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38歳になりました。

38歳になりました。皆様ありがとうございます。

38歳も自分が納得できる格闘技選手として迎えることができました。
幸せなことです。僕にとっての格闘技は手段ではなく目的になっています。格闘技選手として生きていること自体が幸せなことで、他に何もいらないのが正直なところでして、38歳を格闘技選手で迎えることができてとっても幸せです。。僕が格闘技選手として存在できるのは皆の支えがあるからであって、38歳の自分が生きてきて一番応援されていて、一番強くあると思っています。

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38歳の抱負的なことを表明するのがよくある形だとは思うのですが、表明したところで他人様があってのことでできるかどうかはわからないのです。そもそも格闘技での目標を書いたところで、他人様がいて流れがあって自分一人でどうにかなるものでもないので、書くこと自体に照れ臭さを感じてしまいます。そもそもチャンピオンになったところで「だから何」だし、自分が格闘技を通じて何を伝えたいかがなければ「運動が得意な人の宣言」になってしまう気がするのです。自分が格闘技を通じて何を伝えたいのかが改めて大事だと思っています。

38歳もコツコツ目の前のことを頑張っていく以外に他ならないし、生きていく以外に他ならないと思います。格闘技が生きることと限りなく近くなった今、目の前のことをコツコツとやって生きていく以外の正解はないと思っています。変わらず「生きる」を表現していきたいです。生きろである。

格闘技が生きることと限りなく近い。生きることと同じではなく、限りなく近いと書いたのは格闘技を通じて表現するときに少なからず誤差があって、その誤差を無くして、人間の素直な感情を曝け出していきたいからです。まだ誤差があって、生きることをそっくりそのまま表現したい。今が嘘を言っているわけではなく、表現の解像度をあげていきたいです。嘘偽りを一切なくしたい。

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格好をつけているわけでもないのですが、格好をつけている自分を否定できないです。格好つけていない自分を格好つけている気がするのです。人は最後まで格好をつけてしまうからこそ、生きると表現を完全に同じにするには難しさがあって、「人にどう思われるか気にしない」ことを気にしている自分がいるように感じています。

こればかりは表に出る仕事だからこそと思ったり、素の表現をしていきたいと思ったり、相反することが多くて、堂々巡りではあるのですが、人間本来の感情を大事にして、本当のことを表現していきたいなと思います。建前は嫌いだし、虚しい美しさにはうんざりです。

37歳では「いつ辞めてもいい」「いつ死んでもいい」と僕は言っていたような気がします。その覚悟はあるけれども、なんとかしてでも続けたいし、生き延びたいのです。どんなに恥ずかしいことをしても僕は勝ちたいし、格闘技を続けたいし、生き延びたいのです。いつ終わりが来てもいいと覚悟はしているけれど、終わりが来てほしくないし、往生際悪く最後まで足掻き続けます。それこそが本来の姿だと僕は思います。

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今は選手として成り立っていますが、ここからは苦しいこともあると思うし、恥を忍んでやらねば行けぬこともあるだろう。それでも僕は格闘技が好きだから格闘技選手を続けたいと思います。

生きよう。何があっても生きよう。
38歳の目標を書くとすれば「生きる」であって、生きると表現の解像度を上げて生きて行こうと思います。生きよう。それ以外に目標はないです。

38歳の青木真也は今まで以上に真剣に素直に嘘偽りなく生きて行きたい。38歳の1年も青木真也にお付き合い頂けたら幸いです。今日も明日も明後日もコツコツと生きていきます。

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