大学生活の総括
卒業するタイミングで「大学生活の総括」という文章を書くことは1年前から決めていました。しかし、いざ書き始めてみると全く進まず、そのまま新年度を迎えようとしています。書き進められないのは、おそらく背骨になる信念がないからなので、これまでに取り組んできたことや書いてきた文章を並べるかたちで、振り返りを進めていこうと思います。
2019
コロナ禍が始まる1年前、2019年の4月に私は大学に入学しました。この年は分かりやすく「高校生活の総括」がテーマと言えるような年だったと思います。
棚田愛の再解釈
高校時代、私は同級生たちと「弥生」と名付けた棚田用稲刈り機の開発を行っていました。きっかけはもうよく覚えていないくらい些細なもので、当時流行りだったビジネスコンテストに参加しようとして、ネットニュースで題材を探す中で見つけたとか、そんなところだったはずです。棚田をテーマに定めてからは、棚田農家の方々のところを訪れたりしながら、友人たちと試作機の開発に取り組みました。
嬉しいことに、そのような取り組みを評価していただいて、高校生ビジネスプラン・グランプリにて優勝することができました。優勝を目標に活動を始めたので、それは非常に嬉しい出来事でした。
同時に「なぜ棚田で活動しているの?」と多方面から問われるようになりました。当時の自分は正直棚田に特別な思い入れもなかったし、コンテストなんてそういうものでしょとも思っていたのですが、あまりにそう問われるのでそれらしい理由を答えるようになり、次第に本心との境目が分からなくなっていきました。
夏休みを葛尾村で
そうこうしているうちに大学に入学し、気づけば春学期が終わっていました。当時の記憶が薄れてきていますが、「なぜ棚田なの?」という問いかけには相変わらず悩んでいた覚えがあります。同時に、友人たちが浪人したために、休止している活動をどのように続けていくかを考えていました。
1つ、ずっと心にひかかっていたことがあります。それは棚田や農村に対して、高校時代の自分は数日間訪れる程度の関わりしかもっていなかったことです。どんな動機にせよ、そんな関係の上で語られることは薄っぺらいなという意識がありました。そこで、高校時代から縁のあった葛尾村という原発被災地域の農村で夏休みを過ごすことにしました。葛尾村に特段の思い入れがあったわけではありませんが、1~2か月過ごしてみることで見える世界があるのではないかと思い、そうすることにしました。
当時の感情をほとんど覚えてはいませんが、あのとき出会った村の方々には今でもお世話になっています。
友人たちとのシェアハウス
高校からの友人がシェアハウスを始めました。住人が2名でそこに数名が遊びに来るような場所だったので、シェアリビングという名前の方が適切かもしれません。次の文章は住人の友人がシェアハウスについて書いたものです。
振り返ると、このシェアハウスが私の大学生活をかたちづくっているように思えてきます。読書会というものを初めてしたのも、葛尾村で活動をともにする友人たちと出会ったのも、餃子が上手に包めるようになったのも、このシェアハウスでのことです。いろんなことのきっかけの場所でした。家主には感謝しても感謝しきれないなと思います。
高校時代の総括
未だになぜなのか分かっていないのですが、A&ANSの矢田さんに興味を持っていただいて、2時間好きなことを喋るイベントを年末にさせてもらいました。
このときに話したのは次のような内容だったはずです。
元から棚田に関心があったわけではなく、最初はビジネスコンテストのための脚色だった
しかし、活動を続けていく中で、経済的に厳しい中でも棚田を耕し続ける人たちが多いことを知る
そのような自分には理解できないモチベーションについて考えたいと思った
また、それは条件の悪い原発被災地域に帰村する人たちについても同様のことが言える
このような整理をすることで、難航していた「高校時代の総括」に一区切りつけました。
復興創生インターンシップ
高校時代に一区切りをつけてから始めたことが、葛尾村での復興創生インターンシップの企画運営の仕事でした。復興創生インターンシップとは、東北3県(岩手・宮城・福島)の企業や団体の経営課題を大学生が解決する復興庁主催の実践型インターンシップだそうです。夏休みとか春休みに大学生が1~2か月ほど地域に滞在して、プロジェクトに取り組むものだと思ってください。
夏休みに滞在したことをきっかけに声をかけていただいて、インターンシップの企画運営に携わることにしました。特に書くことというか書けることはないのですが、ZICCAという民泊で約20名くらいで共同生活をしたのは良い思い出です。
2020
夏休みと春休みを葛尾村で過ごし、あまり大学の授業にも出席しなくなる中で、コロナ禍と大学2年次を迎えました。この年度の振り返りは次の文章に書いています。当時の感覚はこちらの方が鮮明です。
コロナ禍で葛尾村に
新型コロナの影響で授業がすべてオンラインになり、実家にひきこもっていてもつまらなかったので、葛尾村に1年間住むことにしました。リモート授業を受けて、空きコマで畑を手伝って、毎週スポーツクラブに参加して、そんな生活を葛尾村で送っていました。
ZICCAの居候
夏休みはZICCAに友人たちを呼びました。ある友人はバーテーブルを制作したり、別の友人は教育プログラムの設計をしたり、また別の友人は養鶏場でアルバイトをしたり、各々が各々に各々のやりたいことをやって過ごすようになったのがこの頃のZICCAでした。
この頃の私は「地域団体の職員」ではなく「葛尾村の居候」であることに強いこだわりを持っていました。あえて一貫した語りをするならば、このこだわりは棚田由来のものであり、後の展示や卒論に繋がるものであるように思います。
葛尾村はどこに向かうのか
ZICCAで友人たちと過ごす中で、今後のZICCAあるいは葛尾村について夜な夜な議論していました。
まず1つ考えていたことは、原発被災地域における復興のあり方についてです。当時は復興政策が移住促進に梶を切った時期でもあり、人口と産業をいかに維持するかということに焦点が当てられていました。たしかに自治体が続いていくためには重要な観点でしょう。しかし、機能的な側面ばかり重視して政策を進めていったときに、そこにある地域社会はこれまで続いてきて社会とほとんど無関係のものになってしまうような感覚がありました(その良し悪しはさておき)。そのため、葛尾村の地域社会が私たちの部外者を巻き込みながらどのように続いていきうるかということを考えていました。当時の感覚は次の文章に書き残しています。
同時にもう1つ考えていたことは「愛着」の暴力性です。前述のような議論は「地域への愛着」を醸成しようというような方向性に向かって行きそうに思えます。しかし、愛着を持つことを要請することは暴力的な行為です。そのような議論は、地域インターンシップの参加者に対して、その企画運営者がどのように振舞うのかという具体的な問題に繋がっていきます。当時の感覚は次の文章に書き残しています。
料理が上手くなる
全然関係ない話として、この期間に料理が上手くなりました。飲食店がほとんどないため、食べたいものは自分で作らないといけなかったことが主な理由でしょう。いろんな料理を作りました。
ZICCAから松本家へ
2020年度末で復興創生インターンシップの仕事を辞めました。対面授業が再開するとか、復興創生インターンシップ自体が終わるとか、いろんな辞める要因がありましたが、何かしら「地域づくり」と呼ばれる仕事を続ける道はあったように思います。それでも辞めたのは、このまま続けたとしても、地域社会にとっても私自身にとっても無意味な仕事にしかならないことを自覚したからであった気がします。
そのようなことを言っていると「あいつはどうせ葛尾村からいなくなる」などという声が聞こえてくるようになったので、売り言葉に買い言葉でしかないですが、絶対居座り続けてやろうと心に誓った記憶があります。そうでなくとも、別の関わりようを模索していたとは思います。ちょうど一緒に働いていた村出身のお兄さんが同時期に県外へ転職することになったこともあり、年度末以降はその方のご実家で過ごすようになりました。その震災後は人に住まれていない家はあまりに寒く、いつしかシベリアと呼ぶようになりました。
2021
葛尾村で1年間を過ごした大学2年次から、首都圏に戻った3年次はまた大きく環境が変わりました。この年度の振り返りは次の文章に書いています。当時の感覚はこちらの方が鮮明です。
自分の意見表明
時系列が前後しますが、葛尾村あるいは地域づくりについて当時考えていたことから書き始めることにします。2021年度末に「僕らは何を村と呼ぶのか」という題の文章を書きました。また、A&ANSの主催で同名のトークイベントもさせてもらいました。
このときから今まで私が言っている内容は「具体的な関係のもとで具体的なことをしよう」ということだと思います。ふんわり地域の復興とか言ってないで、私はどのように暮らしていきたくて、私たちはこの場所を具体的にどのようにしていきたいかを考えることから始めないと何にもならないよと思っていました。今も思っています。
ここから先はまだそれぞれについて上手く言葉にできる気がしないので、また今の時点で無理に解釈する必要性を感じないので、取り組んできたことを並べていきます。
第1回松本家展
地域づくりの仕事を辞めた代わりに、葛尾村の外れにある家を題材にした展示を始めました。第1回展示では「現在地」を副題として、松本家あるいは葛尾村の現在を関係者が思い思いの方法で描きました。
Webアプリ開発
まだコロナ禍が続いていたため、展示準備のコミュニケーションと展示作品のアーカイブをオンライン上で行いたいと考えて、Webアプリ開発を見よう見まねで始めました。始めてみると想像以上に楽しくて卒業後の仕事としてもWebエンジニアをやることにしました。
カレー屋さん
バターチキンカレーが好きで、よく自宅でスパイスから作っていたのですが、友人などにも振舞うようになり、少しずつカレー屋さんっぽくなってきました。
研究会/輪読会
3年次からは井手英策研究会に入り、日本版CCRC構想を題材にしたグループ論文を書きました。また、有志で洋書の古典(Community, a Sociological Study)を全31回かけて輪読するなど、自主ゼミも積極的に開いてた1年間でした。
2022
振り返りにも書いたように「展示」「開発」「学問」と今までやってこなかった実践を始めたのが2021年度だったように思います。そうだとするならば、2022年度はそれらの実践をさらに深めていった年であるように思われます。
第2回松本家展
第1回に引き続き、第2回展示を開催しました。副題は「機能の記録、1万年の記憶」です。松本家や葛尾村に関する歴史の文献調査あるいは聞き取りをもとにインスタレーション作品を制作し、それに対して二次創作的なキャプションをつけて、さらにそこから架空の日記を来訪者と一緒に作るという展示をしました。「地域の連続性」という2020夏の議論に対する1つの回答だと思っています。
Webアプリ開発
同世代のエンジニアの友人もでき、2022年度はチームでアプリ開発をするようになりました。その中でもお気に入りは次の2つです。我ながら結構頑張りました。
①松本家架空日記
② AR Letter
カレー屋さん
つい先日のことですが、西小山の「籠~cargo~」というお店で1日店長をさせてもらい、50食分ほどのカレーを作りました。これからもたまの週末にカレー屋さんをできたらいいなと思っています。友達が食べに来てくれるのがやっぱり嬉しいですね。
自主ゼミ
2022年度も自主ゼミを意欲的に開催しました。プライベートなものが多いので、すべては書きませんが、年度の初めに企画した「地域・都市の社会学」の輪読会はなかなか面白かったです。友人がレポートを書いてくれました。
改めて自分の意見表明
具体的な関係の上で具体的なことをしようと言って、Webエンジニアとカレー屋さんになろうとした2年間でした。とても不器用だと自分でも思います。
同時に、その背景をちゃんと言葉にしようとした2年間でもありました。研究会で鍛えられ、自主ゼミで模索したように思います。その中で書いたのが「原発被災地域における移住定住促進政策の課題と展望―福島県双葉郡葛尾村を事例として」という卒業論文です。要旨だけ記載します。
卒業論文は調査対象と文字数の問題から公開できませんが、近しい内容は次の文章に書いています。
これから
来春から会社員としてエンジニアの仕事を始めて、来夏には第3回松本家展があって、これからもカレー屋さんをしたり読書会をしたりして。そういう意味では、来年度も2021年度の続きであるように思います。多動的に過ごしてきた大学生活だったので、むしろ腰を据えて続きをしっかりとやっていきたいとも思います。特にコンピューターサイエンスの知識に乏しいので、情報系に転学部したような気持ちで。
そこから先はどうでしょう。どういう方向かは分かりませんが、いずれ葛尾村の地域社会に正面から参画したいとは考えています。同時に、エンジニアとしての学習や制作や仕事をこの先も続けていきたい気持ちもあります。他にも、カレー屋さんになりたいし、そのうち大学院にも戻りたいし、人生に収まりきらないくらいやりたいことはあります。風呂敷を広げてきた大学生活だった分、ここから何かを選び取っていくのが向こう数年なのかなと思っています。こう言葉にすると、前向きで意欲に溢れる人みたいですね。自覚はないですが、実際にそうなのかもしれません。
振り返りを書いてみましたが、過去への解像度は大して高まず、未来の行き先も全く見えないままです。大学生活のどの時点よりも先行き不透明だと思います。生活自体は最も落ち着いているのですが、活動の軸となる信念のようなものは最も揺らいでいるという意味で先行きが何も見えません。その程度で背骨が抜けたような感じがするのは、探究学習育ちゆえだなと思います。でも、この大学生活で一緒に物事を考えられる友人たちができて、具体的に手を動かせる専門性も身に着けたので、先行き不透明なままでも進んでいける自信だけは持っています。
とりあえず、カレー屋さんは年に何回かやるつもりなので、ここまで読んでくださった方は絶対食べに来てくださいね。読書会などのお誘いも大歓迎です。
大学の4年間、本当にお世話になりました。
卒業後もよろしくお願いいたします。
余田大輝
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