日本語の歴史

 iphoneのメモには1ヶ月前に読んだっていう記録が残ってんだけども、部屋をどう探しても見つからないので、思い出を頼りに書きます。

 私は学生時代、国語および歴史が壊滅的にだめで、だめというよりもはや完全になにひとつ一切みじんも興味が持てなくて、学ぶことも覚えることも放棄したので、日本語も歴史も日本語の歴史も全然わからないです。

 全然わからないジャンルの本を読むときは、まず時間軸も細かいジャンルも超越した、インデックスタイプの本を見繕って取り掛かることにしていて、これはまさにうってつけの本でした。
 時代別に章立ててあって、その時代ごとの特徴が捉えやすくてよかったです。

 平安時代に女の文字として流行ったひらがなの文化は、武士中心の室町時代になると表舞台から姿を消して、代わりに台頭する武士言葉(正しい用語が思い出せない)の文化について書いてある部分が面白かった。

 武士たちは見栄が大事だから、「負けた」とか「逃げた」とかそういうださい言い回しはお手紙で使わないんだそうです。ちょっと思い出せないんだけど、戦に破れて城を落とされた時も、なんだっけな、確か「城を開いた」みたいな言い方するって書いてあったんだよな……
 言葉を使うひとの立場によって、言葉の表現がガラっと変わる、すごく興味深い例でした(思い出せないけど!)。

 あと、後半で言文一致運動について結構なボリュームで解説があって、これも全然知らないことで面白かった。

 明治維新後、それまで地方ごとでバラバラだった言葉を統一して、日本という国の言葉を作り上げようっていう機運が高まったとき、口語とかなり乖離してしまってた文語も口語に寄せようっていう運動が一緒に起きるんだけど、この難しさよ…
 口語の全国統一に50年、言文一致には100年もかかったといいます(本がなくて確かめられないけど、おそらくこれくらいの年数がかかってたはず)。

 言葉は日々消費されていくのに対して、書いた言葉は長く残って変化しにくいから、意識しないとすぐ口語と離れていっちゃうっていう指摘は、平成の終わりに生きている私にもなんとなく分かるなあって思います。

 これは前からうすうす思ってたことなんだけども、今の日本の書き言葉だと、感情をそのまま書きあらわすのって、なんかちょっと難しくない?
 最初に私がこういうこと考え始めたきっかけは、笑いの表現を、教科書に載ってるようなきれいな(とされている)日本語だと、どうにもぴったりしっくり書ききれねえな、っていうところでした。

 例えば「ちょwwwwwおまwwwwww」っていう、ツッコミを含んだ笑いの表現。これはもう、草を生やすっていう方法でしかこの笑い方の状況を書き記すことができないんじゃないかと思うんだよな。でも、当然「www」っていう書き方は、正しい日本語の書き方じゃないでしょ。日本には正書法が無いってなんかの本で読んだけど、それにしたって草生やすのが正しい日本語の書き方です!とは、今のところは胸張って言えない。
 無理やり書き言葉で書くことは当然できるけど、ニュアンスが大幅に狂う。今の書き言葉だと、感情の表現が客観的になりすぎる気がする。

 この現象は、今まで私は「表現力の不足」「語彙の不足」っていう技術的な問題なのかと思ってたんだけど、この本の言文一致運動のところを読んで「いや、もしかして、すでに言文一致できなくなってるのでは…?」って思った。

 思っただけで、だからどうっていうこともないんだけどね。
 今はネット文化が爆発的に普及して、自分の考えてることを文字で書く頻度や必要性が、それこそ昭和の時代より遥かに高いと思うので、きっとこれからも日本語はどんどん変わっていくんだろうなあ〜楽しみだな〜という気持ちです。

 あああ……手元に本無いから全然本の内容の感想にならんかった……
 どこにいってしまったんじゃ……

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