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南雲くんやってみれば

2008年11月、キヤノンの5D mark2に搭載されたフルハイビジョンの動画機能は映画の本場ハリウッドで火がつき、映像制作の世界に新しい風をふかせた。
35mmフルサイズセンサーと大口径レンズが織りなす瑞々しい描写や大きなボケが話題を呼び、映像作家達の魂に火をつけたのだ。

スチルのフォトグラファーとしては寝耳に水のような話で、一枚の絵としては普段から見慣れている写真なのでそれが動いた事にはあまり敏感になれなかったのだ、むしろ動画として時間が流れていってしまうことでビシッと決まった写真的エッジがないものだから、率直に言うと自分のフィールドとは思えなかったのだ。
随分初期段階からこの動画機能を試していたが、ハリウッドで大騒ぎになってから後追いでもう一度認識し直すこととなった。

この流れは大きく、一眼レフ動画はちょっとしたブームを迎え、新型カメラのプロモーションではこの動画機能を使ったショートムービーが必須コンテンツとなっていく。必然的に僕の所にも制作のオファーがくるのだが、さて、動画作品などまともに作った事がない。
撮影は自分でなんとかするとして、ほかの部分はどうすれば良いのか、社内の動画セクションへ話を持ちかけてみることにした。するとみな「自分では何ともできない」、かわりに「T監督に相談してみれば」と口々にいう、そして「滅多に会社には来ないけどね」とも。。
?、うちの会社に滅多に来ない映像監督がいるの??と疑問がよぎる。

大きい会社の悪いところで、同じ社内でもセクションが違うと本当に他の人が何をやっているか知らない、逆に良いところは、思いがけない凄い人がいたりする。

このT監督、映像業界では有名な人で、誰もが知っているアーチスト達のミュージックビデオを何百本も手がけ、劇場映画の監督までやられているというお方だった。。

「日芸の出身で、南雲の先輩にもあたるし、連絡してみろよ」との事。
T監督の経歴にビビりつつ、でも同じ社員だし、意を決して「かくかくしかじか、つきましては監督をお願いできませんでしょうか」と連絡を入れた。
二つ返事で「いいよ」と言ってくださりお会いしてみると、確かに会社では一度も見かけた事がない、、会社員の匂いは全くしない人だった。

とても気さくな雰囲気を持ちつつ、眼鏡の奥に鋭い瞳を感じる。そして自分でも言っていたが、「せっかち」である。

かくしてT監督、南雲カメラマンというユニットで動画作品を何本か作ることになった。この期間は本当に勉強になる事が多かった。僕の仕事以外でも動画のベテランキャメラマンの撮影に立ち会わせてもらったり、映像に合わせた音楽をつくる事や編集の現場など、製作に関わる現場を沢山見る事ができた。T監督は現場では丁寧に、時には激を飛ばし先頭にたって次々と指揮をとった。「せっかち、というより頭の回転がとまらない」と言ったほうがいい。

動画の世界は写真に比べると分業化しており、極端な部分ではキャメラマンはフォーカスを自分で合わせる事もしない場合があり、専門のフォーカスマンがいたりする。ライティングも照明チームの仕事だし、音声も別。ほかにも細々と役割が別れており、なにせスタッフが多いのだ。殆ど全てをフォトグラファーがやるスチルの世界とは随分とちがう。
スチル撮影のフォトグラファーがソロアーティストだとすると、ムービー製作はオーケストラで行い、その指揮者が監督となる。
そんなT監督のチームの中でキャメラマンとして撮影する仕事を何本かでも経験する事ができたのはありだかい話だった。

2012年
「一眼レフ動画」という一大ブームを起こしたカメラの後継機の登場前夜のことである。
僕は動画製作の企画で監督が書いたシナリオと一緒に自分の書いたシナリオも合わせてプレゼンを行うようになっていた。
そんな中、あるコンペでクライアントから「今回の動画企画、残念ながら他社に決まりそうなんですが、一つ御社の企画でも面白いのがあって、低予算でやってもらえるのであればやって頂きたいんですよね」という話があった。

僕の書いたシナリオだった。

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それは1人のアーチストが踊るように躍動しながら大きな絵を描き上げていく、その一部始終を音楽に乗せて映像にまとめ上げて行くという企画で、知り合いのアーチストを起用した物だった。
やりたい。しかし、T監督のチームにお願いする予算は無い。でも撮影の規模から考えて、製作はミニマムのスタッフでいける筈だ、なんとかしたい。
そんな気持ちでT監督に制作の相談を持ちかけた。

「どうにかしたいんですが、、云々、、」自分でも言葉が煮えきらない。

T監督はシナリオと僕の描いた汚い絵コンテを見ながら一言こう言った。

「南雲くん、やってみれば」

「は?」

一瞬なにを言っているのか分からなかった。

「やってみればいいじゃん、監督」

衝撃が走った、まさかそう返されるとは、、
よく聞いてみると、「一緒に何度かやってある程度動画作品の作り方は分かっただろう、自分の企画だし、そもそも君のクライアントだ。困ったらアドバイスするからやってみろ」、との事。

なんと、、有り難いお言葉。元来僕は全て自分で仕切っていたスチルのフォトグラファー、しかも失う物無し。

「やります。」

という事で南雲初監督作品は例のカメラと同時に世界中のwebサイトで発表される作品に決まった。  

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監督といっても、企画、撮影、編集、ライティングも、舞台設計も楽曲の依頼もなんでもかんでも自分でやった。もちろんディレクションも、
あのエネルギーはなんだったんだろう。本当に大変ではあったが、ひとつ壁をこえたように感じる作品製作だった。
この作品は別のクライアントの目にもとまり、連鎖的に動画制作の依頼を産んだ。

いくつになっても、一生懸命勉強すれば背中を押してくれる先輩がいる。

「南雲くん。やってみれば」

言った本人はもう覚えていないとおもうが、ぼくには一生忘れられない一言である。

https://m.youtube.com/watch?v=GEuddtsgWvM




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