仕事を辞めて夢を追いたいと言われたときの話 自分で正解にするしかない
仕事を辞めて「選手生活をしたい」類の話はここまで何度も聞いてきたし、特段珍しい話ではないのですが、他業種でその業界を代表するような商品や人材を育てている仕事人から出た言葉だったりすると「おいおい。落ち着けよ。」となります。そんな相談が僕の目の前に転がってきました。
彼女とは10年以上の関わりです。彼女の努力と能力に偶然が重なって、以前の僕のアドバイスが転機になっていました。それも一度だけではなく、僕が覚えているだけで2度の転機や踏み止まるアドバイスをしたことがあって、キャリアを形成する上での大きな出来事のアドバイスが二度も的中していると信仰的になってしまうというか、壺でも売れないこともないような方向に行きかねませんが、そこは彼女の努力と資質であって僕も含め取り巻きが何か影響を与えたことはないと思っています。慕ってくれて嬉しいです。
仕事を辞めるとすると経済的に苦しいことも可能性として出てきます。警察官を2カ月で辞めてえいや!と飛び込んで、運良く経済的に苦労することなく遊蕩三昧で来てしまった僕ですが、両親は警察を辞めるときには家がどんよりするほど心配していたし、親御さんや家族は気にするだろうと思うと止めて当然です。ただのちに貧乏をすることがあって本人がこの決断を悔いたとしても、それをどう感じるかは本人であって本人の人生の選択の自由だとも思うから、周りが何かいう話ではないと思っています。
踏み行った話は本人に丁寧に敬意を持って直接お伝えしようと思っていますので、ここに記すことはしません。話せる範囲で話すと共同体への貢献とか自分の才能を活かして評価を得るのに価値を見出せない方で自分の物語を主語で生きたい人なのだと思いました。夢を追いたい人と夢を叶えるのを後押しする人がいるとすれば前者です。ここら辺の話は桜林直子さんの「世界は夢組と叶え組でできている」に詳しく書かれているのでそちらでどうぞ。
僕も自分の物語に価値を感じて自分が主語で生きていきたいタイプの人間だからよくわかります。それでもやりたいことがなかったり、自分を主語で主人公で生きていかない選択もまた価値があると思っているし、尊重しています。どちらが上の上下でも良し悪しでもありません。好きなことで生きていく選択肢もあれば、好きなことで生きていかない選択肢もあって、どちらもメリットデメリットがあって、一概にどちらが良いとか悪いとかの話はできません。好きなことで生きて遊びを仕事にしている僕は日々「怖さ」と格闘していますからね。世の中的には持て囃されて礼賛されるはずなのに。
どんな言葉をかければいいのかと考えていたのですが、結局は自分で選択して選択した生き方を正解にしていくしかないのだなと思いました。僕にもいくつかの場面があって選択をしてきました。選択しなかった生き方は存在しないからわからないけれども、僕は良いことも悪いことも「あれがあったから今がある」と思えているし、結果は変えられないけれどもいつだって解釈は変えられるし変わっていくからこそ、日々を懸命に生きています。
もしも今すべてを投げ出してしまったら、過去を肯定することのできない腐った日々になってしまうだろうことがわかっています。だからこそ日々を懸命に生きています。日々を積み上げる最大の理由は自分を肯定することなのかもしれません。
日々を懸命に生きれる人は心配が要らないというか、何を選んでも何があってもその選択を正解にしていけるから心配していません。結局はどれだけ真剣に向き合えるかと継続できるかだと思います。小手先の話にばかり目が行きがちですが、大事なことは日々の取り組みと実力と歴史です。そんなわけで今日も練習と仕事を積み上げて行きます。
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