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「#14 また浴衣の女性とすれ違いスマホを開く」



 まだ上京したばかりの頃は、知り合いも少なく事務所から振られる仕事もほとんど無かった。バイトの面接を受けても感触は悪く、実際に採用の通知連絡もなかった。たまにしっかりとした会社は不採用でも連絡をくれるのだが、電話を切った後の自分が急に不採用の人となって鏡に映し出されるのが恥ずかしかった。
 ようやく合格したのはブラック企業のコールセンターで、バイト全員が恐れ慄く社長の口癖は「人を動かすために最も必要なのは恐怖だ!」というまさに独裁者の台詞だった。ある日、社長に呼び出されので業務態度のことで怒られるのかと思っていたら、「お前、自分の部署を持つ気はないか?」と予想外の言葉を投げかけられ腰を抜かした。丁重にお断りすると、「てめぇ〜ふざけやがって!」と社長はお決まりの暴言を吐きながらも、ちょっと嬉しそうな笑みを浮かべていた。何故か知らないが社長にハマっている、その事実が僕には一番恐ろしかった。

 どれだけ働きやすい環境でも、いくら時給が上がろうとも、そこに自身の熱量や努力がなければ充実感など得られる筈もなく、バイトが終わった僕は茜色に染まっていく空に焦燥を抱きながら駅までの道のりを歩いていた。足速に歩いていると、ふと前からこちらに向かって歩く浴衣姿の女性を見つけた。気付かぬ間に夏が訪れてしまっていることに、ぎゅっと胸を締めつけられる。あまり見ないように顔を背けてすれ違ったが、少し歩くとまた同じように前から浴衣姿の女性が歩いて来た。
「あれあれあれあれ・・」と思いながらまたすれ違う。この時点で、焦燥とか胸を締め付けられるなんて繊細で機微に触れるような感情はなく、ただ凄く嫌な胸騒ぎがしていた。駅に着くと浴衣を着た女性が、改札の前で誰かを待っている姿が見えた。
 これもう絶対どっかでお祭か花火大会やってるな!慌ててスマホを開き検索をかけると、お祭りも花火大会も複数カ所でやっていることが分かった。
全然知らなかった。自分の知らぬところで何千発という花火が打ち上がり、人々が歓喜の声を上げていたのかと考えると怖くなった。別に知っていても誘う人などいなかったが、最前線からも、その渦中からも完全に外れている。誰からとかじゃなく、東京という街から除け者にされている気分になった。弾かれるなら、いっそ遠くまで飛ばして欲しい。一人で酒を飲みながら聞こえてくる花火の音ほどやるせないものはない。
 まだあの頃は、最前線で打ち上がる花火が見ていたかった。心臓が痛くなるほど近くで花火が開く衝撃を感じていたかった。夜店や客でごった返すその渦中に存在して、どんなに苦しくてもその只中でもがいていたかった。そうでなければいけなくて、答えはその中にしかないのだと若い頃は信じていた。

 今は少し違う。花火は遠くから、キャンピングチェアに座って見るようになった。明るく鮮明な美しさよりも、夜空に滲んで消えいていく姿に心を打たれるよになった。波の音のように響いてくる観客の歓喜を心地よく感じるようになった。
夜店の雰囲気や電球のじんわりとした灯りを眺めてるだけで満たされるし、人波みから抜けたその先で頬をかすめていく涼しい風を幸せだと思う。
あの頃に比べて、今の僕は僕はちゃんと前に進んでいるのだろうか。それとも僕は、何かから脱落してしまったのだろうか。
 近所の神社で久しぶりの夏祭りが開かれ、僕は確かめるように屋台でごった返す人だかりを進んだ。満員電車ぐらい身動きが取れない状況で、人並みをかき分けながら向かってくる小学生の男の子がいた。その右手にはケチャップのたっぷりついたフランクフルトを持っっている。今着ているシャツが結構高いので絶対ケチャップつけられたくないと思った。汗まみれのおじさんの手に触った感触が身震いするほど不快だったし、たこ焼きの列に並びながら、焼き上がったたこ焼きにソースとかマヨネーズかける方がお金受け取るんじゃなくて、焼いてる人の方が意外に空いてる時間多いから、お金はそっちが受けとった方が効率的やろと気になった。飴でコーティングする前のリンゴをこのクソ暑い中ダンボールにほっぽり出してるけど大丈夫かなと疑ったし、前を歩く浴衣姿の女子に足を踏まれて舌打ちをした。

 今の僕が前に進んでいるのか、脱落してしまったのかはよく分からなかったが、あまりよくない大人になっているのは確かだった。


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