9月8日 名古屋決戦 <王者>青木真也 vs 遠藤哲哉<挑戦者> 意地悪な愛の話 ※ただな意地悪なだけとも言う
KO-D無差別級選手権試合
<王者>青木真也 vs 遠藤哲哉<挑戦者>
8月25日の王座戴冠の余韻に浸ることもなく、2週間後には防衛戦をセットされています。改めて外様はツラいと思うところもありますが、それと同時に団体からそれなりに信頼を得ているのかと思うとフリー冥利に尽きると気が大きくなるところですが、タイトル戦が続いていくのは心身共に苦難の道であることを身を以て学んでおります。
王座防衛を7度してきた上野勇希さんの偉大さや10回以上の防衛と何度も王座返り咲きを果たした竹下幸之介さんの偉大さを改めて感じております。こればかりはやっぱり自分が体験しないとわからないものです。敬意を表します。
遠藤哲哉さんとの試合は僕が誰も触れなかった「中嶋遠藤」戦をほじくり返したが故の試合であって、わざわざほじくり返すことをしなければ遠藤哲哉さんも平穏に暮らしていただろうし、思い返すこともなかったと思います。その意味で言うと僕は「意地悪」ですが、ほじくり返してこの場に立つことでカムバックの機会をつくる意味では「愛」を持ってやってもいます。真っ直ぐな愛ではなく、意地悪な愛なのが厄介であって、そもそも意地悪な愛は意地悪なだけではないかとの声もあるのですが、今回はまあそれはそれとしてに落ち着かせて頂きたいです。
遠藤哲哉さんのインタビューが素晴らしく、多くの人に読んでほしいので置いておきます。地獄を見て泥を啜って這いあがろうとする人間の声がここにあります。
遠藤哲哉さんが青木真也の言葉に呼応して、挑戦者として対角に立つ時点で「中嶋勝彦」はどうでもいい単語となっています。雪辱なんて話はどうでもいいと僕は思っていて、遠藤哲哉さんが己に打ち克ってきた時点で精算が済んでいると僕は思うのです。自ら言い出しておいてなんですが、中嶋遠藤とか中嶋勝彦って枠組みでやるのではなく、お互いのここまでの喜怒哀楽すべての感情や感謝をリング上で交錯させるだけなのです。もう少し大きな枠組みで言えば、DDTすべてのあれからの喜怒哀楽をリング上に出せば良いと思っています。遠藤哲哉さんのインタビュー通りで寄り添った仲間もいて、ほじくり返す外様のおじさんもいるけど、全員にあるのは「愛」だと思うのです。お客さんも僕にはできない愛を注いでくれていて、だからこそ中嶋遠藤とか中嶋勝彦って枠組みではないと思うのです。
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