「ホームルーム」
中学生の頃、クラスメイトに増田さんという生徒がいた。
ショートカットで大きな眼鏡をかけた増田さんは、授業中にいつも左手で眼鏡を抑え 、眉間に皺を寄せながら黒板の文字をノートに書き写していた。
「眼鏡の度数がぜんぜん合ってないんやな」
それが増田さんに対して僕が初めて抱いた印象である。
同じクラスになったのは一年生の時だけで、大して仲良くもなく喋ることもあまりなかったが、そんな増田さんを未だ鮮明に覚えているのには理由がある。
それは増田さんと席が隣同士の時期に開かれた、ホームルームの授業での出来事である。
確か「いじめの無いクラスにする為にはどうすればいいか?」そんな議題をクラス全員で話し合うというような内容だった。
一人の男子生徒が「いじめられる側にも問題があるんじゃないか」と発言した直後、僕の隣で話し合いを静観していた増田さんが「そんなこと無いと思います!」と、両手で机を叩きながら立ち上がったのだ。
その声量と机を叩く音の大きさにクラス中の視線が増田さんへ集中したのだが、机を強く叩き過ぎた衝撃のせいか、なんと増田さんのかけていた眼鏡から左のレンズがポロリと落ちた。
クラスは大爆笑である。
増田さんは机の上に落ちたレンズを素早く拾うと、片方のレンズが外れた状態のままで、「私はね!…」とそのまま続きを喋ろうとし始めた。
僕は思わず増田さんの腕を引っ張り、強制的に一度着席させた。
「とりあえずレンズはめ、ほんで今は誰も話聞いてくれへんからちょっとタイミング待った方がいいわ」
増田さんは黙って頷き、左のレンズをフレームにはめた。
話し合いは再開されいくつかの議論の末、またいじめられる側の振る舞いにも原因があるのじゃないかという流れになった時である。
「それはおかしくないですか!」
増田さんは待ってましたと言わんばかりに大声を張り上げながら、もう一度机を叩いて立ち上がった。
今回は立ち上がった衝撃に左のレンズが耐えたと僕が安堵した瞬間、今度は増田さんの眼鏡から右のレンズがポロリと溢れ落ちた。
教室には渦を巻くよう大爆笑が起こる。
増田さんは机に落ちた右のレンズを素早く拾い、「さっきも思ったんですけど!…」と、またそのまま喋り続けようとする。
「いや、だから」
僕はまた増田さんを着席させて、まず右のレンズをはめるように促した。
こんなに笑いが起きてる状態ではさっきより誰も話なんか聞いてくれへんと増田さんを諭すと、流石に気落ちしたのかその後は何か発言するような素振りは見せず、増田さんは下を向いたまま大人しく話し合いを聞いていた。
「これで、今日のホームルームの話し合いは終わります!最後に何か言い残した人はいませんか?」
最後の学級委員長の問いかけにも、俯いたままの増田さん。
「なんか言いたかったら最後やし言ってもいいんちゃう?」
僕が声をかけると、増田さんの目に小さな火が灯るのを感じた。
「ゆっくり立ちな」
僕の忠告に頷き、増田さんは惨劇が繰り返されないよう、ゆっくりと静かに立ち上がった。
「最後にいいですか」
増田さんが落ち着いて丁寧に言葉を発した瞬間だった。
なんの衝撃も加えられていない増田さんの眼鏡から、まるで両方のレンズが力尽きたかのように落ちていった。そして僕は、その光景をスローモーション映像のように眺めていた。
クラスメイト達の笑い声が、地鳴りのように一つの大きな塊となって教室全体を震わせた。
「イジメのないいクラスにする為にはどうすればいいか?」その議論の中で様々な意見が飛び交い結局まとまることはなかったけど、増田さんは自分の想いを皆んなに伝えることは出来なかったけど、それでも増田さん、君が両方のレンズを落としたあの時クラスは確実に一つになっていたよ。