タフに生きる話 理想や正論よりも現実
僕は「強さ」を追い求めています。
「強さ」というと競技的な強さだとされて、「お前はキャリアハイではないし、今は戦績が伴ってねえよ」と言われてしまって、何度説明しても伝わらない言語の壁以上の壁を感じてしまいます。僕が思う「強さ」とは総合力であって、生きる力だと思っているので、そこら辺の話は以下の記事を参照ください。
青木真也は最初から青木真也だったわけではなく、幼少期の僕はそこら中にいる気が弱いからこそ強いものに憧れる子供だったし、一人っ子で争うことなく甘やかされて育てられてきた子供だったので、タフさとは無縁の温室育ちでした。子供の頃に我慢した思い出がないので、今も我慢することが苦手なのかもしれません。
それが小学校3年生で柔道を始めて、理不尽の極みの様な町道場の先生にぶん殴られて、無駄に正座させられていくことで、柔道が強くなる以上に理不尽耐性がついてタフになって行きました。市の体育館の柔道教室で殴り倒して、板の間に正座させていたなんて、今だったら大問題ですが、当時は誰かの親が上にタレ込んでも「お咎めはあるけど、お咎めなし」で王国が成立していました。今となっては市の教室でほぼ無償で教えている様な指導者がまともなわけはないし、体制の問題だとは思うけれど、まあそれはそれとしてとしか言いようがないです。
中学校は私立の柔道強豪校に進学して、日々の生活や練習で鍛えられて行きました。弱いと先輩に虐められるし、何かができないと先生にしこたま殴られるし、タチの悪い先輩はカネを取ったりするので、「強く」ないと生き残れません。裏を返せば強ければどうとでもなりました。ここで言う強さは柔道の競技的な強さもそうだし、親の力とか、頭の良し悪しとか、コミュニケーションとか、総合力としての強さです。この頃から強さとは総合力であり、生き抜く力だなと肌感覚でわかっていた様に思います。
中学時代に遠征があって、3泊や4泊で出向いていって、練習試合を朝から晩までやるのですが、その際も弱いと駆逐されて行ってしまいます。特に下級生は練習試合+雑用+先輩からのいじめのハードスケジュールなので、心身共に疲弊して行って、怪我をして脱落していきます。膝の靭帯が切れたとか、肩や肘が脱臼したなんてのは日常茶飯事で見ていて、周りがどんどん脱落していくので、これは生き抜くだけで自分にチャンスが回ってくるなと思っていたほどです。僕は柔道時代も格闘技時代も通じて今の今まで大きな怪我をしたことがありません。怪我をしなけりゃチャンスが回ってくるなと思って辛抱していました。今思うと異常な空間であります。
高校時代は殴られることは無くなったけれど、練習や試合スケジュールは理不尽の範囲に入るだろうし、強ければ許される度合いは増しました。高校はこれまた超がつくスポーツ強豪校だったので、強ければ許される度合いがこちらが心配になるほどでした。逆に弱いと平気で切り捨てられて行く、弱肉強食でした。中学時代も高校時代も持ち前の強さと生き抜く力で乗り越えてきたので、理不尽や悪しき伝統的なものも頭では良くないことだとは思えるけれど、これはこれで大切だとも思うところもあって、THE生存者バイアスで公の場で言ったら「危ない危ない」なのは重々承知です。
僕は柔道と格闘技をやってここまできているので、単純に腕っぷしの強さが強さとしてでます。柔道も格闘技も弱いと練習がいじめになります。いじめるなと言っても相手をやっつけるのが本質の競技なので、弱いと相手にいじめる意図がなくともいじめになるし、根本的に強くないとできないと面白くないのが格闘技です。これは格闘技だけの話だと思っていたら、一般社会でも腕っぷしが強いと「本気になったらコイツをやっつけられる」と思って余裕が出たり、無茶を言われなくなったりするようで、言っても人間は動物だなと思いました。確かに電車や街中で意味不明に絡まれる経験は僕にはないです。その意味では個体としての戦闘力は大事なのだと思います。身体を鍛えよ。
ここに「どこでも生きていける力」のサバイバル力が大事です。
学生時代でいえば宿が汚くて寝れなければ疲弊して行くし、飯が不味いと食えなければ弱くなっていくし、荷物が多ければその分の持ち運びが手間で消耗して行きます。中学時代の先生は遠征費を生徒の親たちからがっちり集金して、最低金額で泊まれるであろう宿にして、差額をがっちり懐にいれる古き良き伝統的なスタイルだったので、移動も宿泊も鍛えられました。すし詰めのバスでも寝るし、どんな飯でも食べるし、生き抜く術の基本をここで身につけたような気がします。僕がどこに行ってもなんとかなるのはこの経験があります。
僕がミニマリストで自転車で移動しているのも「どこでも生き抜く力」だし、皆に言われる「今、仕事がなくなっても生きていける人」なのも、とりあえず仕事やカネがなくなっても、自分の腕と青木真也流の独特なコミュニケーションでなんとかして行くだろうと思います。実際にPRIDEがなくなったときもDREAMがなくなったときも、明日から「無職ね🎵」と言われたけれど、まあなんとかなってきました。これは助けてくれる方々がいたからだし、運が良かっただけでもあるけれど、人も運も味方につけたのは僕の強さです。ここを勘違いしてはいけません。
人を騙せと言っているわけではないので、勘違いしないでほしいのですが、ルールの隙間やレフリーの隙間を突く狡賢さ「マリーシア」がないと生き抜けません。生きて行くとフェアプレーだけでは生きていけません。そもそもプロレスは反則は5秒までOKですからね。そのくらいタフに生きていくのが自分自身の目的課題でもあります。「ちゃんとプロレスしようぜ」です。
バック一つで街から街へ。
結局はこれが今も昔も憧れる僕の強い生き方なんですよね。
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