カラッポの正体
最近、言葉が出てこない。
失語症とか、そういうのじゃなく。
つぶやくのはつぶやいてる。でもほんとうに、目の前のことだけ。
別に普段から大したことをつぶやいてるわけじゃないけど、最近はほんとに思いを巡らすことがなくなった。好きなのに、そういうの。思ったこと、考えたことが自然と言葉になりつぶやきになっていたのに、しなくなったから言葉も出なくなって。
で、ふと思った。
つぶやきが増えるのは、何かを心に抱えてる時。
頭でいろいろ考えてる時。
モヤモヤを出してスッキリするため、
ゴチャゴチャを俯瞰して整理するため、
言葉にして外に出して並べてみる。
今、それがないってことは、ある意味心が健やかなのかもな。悩みがない。幸せなことじゃないか。ただ単に蓋をしてるだけかもしれないが。
理由
悩みがないことの理由は、やっぱり人に会わないからだと思う。
コロナの最初の頃と違って、今は外にも出るし人にも会うけれど、たまの出社時ですら、人と話す機会は実は少ない。
人とのコミュニケーションがあったらあったで「あんなこと言われた」「こんなこと聞いた」とかいちいち気を揉んでたくせに。勝手なもんだよ私。
コロナ前の「そこに行けば人がいて話をする」という環境が当たり前すぎて気づかなかったけど、今のようにリモートも混ざっての職場環境は、思ったよりコミュニケーションの自由度が少ない。出社しても以前のように雑談はそんなに生まれない。だからたまに業務外の話になると「あーこの感覚懐かしい」とすら思うし、ほんの少しでも気持ちが上がるし、逆に感覚忘れてて何話していいかわからない時もある。ていうかそういう変な緊張の方が増えた気がする。
何を喋っていいかわからないのだ。
コミュニケーションの仕方を忘れてしまった
おそらくそうなのだろうと思う。
自分ではそんなつもりもなかったけれど。
コロナの最初の頃は、家族としか話さない毎日がとても息苦しかった。早く元のように社会に出て行って、周りにいる人達と話がしたい。そうなる日を待ち望んでいた。
けれど、リアルな世界は完全には元通りにはならないこともわかってきたし、何よりこの2年余りの間に、家族としか話さないことに慣れ過ぎてしまった自分が驚きだった。
社会も個人もコロナに慣れて、規制も緩和され人々は手探りで元のような世界を作り出そうと模索し始めた。けれどここでやはりブレーキがかかってしまう。自分一人ならいいけれど、感染という事態に周りを巻き込んでしまうかも、と考えたら途端に身動きが取れなくなるのだ。もちろん事前に対策を取れば人に会うことも全く不可能ではないことは頭ではわかっている。けれど私のような面倒くさがりは、そういう事前準備をすることを躊躇っているうちに時間ばかりが過ぎ、旬を逃してしまう。
もはや、日常の取り止めのない話ができる場は、もしかしたらSNSにしか残されていないのかもしれない。
けれど、そこですらもう、自分はコミュニケーションを半分放棄してしまっている。コミュニケーションのない生活に慣れてしまったことに加え、面倒臭がりな性格も手伝って、人に絡んでいくことは少なくなった。
面倒臭いだけが原因じゃない。効率至上がより際立った今の世の中で、話していいのは要件だけ。雑談なら面白くない話は時間の無駄=私が話すことなんて時間の無駄。こういう思考回路が無意識に働いているような気もしなくもない。
ほんとうは、コミュニケーションがしたくて堪らないのに。
ここまで書いてあらためてわかったけど、今の正直な気持ちは、多分「寂しい」のだと思う。
寂しさを埋めるのは
冒頭のツイートのように、自分を追い込むこと、何かに集中することなのか。没頭しているうちは寂しさが紛らわせるのは確かだけど。
職があるというのはありがたい。仕事に没頭している間は寂しさを自覚する隙はない。
夕食の後。眠る前。朝目覚めた時。電車の中で。ふとした時に覚えるこの気持ち。
道端で偶然に出会えば挨拶をし、そのついでに互いの体調を気遣い近況を報告し合う———そんなとりとめのないやりとりは、あらかじめ日時と目的が設定されたオンラインではまず生まれない。偶然の出会いややりとりが生まれる今までの環境がいかに貴重だったのかを、あらためて思う。
人との出会いややりとりを懐かしむ一方で、それがきっかけで思い悩むことだってあったし、面倒臭くなったり、避けたくもなる。つくづく矛盾してるし、ブレブレだなと思う。でも思い悩むことが言葉を生み出してきたのだとすれば。思いを巡らせるきっかけとなっていたのだとすれば。
着地点が見つからないな。
なんだかんだ言って、結局ここまで結構ぐるぐる考えたな。
とにかく世界はコロナを機に変わってしまったのだ。
いつまでも「古き良き時代」にしがみついていてもしようがない。
この環境でできることを自分なりに取り入れて、面倒くさがらず人とも触れ合って、これからも大いに思いを巡らせていく。そうして言葉が出てくればきっと。
言葉は寂しさを埋めてくれるだろうか。