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チャンスに照れずに飛び込めるための日々の積み重ねと自分の求めるモノの話

火曜日の朝。練習を終えて札幌に向かうはずだったのだが、札幌の大雪で見事に仕事が延期になりました。楽しみにしていただけに残念だったのだけど、試合前で身体のことを考えたら前向きにも捉えられて、感情がごっちゃになっております。とりあえず数分で終わる荷造りをしたのが水の泡くらいか。

最近の飛行機はWi-Fiがあって機上までインターネットが追いかけてくるし、どこでも仕事ができます。常在戦場にもほどがある。そりゃあWi-Fiが通じない秘境やサウナの価値が高まるのもよくわかる。強制的にウェブから離れて創作時間を作らなければ停滞を招く。それに対する策が移動時間(自転車や飛行機)だったのだが、逃げても逃げてもWi-Fiがが追いかけてくるのだから困った話です。

昨日、ジェーンスーさんがウェブコラムで「幸せになるかどうか自分が許すか」と言ったようなことを書いていた。これまた友人知人のサクちゃん(桜林直子さん)noteを読んでのコラムでした。サクちゃんの記事に2016年前後を支えられていた僕としては理解するのに時間は要らなかったし、この2人の接近はおれ得過ぎるにもほどがあります。得した気分で懐が暖かい。

記事に関しては先輩方の記事を読んで頂けたら、流石の仕事でわかりやすく丁寧に書かれております。僕としてはこの手の話はそこら中に転がっていると思っていて、勝者になる自分を認められなかったり、成功する自分を認められなかったりで譲ってきたことは経験としてあるのでよくわかります。

静岡の高校生で柔道をしていたときは「静岡の田舎者が全国大会でベスト8にでもなれば上出来」と一番になる自分を許していなかったように思うし、格闘技を始めて積みあげていく中で場に気圧されることに対しては克服してきたけれど、未だに自分自身の中に許していないことはいくつか思い浮かびます。それが悪いとも思っていない。僕は僕の思う幸せの形を日夜考え模索しているので、必ずしも何かを得ることが幸せだとは思わないのか思えないでいます。

格闘技選手をしている中で自分自身の経験や多くの選手を見てきて感じるのは「どうせ俺なんか」を取り外せるかどうかが楽しさとか幸せに大きく関わっているように思います。僕は「僕のやっていることは価値があるから認められるべきだ」と思っていたし、だからこそ折れずにやってこれたし、チャンスがきたら照れずに飛び込めました。僕が思うのは「どうせ俺なんか」とチャンスを逃す理由にしていないか、チャンスを逃す自分に酔っていないかです。

今一度自分の求めるものは何なのか。幸せの形は何なのかを考えてみることをお勧めします。僕も自分の求めるものや幸せは何なのかと日々考え調整しています。マインドセットを変えるだけで手に入るものはたくさんあって、マインドを変えるかどうかがです。今は勝つ自分を許せているところがあって、照れずに勝ちを得られるし、そのための日々の積み重ねであって、日々の積み重ねが自分は勝っていい人間だと許してくれます。結局は日々の積み重ねに勝るものはないのだし、日々の積み重ねが人を作る当たり前の話に着地します。

勘違いしてほしくないのは「今に見てろ」とか、「どうせ俺なんか」の反骨心は原子力並みの強さを持つので、自分で燃料を組み合わせて使い分けていくのが職人の腕であります。塩梅。

今日も練習。これがあるから自分がある積み上げ。

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