老いのゆく道
暦の上では秋真っ盛りのはずがまだまだ暑かった時期に、叔父が亡くなった。
昨年の初め、ちょうど義妹が診断を受けてから2ヶ月経った頃、叔父も同じ病気の診断を受けた。それから二年足らず、義妹の逝去から2ヶ月遅れて叔父も旅立った。義妹とちょうど同じ期間闘ったことにこの病との関係を結びつけずにはおれない。
とは言え、叔父の経過は義妹ほど悪くなかった。治療薬も最初に処方されたものとの相性がよく、病巣そのものは軽くなっていたとも聞いている。今年のGWには実家で対面もしたし、元気そうな様子を見ていた。
とある用事の帰りに叔父の自宅に立ち寄ったのは、奇しくも亡くなる2日前。1週間ほど前に入院したと聞いて、両親と3人で叔母を訪ねることにしたのだった。その時に聞いた叔母の話では、叔父は夏から食欲がかなり落ち、ずっと苦しさを訴えていたとのこと。病院嫌いの叔父が自分から入院を希望したそうだから、よほど苦しかったのだろう。それでも病室では苦しいながらもタブレットで好きなゲームをしたりパズルなどに興じていたそうだ。
なので叔父の訃報は唐突感が否めなかった。葬儀に訪れた時、叔母もその子供達も、余りにも突然の叔父の死を表には出さずとも受け止めきれない様子だった。叔父自身もきっとそうだったのではないかと思う。
叔父の葬儀は、近い親族だけの簡素なものだったが、几帳面な叔父の人柄が象徴的な、暖かくてとてもよい式だった。そこには悲しみだけではない、何か温かい雰囲気を感じることができた。
それからはや2ヶ月近くが経ち、四十九日の法要に両親と共に参列したのが昨日。
法事は滞りなく行われ、終了後に叔母の家に立ち寄り故人を偲んで茶話会となった。
叔母は言った。「今までなら昼間に出かけていても夕方には家に帰ってきたのに、今はもう帰ってこない。あんなに小さくなって(骨壷を指して)。夕方が一番寂しい。でも仕方がないね。」そう言いながら涙を拭う。
そこに集う叔母の兄弟姉妹が寂しさを口にしながら、互いを労り思いやる。自分が幼い頃から見てきた叔父叔母は、少しずつ小さくなって、何かか弱い存在に見えた。
叔母の家を後にし、実家に戻る。明日の仕事に備え夕食は自宅に帰ってから食べるつもりでいたが、母が食べて帰れと言う。いつも(父と二人だけで)寂しい、せっかく作ったのだから、と。ここ数年すっかり気弱になった母は、今年は身近で不幸が立て続けにあったせいか、気弱に拍車がかかっているように思う。生理的にもセロトニンなどの幸せホルモンが減ったり、年代的にも周りで訃報が多く聞かれたり、環境的にも現役世代とは違い色々な心配をする時間があったり。いずれ自分も辿る道なのだと、少し先を歩いている親や叔父叔母達の姿を見ながら思う。