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原口健飛のペットパノムルン戦 ガチとは存在を賭けた勝負であるの巻
今週日曜日のRISE大阪大会でペットパノムルン選手と対戦する原口健飛選手とお話ししてきました。対談なのか、インタビューなのかは僕自身もよくわからないところではあるのですが、原口選手の良さを惹き出すことができて原口選手の解像度が上がった自信作ですので見て頂けたら嬉しく思います。
最初に企画のお話を頂いたときは僕に原口選手を引き出せるのか自信がありませんでした。お話する前に「どんな切り口でどう着地させたら原口選手が立つのか」を考えて、原口選手の試合やインタビューを見たり、SNSをチェックしているうちに「原口選手は言語化ができていないが為に伝わらずに損をしている」選手なのではないかとの仮説が立って、その仮説を軸にお話させてもらいました。
実際に原口選手とお話しさせていただいたら、言葉にはできていないけれども芯の部分にある表現者の部分を感じることができて、僕の目利きもまだ衰えてはいないと安心しました。良いインタビューだし、原口健飛の新しい見方が提案できて僕が嬉しい仕事でした。
原口選手に限った話ではないのですが、格闘技界隈では言葉の扱いが雑だったり、軽く扱ってしまうところがよくあります。教えるにしてもプロモーションをするにしても人に伝えることですから、言葉が大事になってくるのですが言葉が大事にされないことにいつも首を傾げています。感覚的過ぎる。今回のRISEでの原口選手の試合はキャッチになっていた「ガチ」が気になってしまいました。僕は格闘技とプロレスの両方に軸があるので、世の中で使われる「プロレス」とか「ガチ」に神経質になってしまうところがあります。
「ガチ」とは「ガチンコ」の略で相撲(プロレス)の隠語で真剣勝負を意味する言葉です。ガチと言ったときにガチではないものが存在することを認めてしまうことにもなるので、ガチンコは隠語であって、一般的に使われるようになった今も僕にとっては極力避けたい言葉の一つです。RISEのやる側の論理からくる強さ原理主義で側を気にしないところは憎めなさもあるし、むしろ面白さに感じるくらいの理解と愛はあって、相変わらずの「格闘技一直線」ぶり健在で微笑ましく感じます。伊藤隆代表のK-1と全面対抗戦だって記者会見コメントを思い出すと心が暖まります。
インタビューでは原口選手に失礼なことは承知で「ガチとは何ですか」、「原口選手以外の試合はガチではないのですか」と意地悪な質問をしてしまったのですが、原口選手が怒ることなく返してくださって、無事に成立させることができました。
原口選手の試合は2月の横浜大会で解説席から拝見させていただいたことがあるのですが、そのときから「存在を賭けて試合をしている選手」だと感じていました。その部分が見せれていないことに勿体なさは感じたのですが、競技パフォーマンスが頭抜けていて、その部分で魅せれているからいいのかと思って見ていました。
彼がいうガチ(真剣勝負)は存在を賭けた勝負なのです。
真剣勝負とは存在を賭けた勝負であって、格闘技競技に限った話でもなく、世の中の仕事全てに共通です。すべての職業で真剣勝負もあれば真剣勝負ごっこもあるのです。格闘技だけが特別と考えるのは奢りであって、格闘技と社会の断絶だと僕は考えています。すべての仕事が真剣勝負であるのです。
僕はプロレスも格闘技も仕事も真剣勝負です。何故ならば存在を賭して必死に向きあっているからです。格闘技だから真剣勝負だなんて思ったことはないし、格闘技のほとんどが真剣勝負ごっことさえ思っています。
原口健飛のペットパノムルン戦。
原口健飛を賭けて臨む試合。間違いなく真剣勝負。
この試合は世界を何も変えない。原口健飛の物語を大きく左右する。
飾り気のない素の言葉で彼は怖さと楽しみを語ってくれました。今ある全てをぶつけ、そこにあるのは希望か絶望かはわからないけれど、彼は試合が終わっても原口健飛として歩んでいくと確信しているし、彼の物語を楽しみにしています。
なぜなら絶望は愚か者の結論だから。
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