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咲耶姫神社と小篠塚城址(2025/1/26)

佐倉の咲耶姫神社に初詣に行った。

咲耶姫神社は佐倉の小篠塚城址にひっそりと佇む神社で、私は学生時代の頃から何度も行っていた。

別に実家の近くとか、昔から付き合いのある神社とかでは無く、学生時代にやっていたアイドルマスターに「咲耶」と言うキャラが居て、推しと同じ名前の神社があると言う理由で通い始めた。
小篠塚城址の静かな感じや、ひっそり感は中々心地良く私のお気に入りスポットになっている。

今までは何と無く行っていたが「そういやどう言う場所なんだ?」と思ったので、ちょっと調べてみる。

・小篠塚城とは

小篠塚城址の入口。
「鎧坂」と書かれている。(スゲェ急坂!)

説明書きはこんなカンジ。

鎌倉時代に千葉氏により建てられたそう。
当たり前だが、千葉の歴史を辿るとスグに千葉氏に結びつく…。

あんまり千葉氏について知らなかったので検索!

千葉氏は鎌倉時代から平安時代に栄え、当時は下総の国を治めていた。源頼朝を支援し、鎌倉幕府の成立に貢献、安土桃山時代には北条氏の陣営に協力し豊臣秀吉と闘い敗北(小田原征伐)し滅亡したと言わている。

調べていて気になったのは、千葉氏は代々、妙見(奈良時代から伝わった北極星を神格化した神)を信仰していたと言う話。
実際、千葉神社を建てたのは平良文と言う千葉氏の先祖らしい…。

そういう経緯があって千葉神社が建てられたのね〜。



話を戻して小篠塚城最大のポイントについて。
この城で起きた大きな出来事は、足利成氏が暫く動座していたと言うことのようだ。
と、言われても足利成氏を全く知らなかったので、また深掘り…。

足利成氏は室町、戦国時代に下総・茨城で活躍した武将であり、鎌倉公方(関東の統治を目的とした鎌倉府の行政機関の長官)を務めた人物。
しかし、対立していた鎌倉公方補佐役、上杉憲忠を暗殺してしまったことから、室町幕府から討伐対象とされ、享徳の乱に発展。拠点の鎌倉を追われ茨城県古河に移動。
そして古河を新しい拠点に定め、古河公方として関東を統治したと言われている。

この享徳の乱の真っ最中、古河城が幕府勢力により陥落する。
その際に、成氏が千葉氏を頼り小篠塚城に移動したと言われている。拠点を追われた成氏が一時的に避難していたということだ。

実は当時、茨城・千葉は現在のような地形では無く、香取内海という海があったとされている。

霞ヶ浦と印旛沼は繋がっていたのだ!

小篠塚城も香取海に隣接しており、古河からは洋上を移動して安全に向かうことが出来たと考えられる。
また、海に面している事で他者から侵略しづらく、佐倉は当時陸路の拠点でもあった為、武力衝突があった際に、派兵しやすいというメリットがあった。

現在小篠塚城は正彗寺により管理され、小篠塚城址公園になっている。
当時の土塁なども豊富に残っているようだ。
(調べた今こそもう一度行きたい!)

春の小篠塚城址公園

どうやら、近くには古墳もあるようだ…。
正彗寺所有の上人塚古墳と言う円墳があり、あの有名な「空也上人」が訪れたと言われている。


・何で咲耶姫なのさ?

そしてこの小篠塚城址公園には、「咲耶姫神社」と言う神社がある。

「咲耶姫」と言う名前は、日本書記は知らない人でも何となくは知っているのでは無いだろうか?
(私も「スゴイ美人だった」位の認識)

私は昔から「この辺になんか縁があるの?」と言う疑問があった。
看板には咲耶姫の説明だけしか書いていない。
「日本を創った母親」と佐倉にはどんな関係があるのか、もしかしたら佐倉には咲耶姫伝説があるのかも…!?と思い、また調べてみた。

まず、「八幡神社」「三峰神社」みたいに分家?(正しくは勧請)みたいな扱いで私が知らないだけで結構あるんじゃね?と思ったので、取り敢えずこの他に咲耶姫を祀っている場所を調べてみた。

最も有名なところら富士山本宮浅間神社のようだ。
どうやら咲耶姫の父、大山津見神は山の神でそこから転じて咲耶姫も山の神、特に富士山の噴火を抑えた為、富士山の守護神として祀られているようだ。

また、咲耶姫は神話より火難除け、安産・子授け、農業、漁業、織物業、酒造業、海上安全・航海安全縁結び、桜の神として祀られているとの事。
(幅広っ!)

富士山信仰を行う神社は咲耶姫を祀っていると言うことなんですね。

そして、千葉県で代表的な咲耶姫を祀る神社は
稲毛浅間神社らしい。

「あれ?浅間神社って…?」

ココで私は気付いた。
「浅間神社」と言うのが、富士山信仰をする神社だと言うことに。
「アサマ」と言うのは古い日本語で「火の山」と言う意味。すなわち富士山だろう。
浅間神社は富士山=咲耶姫を祀っている神社と言うことである。浅間神社と言うとそれこそ、八幡神社のように沢山分社がある印象…。

名前こそ「咲耶姫神社」だが、役割的には浅間神社と変わらないと言うことか…。

きっと火事避けなど(幅広い神だから一概には言えないが…。)の願いを込めて作られたのだろう。

因みに「咲耶姫神社」と名前の神社は全国探すと他にも何個かあった。他の所は「木花咲耶姫神社」とフルネーム(?)だったが。



調べた結果、この地にまつわる咲耶姫伝説は無さそうだった。ただ私が浅間神社とは何なのか知り、学の無さを披露するという結果になった。
(コレって割と常識なの?)

伝説は見つからなかったけど、今回沢山調べた結果、知らない事を沢山知るキッカケにはなった。

「香取海」の話は特に面白いと思った!
昔は群馬まで海が続いていたと言うのだ!
そうだったとしたら、今の日本の形にはいつ頃なったのだろうか?
埋め立てたのか、地震などの地殻変動なのか…。
埋め立てだったら当時の技術で、あの広大な海を埋め立てたという事になる。そんな事は可能なのか?

私の中で新たな疑問が生まれたので、今度は香取海について調べみようと思う。


そして最後に今回調べた情報だけで私が考えた無理矢理な考察を一つ。

咲耶姫神社がいつ出来たかは、特に書いていなかった。もし、建立のタイミングが享徳の乱に重なっていたら、落城した古河から来る成氏の航海の安全祈願、戦により焼き討ちにならないよう、火事除けを願って建てたのではないか?と言う説。

わからないからこそ、妄想が膨らみ面白い…。
近所の史跡を調べてみると新しい発見が沢山あると言うことに気付いた。
これからも色々調べてみよう…!




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