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鹿児島で39歳になりました。いつもありがとう。
鹿児島で39歳になりました。いつもありがとうございます。
39歳をプロ格闘技選手として迎えられることを嬉しく思います。「ひとまず上出来」です。39歳まで格闘技選手を続けられるとは思っていなかったし、格闘技を生業にしているだなんてMMAキャリアをスタートさせたときには微塵も思いませんでした。思春期に憧れ続けた桜庭和志とケンドーカシンとも試合をしました。本が好きだったのが本を出す側書く側に回って仕事をしています。ひとまず上出来どころか、上手く行き過ぎている人生で怖く感じるときがあります。上を見あげりゃキリがなく上出来です。
格闘技界は僕から見ても世間知らずで変わった人の巣窟であるのですが、30歳後半を過ぎて選手活動を継続している選手を見ると一般的な感覚ではちょっと信じられないような行動をとる人がたくさんいます。変わった人だと指を指して笑っていたつもりが気がついたら自分も変わった人になっていて、いつ間違えたのかと過去を見てもたくさんあり過ぎてよくわかりません。39歳にしては若くて偏屈なおじさんだと自負しております。
好きなことをやる。自由である。に執着を持っていて名誉やカネよりも自由であることに優先順位を一番にしています。ミニマリストも自転車移動も全ては好きで自由にやるためで、格闘技をとことん掘り下げてやるのも好きなことをやるからです。何よりも自由であることに拘ってやってきました。
5月20日にはONEシンガポール大会でグラップリングマッチをします。
前戦がビックマッチの敗戦でワザワザこのタイミング試合をすることはないとの考えもあって周囲はそう言ってくれる人もいたのですが、仕事でしてるけれど損得で格闘技をやっていない部分もあって、学び続ける大切さや好きなことをやり続ける尊さを知っているからこそ、試合をしたいと思って試合に向かいます。
キャリア初期や中盤は勢いもあって、選択をするというよりかは身を任せる受け身の選択であることが多かったです。受け身の選択でとりあえず何とかなってしまうのが若いときだと思います。それが30歳を過ぎて団体が潰れたり、家族を失ったりするととりあえずの選択では立ち行かなくなります。受け身の選択で家族を持って見事に崩壊した経験を持つ僕からすると受け身の選択では立ち行かないことを知るのがもう少し早かったらこうはなっていなかったと思うこともあります。
キャリアを重ねると社会や業界の構造に気がついてきて、大まかな得るもの失うものが見えてきますし、人生に必要なものも見えてきます。それに対して選手活動から足を洗うとか、選手活動とは別にジムを持つとか、それっぽい理由を見つけて保険をかけることも出てきます。
39歳になった僕が格闘技選手として活動できる時間は限られているだろうし、これから得られるであろう対価も幅はあれどそれなりに見当がつきます。自分のことだけれど厳しい見通しであることは事実です。右肩上がりではないでしょう。何か他の商売をするとか選手生活後のことを考えるのが真っ当だし得で賢い選択なのだとは思いますが、僕は好きな格闘技をして自由に生きていきたいです。
今こうして自由に好きなことができているのは当たり前ではなく奇跡だと思っています。この自由に好きにできる環境がいつまであるかはわかりません。いつまでできるかは分からないからこそ今を懸命にやっていきたいし、これからも自由で好きなことができるように日々を積み重ねていきます。
大学生のときは社会人は辛く苦しく我慢だと思っていたし、父は社会に出る僕に「我慢した時間がお金」との言葉をくれて、その言葉は的を射てるところもあるけれど、我慢をしないで好きなことを辛抱強くやってきたら思っていた39歳よりもずっと楽しい日々を過ごせています。先輩方を見ていると50歳でも60歳でも楽しそうだから好きなことを懸命に日々積み上げていく希望となっています。歳をとればとる分楽しみ方の幅が増えていて今は楽しくできています。
これまでも好き勝手やってきたようにこれからも好き勝手やっていきます。そのためにも日々をコツコツと懸命に積み上げていきます。39歳もひとつよろしくお願いします。
青木真也
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