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5年前の12月29日は桜庭和志戦だった。2020年は「何か」に向かっている。楽しさだけは変わらない。

2015年12月29日。

5年前の今日は桜庭和志さんとの試合だった。
あれから5年。僕は37歳になってまだ「ファイター」。辞めどきを失ったようにも思えるけど、ファイターとして生きていくこと自体が目的なのであれば、プロレス格闘技のことを日々考えれる生活を送れるだけでオッケーなのかもしれない。

桜庭戦に関しての技術や芸事としての話を書いていくのも面白いと思うだけど、それよりも自分の人生にとって「きっかけ」になる試合だったから、この経験の今を残しておこう。読んでいく中で何かの役に立ってくれたら嬉しい。

憧れと試合をするのはいいことばかりじゃない。

僕は桜庭和志の試合を観て、中学高校時代を過ごしてきた。

試合をずっと追いかけていたし、ホイス戦のアームロックでロープに半分出て、笑顔を見せる絵がかっこいいと思ったし、自分がサブミッションに入って極めるときの表情に影響を与えた。

とにかく影響を与えた選手だと思う。新日本プロレス、PRIDE、K-1に人生を導かれたタイプは多いと思う。アントニオ猪木、榊原信行、石井和義の創ったものに振り回された。その現場で動かしていたのが桜庭和志なのだ。

まさか桜庭和志とMMAの試合をするとは。
正確には自分で桜庭和志とやりたいと提案したのだけど、提案した時点では実現するとは思いもしていなかったから、人生ってやつはどうなるかわからない。だから面白いと言いたいが、実際はその度に右往左往している。

試合のオファーを受ける前に珍しく考えた記憶が残っている。

憧れを越えたらこれから頑張っていけるのか。

憧れとして、目標としてやってきた「レジェンド」と試合をしてしまったら、自分がこれからやっていく目標がなくなるのではないかと思ったし、桜庭戦後にやっていく自信がなくて、怖かった記憶だけが残っている。

その怖さを打ち消すように練習に没頭したし、過去1、2を争うくらいに練習をしたと思う。非効率だったと思うし、もっと効率的な適量で練習をすれば、より良いパフォーマンスだったとも思うのだが、メンタルを振り切るには身体を痛めつけるのが手っ取り早いのだ。

試合を超えて抜け殻のようになって、31日に控えていたIGF両国大会でモンターニャシウバ相手にプロレス。格闘技とプロレスを一緒にやる憧れのスタイルをそこでも完全に実現できた。

抜け殻になったところから見えてくるもの

桜庭和志に勝ったら抜け殻になった。
2016年はONEのタイトルも失なった。2017年も勝てなかった。
ここで青木真也は終わったと思った人はいただろうし、実際に海外インタビューで言われたこともあった。大きなお世話だし、終えるかどうかは自分で決める。自分で身体を決めるくらいは選手としての名前も実績もある。

そこで見えてきたものが大事だったんだよな。

好きな気持ちを大事にしよう。やりたいことをすればいい。

結局は格闘技が好き。
勝てない時期も練習はした。それも楽しかった。成果が出なくても続けられたし、とにかく楽しかった。それは今も変わらずに年末年始の練習がない期間がストレスに感じるくらいだ。

プロレス格闘技を探究し続けるだけでいい。現役かどうかなんてむしろ関係ないのかもしれない。ファイターとして生きていけることが幸せなこと。

やりたいことをやればいい。好きなことをただただやろうか。

2020年の12月29日は「何か」に向かって。これが楽しい。

2020年の12月29日は何かに向かって練習をしている。

これがまた抜群に楽しいのである。皆様に申し分けないくらいに楽しい。
「何か」はやりたくないものだし、怖いのだけど、これがまた群を抜いて楽しいのだから、余計にやめられないのだろう。甘辛いものを好むように甘いだけじゃあダメなのだ。サウナだって水風呂があるからだもんな。

好きなことをやらしてもらって感謝します。
今年もあと少しなようですが今日も1日頑張りましょう。


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