故郷 ふるさと
以前、海外子女教育という雑誌のインタビューで、「あなたにとって故郷とはどこですか」という質問をうけた時のことだ。
「故郷」というと、そこで生まれ、そこで育ち、古い家があり、両親がいて、日本昔話に出て来るような山々と幼馴染。みたいなイメージがあるのだが。そう言うものは僕には無い。
生まれたのは神奈川県の厚木市、物心つく頃に秦野市に引っ越して、小学校3年生の3学期からブラジルに移住、中3になる時に帰国して秦野に戻り、高校を卒業し、大学に入学すると家を出て相模原市、ついで埼玉県の所沢市に引っ越した。就職と同時に朝霞市の寮に入り、独身寮を年齢制限で追い出されてから世田谷を経て今西東京に住んでいる。
両親は今は秦野に戻っているが7年間程伊豆高原にいた事があり。その間は帰省もそこだった。
定住とは程遠い半生である。
「故郷」は、よくわかりませんというのもなんなので、何をもって自分が「故郷」を感じるのかを考えてみた。
人間は9歳から15歳の間に人格が形成されると言われている。とすると、その間に僕がいた場所や一緒にいた友達が自分らしさの元になっている可能性が高い。これは故郷のエレメントだ。これにドンピシャではまるのが、サンパウロ、、
しかし。この6年弱住んだだけの土地を「故郷」というのもおこがましい、、ここは「第二の故郷」という位置付けにしよう。
では、あとはなんだ。両親がいる場所、それはそうなんだが。それは両親がいる場所であって、明日から両親が大阪に引っ越したら大阪が故郷になるのかと言うとそうでもない。
土地でくくるのはやはり難しい。
なにか理由がほしい。
うーむ。。そうだ、これだ!
そのインタビューの質問で、このように少し考えてから僕が答えたのは
「親がいて、自分の小さい時からのの写真が山になっているところ」
ということだった。
18歳で家を出る時に、服とカメラぐらいしか持って出なかった。なにか重たいものを置いてきた。それまでの人生を切り離してしまうような感覚があった。
なにか重たいもの、それ沢山の写真のアルバムだった。自分の今までの人生を証明してくれるものだ。
インタビューアーには、「やはり写真に話が行くんですね」とにこやかに言われたのを覚えている。
そう言われて何故かちょっと嬉しかった事も。
アルバムのほとんどが、サンパウロ時代のもので、その前後が少々という感じ、かなりの冊数があった。
家族と行った旅行の写真、日本人学校の行事、友達の家に遊びに行った時の写真、誕生日、遠足、剣道の試合、修学旅行、渡航前、帰国前の送別会。
これがある場所、守っていてくれた両親のいる場所、それがぼくの故郷。
記念写真というのは時間が経てば経つほど懐かしいし、残っている意味が深くなる。
実家にいる時は殆ど意識しなかったアルバムはすっかり熟成し、たまの帰省ではついつい広げてみたくなるものになっていた。
写真の中から音や匂いや気持ちが伝わってくる。頭の中に故郷が広がっていくのがわかる。
大学で写真の勉強を始め、次々と新しい写真を作り続けていたが、アルバムの中の古びてボケてちゃんと写っていないような写真にまったく歯が立たない。そこには缶ジュースとワインほどの違いがあるなと思った。
故郷に積み重なった写真展には一朝一夕に出来ていないという熟成した迫力がある。
僕の人格形成期を過ごした時の友達とはもう40年来の付き合いがあり、この輩達もある意味僕の故郷と言ってしまって良いと思う。現在進行形だが、一人一人の顔の奥に故郷が今でもしっかり見える。あの時の匂いや音が蘇る。
故郷のメンバーは、会えばすぐ子供時代に戻れる。アルバムを開いたときと同じ感覚をもっているのだ。
「ふるさと」には色々な在り方があっていいと思う。もちろん土地にそれがある人も多いだろうし、人そのものだったり、僕のようなタイプの在り方も、
アルバムの山の中におさまった懐かしい空間、そこに写っていて、40年を経た今でも顔を付き合わす事ができる仲間達。
僕はこんなに素晴らしい故郷を持っている。それは幸せな事だと思う。
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