別具体的には、素晴らしい出会いや豊かな経験がたくさんあった。しかし、前述のように「地域」の主体もよくわかっていない中で、「地域」を支援する「関係人口」がさらに「関係人口」を生み出そうとするというのは、あまり健康的な構図ではないだろう。少なくとも、私はそれを地域社会とは呼びたくしないし、そこに多額の復興予算を投入するのが良いことだとも思えない。
ムラとイエのスケール
では、どうしたらよいのだろうか。少なくとも私個人の問題の、野心的には原発被災地域における問題の進展への糸口は、議論のスケールをムラからイエに解体することにあるのではないと考えている。
これまでの地域づくりは「関係人口」のような外部アクターが地域住民の主体性をエンパワメントすることを目指してきた。しかし、葛尾村、特に転入者の方が多数を占めている落合地区においては、私たちがどのように地域の主体になるかということを考える必要がある。そうでなければ、地域社会を代表する人間よりも、支援する人間の方が多いという奇妙な状況が続いていく。
また、地域(ムラ)は内と外と言えるほど単純なものではない。修正拡大集落というイエのつながりがムラのつながりを超えた状況を表す言葉もあるように、それぞれの個人が属している地域社会あるいは見えている社会はバラバラである。全村避難を経験した原発被災地域であるならなおさらだ。そのような多層的な地域社会をムラという言葉で一元化して、ムラへの主体性を求めるのは困難だろう。
ただ、内も外もないとは言っても、転入者がムラの人間になることは難しい。ましてや、住んでいない私がムラの人間になることはもっと難しい。だからこそ、ムラを1度離れて、イエについて考えることから始めたいと思う。私は葛尾村の住民ではない。住民票を移したところでムラの人間ではない。でも、ある民泊で長期休暇を過ごしたり、ある家でご飯を御馳走になったり、ある空き家の未来を考えたり、そういうイエやヒトとの個別具体的な関係の中には小さな当事者性や内発性や主体性が宿ると考えている。そのようなイエの積み重ねとして、結果的にムラのことを語ることが重要ではないだろうか。
そんなことを考えて、私は地域づくり屋さんを辞めて、エンジニアになった。いずれはカレー屋さんになりたいと思っている。