終わらない思考
辞職して数ヶ月経つ。
未だに働いていない。
大手チェーンの居酒屋に雇ってもらったものの、勤務する前に要請によりまた休業となってしまった。
会社に勤めていたころの貯金と、一緒に居させてくれている人のおかげで今も過ごせてはいるが、不安は日毎に増すばかり。
外に行きづらく、あまり人と会わなくなった。お決まりの人とたまに会う程度で家の中にこもりがち。やりたいことを見つけてみるも、新たな収入が見込めない今は手も出しにくい。
膨らむ不安は徐々に自己嫌悪に変わっていく。何もできないわたしに存在価値はあるのか。
仕事をしていた頃は、厄介な仕事を任されたくないからといつも心の中で「わたしの名前を呼ぶな!呼ぶな...!」と唱えて過ごし、案の定呼ばれて苦労した。
それが今となっては、わたしの名前など呼ぶ人はおらず、テレビでマツコデラックスが言っていた「人は社会貢献しなくては」(ざっくりとこんな内容)という言葉に初めて共感する。
久しぶりに友人に会った。
自分で道を切り拓き、自分を売り込み、自分を選ばせる。考え抜いて苦労を重ねながら、最近は以前にも増して活躍の場を広げている。心底尊敬している女性だ。
彼女と知り合ったのは高校1年生。
入学式を終え、割り振られたクラスごとに記念撮影が行われた。出席番号が前後だった彼女とは隣り合わせで、副担任の後ろに立っていた。お茶目なその教師のおとぼけに、わたしと彼女だけが声を出して笑った。そこから彼女とは当然のように親しくなり、今でもその関係は続いている。
数ヶ月ぶりの再会を終えた帰り道、わたしは急に寂しくなった。一人になったからではなく、彼女の人としての深みと、自分の軽薄さを痛感して、虚しくなったのだ。
対等だと思っていたけれど、気がつけばわたしの考えの及ばないようなことを彼女は日常的に思考し、ずっとめざとく世の中を見渡していた。
どこでこんな差が生まれたのだろうと、時間を持て余しているわたしはぐるぐる考える。すっかり、おいてけぼりだ。
そんなことをくよくよ考えてたって仕方ないよとわたしのなかの前向きな自分に背中を押され、今朝は朝食を作って食べたあと午前中のうちに掃除洗濯ストレッチを済ませて、本を持って外に出た。
きょうは尊敬する彼女も載った雑誌の発売日だ。
わたしのなかの後ろ向きな自分が「また虚しくなるだけだぞ」とかなんとか言ってるが、とりあえず頭の隅に追いやって、自分の作品作りをし、今日一日を爛漫に過ごしてやる。
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