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2006年8月26日 「PRIDE武士道12」プロ格闘技選手デビューの日
2006年8月26日「PRIDE武士道12」名古屋大会 プロ格闘技選手としてデビューした日です。格闘技選手を生業にして初の試合です。
2006年8月26日はプロ格闘技選手としての一歩を踏み出した日。
16年も前の話だけど、思い出は鮮明で運営本部で加藤さんにかけてもらった言葉、公武堂の長谷川さんと味仙でご飯を食べたこと、一夜明け会見で二日酔いだった川尻達也さんなど瞼を瞑ればいくつもの思い出が出てきます。
僕はPRIDEに出させてもらうまでは修斗のチャンピオンになりましたが、ファイトマネーで生活を成り立たせることはできずに警察に就職。もちろん務まらずに電光石火で辞職してのPRIDEデビューでした。ここら辺の背景や思いは「空気を読んではいけない」に詳しく書いてあるのでそちらをどうぞ。
武士道名古屋大会は青木、帯谷、日沖と3人が武士道デビューする大会で査定的な意味合いと競わされてのデビューでした。その当時も強く意識したし(特に同階級の帯谷)、今思い返してもシビアな競わされた方だったと思います。幸いにも1Rでの一本勝ちのインパクトとその後の試合でも1本勝ちを積み上げたことで超新星的(スーパーノバ)な立ち位置をいただくことができて幸運(ラッキー)だったと思います。
そこから16年。今もこうして元気にやれているのは巡り合わせと運です。人に恵まれているし、人が持ってくる機会に乗っていれば外すことはなかったです。恵まれた出会いで人を信用信頼できているからこそ、機会に躊躇なく乗れているのだと思うし、人から多くのことを学ばせてもらってきました。
ここまでやってこれたのは努力あってこそと言ってもらえることもあるし、取り組みを認めてもらえるのは嬉しい限りなのですが、必死の取り組みをしても形にならない選手の方が多いから、自分の好きなことで自分の名前で生きれているのは幸運だと思っています。それでも取り組みや努力は適切な取り組みをしなければまったく意味を成さないところがあるので、試行錯誤が大事ではあります。僕は必ず正解があると考えるタイプで、仕事でも格闘技でも何か答えがある(答えは多数だったり変わったりもする)と思っています。
警察官を辞めて格闘技選手になったのを後悔していないし、その後の様々な選択を後悔していません。あのときどうしていればと考えたことがないし、そう考えようともしないのは目の前のことを必死にやっているからだろうし、日々の積み重ねで自分の選択を無理矢理にでも正解にしてきたのだと思っています。
挑戦を煽る気もなければ、挑戦を煽って商売する気もないのですが(不誠実だと思うから嫌い)、何かやりたいことがあるのだとしたら早ければ早い方がいいのは間違いありません。プロ格闘技選手は現実的に年齢が大事ですし、年齢を重ねて家族を持ったり、その他の選択肢が減っていくので、若ければ若いほど挑戦のコストは安いと思います。若い時分は挑戦し放題だと思うし、挑戦した先で真摯に向き合っていければ必ずや財産として積み上がっていくと思います。もしも今やりたいことがあって、情熱を抑えることができず、やらねば生きていけないと感じるのであれば、やればいいと思います。
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