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「#3 私の座った椅子だけ固定されている」



 夜中まで飲んでいたせいで昼過ぎに目を覚ます。
 こめかみを刺すような痛みに耐えながら、微に残った記憶を頼りにベッドの下へ腕を伸ばした。探索する腕の痺れが限界を迎える寸前でスマホの端に指が触れ、ベッドの下から掻き出すようにスマホを拾いあげる。画面を開くと片目で焦点を合わせてすぐにLINEを確認する。昨夜の僕の状態を心配したり、怒りのメッセージが届いていないことで自分は正常に振る舞えていたのだと安堵する。
 そこから大して興味のないYahoo!ニュースダラダラと眺め、海外のサッカーリーグで日本人が活躍したという話題に関連付けられた動画を、今度は逆の片目で焦点を合わせて再生する。動画が終わるとスマホを枕の横に放り投げ、「ぐゔぁ〜!」とゾンビのような呻き声を上げベッドから体を起こす。ぼんやりとした意識を歯磨きではっきりさせ、シャワーを浴びて全身の気怠さを緩和させる。服を着替えて家を出る頃には14時近くになっており、作業でいつも使っているカフェはもう満席になっていた。

 自分のテリトリー内に作業用のカフェが三軒あるので、そのまま二番手、三番手という順番で行くのだが、その日は全ての店が満席だった。しかしここで諦めてはならない。一見無駄に探し回っていたと思えるこの時間がここから一番手のカフェに舞い戻ることで、埋まっていた席が空くまでの繋ぎの時間として蘇るのである。そんな確信に近い感覚で一軒目のカフェに戻って来たが全然空いてなくて、なんだったら客がさっきと入れ替わってたりしてちゃんと無駄な時間になっていた。

 最後の手段として残されてるのがファストフード店なのだが、やはり他に比べると集中出来ずに作業が思うように進まないことが多い。確かに学生の集団や小さい子供連れが多くてうるさいよねぇ〜なんて思うかも知れないが、僕の場合はそんな理由ではなく、お腹が空いてなんか食べたくなってしまう。店内にはポテトの匂いが充満してるし、隣でチーズたっぷりのバーガーにかぶりつく姿を見せられたら、もう作業どころではなくなってしまう。
「そう言えば、今日起きてから何も食べてないよなぁ〜」とか理由を見つけ、「お腹減ったなぁと考えながら続けるよりも、一旦ここで食べてしまった方が効率いいかも」などと正当性を担保する。
 僕の場合はお腹がいっぱいになると眠くなって作業が進むことなど絶対にない筈なのに。

 仕方なく入店し、アイスコーヒーを注文してから2階席に向かうとフロアはすでにポテトの匂い侵されていた。リュックから取り出したパソコンを開きアイスコーヒーを一口飲んだとこで我慢ができず、また注文の為に立ち上がり階段を降りて行く。
 なんとかポテトのLサイズのみで我慢して席に戻り「お腹を満たすと言うよりは、あくまでもポテトを摘みながら作業する感覚ね」と自分に言い聞かせるのだが、僕の人差し指はキーボードをタッチするよりも明らかにポテトを摘む頻度の方が多く、残り半分からはポテトが無くなるまで一切キーボードに触れなかった。何一つ作業は進んでないのにじんわりとした満足感が体を包み、もうこのままパソコンを閉じてしまおうかという衝動に駆られながら、そのギリギリで踏みとどまって作業を再開するという一人芝居。

 しばらく作業を続けていると腰の辺りに痛みを感じる。窓際に設置された長いカウンターテーブルの背もたれがない華奢な丸椅子に座っていたので、やはり居心地の良さに重き置いたカフェに比べると少し窮屈だ。テーブルの高さもパソコン作業をする為に設計されてる筈もなく、自分なりの絶妙な位置を見つけるのに結構苦労する。
 足を組んでみたり、椅子の上でお尻の位置を変えてみたりと僕が試行錯誤をしていたら、隣で同じように作業をしている人が椅子をテーブル側にグッと押し込んで移動させた。はっとして、カウンターテーブルに座る他の人達にも目をやると、パソコンを開いてる人や本を読んでいる人は皆テーブル側に椅子を近付けていた。
 なるほどこのテーブルの高さなら絶対その方がやり易い。僕は座りながら丸椅子を手で掴みお尻を浮かすと、皆の真似をしてグッと体ごとテーブル側に丸椅子を押し込んだ。

 押し込んだ、が、椅子はぴくりとも動かない。

 力が弱かったのか、今度は体全体を浮かせ、ガバッと勢いよく丸椅子をテーブル側に押し込んだ…はず..だが、椅子はやはり微動だにしない。
 不思議に思い両足を開いた間から椅子の脚をよく見てみると、椅子の脚と床の接着面が溶接したかのように固定されていた。事態の把握の為に椅子から立ち上がり隣を確認すると、当然ながら椅子は固定されてはいない。更にその隣の席に視線を向けるが、やはり椅子は固定されてはいない。カウンターテーブルに設置された全ての丸椅子を確認した結果、10席ほどある中で何故か僕の座る席の椅子だけが固定されていた。

 ちょっと待ってめっちゃ恥ずかしいやん。なんで俺の椅子だけ固定されてんの?よく見たら固定するためか、他の丸椅子より脚の部分がめっちゃ太っとい鉄みたいな作りなってるやん。隣の人が全くの他人やからまだ助かったけど、これが挨拶はしたことあるぐらいの知り合いやったらどうすんねん。
 お互い何もないように振る舞いながら、相手には「えっ何かこの人の椅子だけ固定されてる。固定されてるの気づかんとさっきからめっちゃグッてやってたくせに動揺してない感じ出してる」て思われて、更に共通の知り合いに会った時には今回のことを面白くする為にちょっと盛って喋られてたとこやんけ。

 集中しなければいけないのだが余計なことばかり考えてしまう。研ぎ澄ました筈の神経は、文章ではなく固定された丸椅子に向かっていく。床と椅子を固定させる為の太い鉄の脚がそのまま座面を貫き座っている僕をも固定させてるようで、腰の辺りがずっしりと重くなる。その太い鉄の冷たさがリアルに伝わってくるようで、お尻がひんやりと冷たくなる。
 僕はパソコンを閉じて店を後にした。結果、ただLサイズのポテトを食べに来ただけだった。

 それから何処に行っても固定された椅子があるかどうかを意識して見るようになっったが、意外にも多くの飲食店、とりわけチェーン展開されているお店では一つだけ固定された椅子は存在する。レイアウトの変更や改装などを繰り返す中で、歴史の一部としてそれは存在し続けるのだろうか。
 出先のカフェで運よくソファ席に通してもらえ、僕は今この文章を書いている。余計なことを考えずソファでゆったりしながら書くつもりが、あまりにも背もたれが直角過ぎて腰の痛みに全く集中出来ていない。
 
 

 

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