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辞められない人が見た辞めるとか辞めないとかの話
選手が進退を決意した瞬間に立ち会う経験がありました。
その瞬間に立ち会わせてもらった僕の中から出てきた感情が明らかに若い頃とは違っていました。もちろん個々の選手の取り組みによって感じる感情は違うとは思うのですが、それを含めても僕から出てきた感情は今までとは違ったものだったのです。
若い頃は辞める=逃げのように捉えていたところがあったのですが、今の自分は選手生活を退くことを逃げとは思えず、逆に自らの生き方の決断をできるのは「立派だな」と感じます。
立派と感じるのは僕が選手生活が大好きで辞められない人で、格闘技選手を辞めたいと思ったことはこれまでに数えきれないくらいにあるけれど、辞める決断をできたことはないどころか、どうにかして続けていこうと手を替え品を替えやってきたからです。そして今も手を替え品を替えどうにか自分の格闘物語を進めようとしています。
他にできることがあるのとやりたいことは違うし、やりたいことの中でも優先度があって選手生活以上の充実は見当たらないのです。そもそも選手生活以上の刺激や充実を見つけようとすること自体が間違いであって、選手生活以上の刺激や充実はないと観念して生きることが大事なような気もしていますが、そんな諦観を持てるわけもなく、今も懸命に選手生活にしがみついています。
僕の選手寿命に限りがあるどころか、残された時間が短いことはわかっていて、選手生活を続けるのは緩和治療的に終わりを先延ばしにしている側面があるのは承知しています。その中でも足掻いて生きる姿を表現して見せていくのもまた一つの形であり、ここまでやってきた責任なのもわかっておりますし、潔くその先の闘いの場に行くのもまた一つの形です。どちらが正解の話ではありませんが、自らその先の闘いの場に向かっていく決断をするのは立派だと思います。選手生活を終えるのは逃げではなく挑戦だと思います。
僕は選手個々の進退に関しては「選手の好きにすればいい」と思っているし、選手には選択する権利があると思っているので、こうしろと言うことはしないのですが、指導者であるならば選手が衰えていたり、危険を感じた際には伝えてあげるのもまた大事だなと思いました。その意味では指導者がしっかりと考えを伝えている控室での光景は学びが深かったです。
自らの「これで最後にする」と言えた選手を見て心から立派だなと思いました。僕の場合は青木真也をやめられないですからね。それは観念しつつも自らの道をしっかりと考えてやっていかねばいかんなと思いました。
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